生体/整体/斉体/精体/正体/せいたい/の歩き方
 
  常識を疑え! ちょっと変わった生体のお話
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   1 女性特有の症状を考える(本に掲載できなかった分) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 生体)を生業とさせていただいて、一番最初にぶつかった難問は、女性に関する疑問でした。
 今ではこんなことを言う人もいなくなってしまいましたが、
 (戦後、靴下と女性は強くなった。)
 と、よく揶揄されたものです。
 それを鵜呑みにしていたわけではありませんが、来院される六割五分から七割は女性で、男性と比較した時、女性のほうが、圧倒的に多
い。しかも、体力的にも、精神的にもぜい弱です。では、その弱い女性が、強いはずの男性より、長生きなのはなぜか。それが、わたしに
突き付けられた、最初のクエスチョンでした。
 ここからはわたしの推論になります。実は、その推論にさえ辿り着くまでに、一年近くを経過してしまいました。
 一年近くも、その疑問から抜けだせずにいた時、でも、まてよ、(逆も真なり)もあるのではないか、と、思い至りました。糸口が見つ
かると、あとは一気果敢です。
 (逆も真)つまり女性は弱いからこそ長生きなのです。
 女性は弱いからこそ、ささいなことが、必要以上に感じてしまう。だからこそ、初期の段階のうちに手当てがされる。重くなる前に手当
てされるから、長生きなのではないか。
 一方、男性は強い。強いから、少々のことは我慢してしまう。我慢できるから、症状を重くし、手当てが遅れてしまう。ようやく手当て
をする時には、手遅れで重篤な症状になってしまっている。結果として、女性より平均寿命が短い。
 わたしはそう解釈いたしました。そして、その考えは、基本的に今も変わっていません。
 女性が持つ弱さも一般的に考える弱さ、男性が持つ弱さとは異質です。ささいなことで、くよくよ、めそめそ、します。しかし、そこか
ら脱却すると後戻りしません。いつまでも過去を引きずってぐずぐずするのは、むしろ男性のほうです。
 女性の場合、たとえば、好きな男性ができ、その、好きな男性と一緒になるために、生まれた家を後にします。他家に嫁ぎ、他家の家の
人になることはあたりまえのように行われ、誰も不思議だとは思いません。その、環境の変化を受け入れ、みごとに順応します。そればか
りか、いつの間にか、すっかり旦那さんの家の主みたいな顔をし、旧姓で呼ばれても、振り返えることすらなくなります。女性にとってそ
れが必要な資質であり、弱さに隠された強さであり、みごとな神の配剤です。
 婚家と実家、気持ちの問題であれ、現実的にであれ、どちらが大事になっているかを、女の人はそれぞれ自分の胸に問うた時、自ずと答
えは得られると思います。
 一方、男性は他家にお婿さんに入っても、実家との縁が切れることはありません。切れないばかりか、それを比べるとか、どちらかを選
ぶなどということもできない人が多いはずです。
 
 女性にはある段階で、過去を清算というのでしょうか、断ち切り、新しい一歩を踏み出すDNAが、生まれながらに備わっています。
 男性の場合ですと、交際をしていた女性とは、別れた後であっても、気持ちの中では、どこか他人ではありません。ところが、女性の場
合は、個人差はあるでしょうが、気持ちの整理がつけば、まったくの他人になり得ます。極端な話し、昔つき合いのあった男性が、どこで
のたれ死にしようが、一般的な可哀想という感情はあっても、それ以上に意に介すことはありません。
 よく、ドラマなどで、昔、恋人同士だった者同士が運命的な再会をし、それぞれの安定した家庭を犠牲にしてまで恋に落ちていく物語り
がありますが、それは、男の願望、ロマンチシズムであって、男目線で書かれた絵空事です。浮気程度や、女性の家庭そのものに大きな問
題でもあれば別ですが、純粋に愛情だけで逃避行に発展するような愚を女性は犯しません。
 男性は夢に生き、女性は現実を生きる。男性は明日に生き、女性は今日に生きると言えるのではないでしょうか。
 女性が長生きできる要因の、別な角度から見る、もうひとつの重要な要素だと思います。
 それは、自殺者の数を比較しても、如実に表れます。十代の自殺者は男性が女性の二倍、その数は年代とともに開いていき、六十代は男
性が女性の、なんと五倍もの人が、自ら死を選んでいます。
 昔から、(柳に枝折れなし)と言います。台風一過、ニュースで流れるのは、大木が風に倒された場面です。
 参考著書として、二冊の本を紹介します。一冊は、アラン ビーズ・バーバラ ビーズ共著<話を聞かない男、地図が読めない女>もう
一冊は、大島清著<女の脳・男の脳>です。
 深入りはしませんが、男と女は別の生き物だということを理解しなければなりません。男女平等など、ためにする話しで、それこそ、不
平等の極みです。違いがあるからこそ、惹かれ合い、補い合って、支え合うのです。
 
 医療の現場においても、人間という個体をひとくくりにするのではなく、女性の医療、男性の医療が別に必要なのではないでしょうか。
 現に、肩こりひとつを取り上げてさえ、女性の肩こりと、男性の肩こりは、その成り立ちを異にします。 
 男性が手当てが遅れるもうひとつの原因があります。実は偉そうなことを言っても、女性とは違った意味で、とんでもなく小心者なので
す。既婚者の男性で、自分ひとりで来院される方はほとんどいません。どなたかに勧められても、よっぽど我慢できなくなるまで来院しま
せんし、来院する時は決まって奥さん同伴です。この小心さと、我慢が可能だと言うことが、手当てを遅らせる要因となっています。
 女性の場合、基本的に体力がありませんから、少しの疲れでも食欲が減退します。人によっては、食べると吐いてしまう方までいます。
 男性は、食べたくない、食欲が湧かなくとも、食べれば入ってしまう。特別にお腹はすいてなくとも、習慣で食卓に座れば、結構食べれ
てしまいます。結果として、不具合に鈍感でいることができます。
 これが疲労などからきている場合は問題ありません。ゆっくりと休む時間を作ってあげれば事足ります。ところが、内臓などの疾患から
きている場合は、当然、病気の発見が遅れ、その間に状態をさらに悪化させます。つまり、体力があること、小心であることが災いとな
って女性より、より、短命になります。
 
 著書には、(原因のない結果はない)と、それぞれの事例をあげて書きました。さらに、原因にはそれを誘発する誘因があり、原因と結
果の間には起因も存在することも記しました。男の方ですとそれでほとんどが説明可能です。ところが女性の場合、それだけでは説明不足
です。女性の方は、原因、もしくは誘因の前に、それを引き起こす(元)があり、元を引き起こす(元の元)が存在します。それが、女性
という別項を設けた理由です。だんだんと説明がややこしくなってきましたが、実はそれはひとつの流れであり、だからこそ、その流れを
変える、もしくは、不具合という回転を、ゆっくりとでも、逆回転していけばいいことで、決して小難しい理屈を並べようというものでは
ありません。おいおいお分かりいただけるはずです。
 元とは、血の流れ、腹部がそれにあたります。
 元の元とは、その多くをストレスに求めることが可能です。その、ストレスを引き起こす要因もまた無数に存在しています。
 前記したように、開き直ってしまうと、男性以上の強さを持つ女性ですが、その、最初の段階では、何ごとにつけても、くよくよ、めそ
めそと考え込みます。その行為が、すでに、ストレスを生みます。さらに、ストレスが血の循環を悪くし、低体温を誘発します。さあ、不
具合の完成です。
 ストレスも大別すると二種類に別れます。一つは突発的なストレスです。このストレスは生活に緊張を産み、必要な場合が少なくありま
せん。むしろ必要なストレスと言っても過言ではないかもしれません。問題となるのは、長期間、継続的に続くストレスです。以下ストレ
スという場合、後者を差します。
 必要なストレスとは何か。
 一つのものを追求する男性の繊細さも、そこからおこるのであろう小心さも、女性との比較で見ていくとおもしろいのですが、ここでは
立ち入りません。
 
 元の元。ストレスからご説明します。
 「病は思いからなるものです。」
 患者さんにそう言いますと、皆さん、
 「病気になろうと思ったことはない。」
 と、おっしゃいます。その通りでしょう。病気を望む人はいません。でも、病気を必要以上に心配する人がいます。さらに、病気でいた
い人は少なからずいらっしゃいます。
 「体中がたがたです。」
 そう訴える人がいます。女性の場合、肩が凝るのも、腰が痛いのも、足が冷えるのも、元をたどっていくと、ある一カ所に行き当たりま
す。一カ所の不具合、血流が悪いことに答えがあります。血流が悪いことで、ほとんどと言っていいほど、出ている症状を説明することが
可能です。一ケ所から始まる不具合が、全身に結果としての症状として顔を出します。ゆえに必要以上に自覚症状としては重く感じてしま
います。
 ところが、当人が訴えるほど、元になる血流がさほど悪いとは言えない人がいます。そういった方に、症状として重くないことを申し上
げると、ほとんどの方が、二度と来院することはありません。その方がお帰りになってお友達などにどう言っているか、だいたい想像でき
ます。
 (これだけ体が悪いのに、たいしたことはないだって。あそこは分かってないわね。)
 こういった方の場合が、病気でいたい人の典型です。
 わたしは体がこんなに悪い。こんなに体が悪いのに頑張っている自分が愛おしい。もしくは、それを認めてほしい。また、そんな自分に
注目してほしい。心配してほしい。意識、無意識は別として、そういった方がいるのはまぎれもない事実です。そういった方は必要以上に
悪く診立ててくれる所を見つけて通い続けます。安心を得る、ということ、需要と供給、ということからすれば、それはそれでいいことな
のかも知れません。
 患者さんからすれば、必要以上に悪く診たててくれることで、自分の納得がいき、安心を得ます。一方、看る側からすれば、必要以上に
悪く言うことで、患者さんが確保できます。
 通院してくれる患者さんが多ければ多いほど、安定した経営が成り立ちます。
 必要以上に悪くさえ言っておけば、勝手に良くなっても感謝されます。中には、命を救われたとまで感謝してくださる方までいます。
 また、たとえ、あまり回復はしなくとも、それだけ重篤だと言い逃れることができます。看る側にすると、必要以上に悪く言っても、何
も損することはないのです。
 故に、需要と供給のバランスが確保されます。
 
 腰痛で他の治療院に通っていた女性で、経過があまり思わしくなく、わたしどもに来院した人がいました。
 くだんの治療院の診断は、その方が思っている以上に悪いこと。まだ、未婚の女性でしたが、このまま放っておくと子供の産めない体に
なってしまうと告げられたそうです。女性は意を決して、仕事を止め、一年間、休診日以外は毎日通院したと言っていました。治療費だけ
でも、総額で百万円前後掛かったようです。
 その治療院が最初から騙そうとしたとは思いませんし、そう信じたい。でも、現実にはちょっとしたしこりがあっただけでした。腰痛の
原因たる場所が分からなかっただけなのでしょう。
 通院したい人がいて、通院させたい人がいる。それはそれで結構でしょう。でも、たとえ、騙すつもりはなくとも、知ったかぶりをした
ために、結果として騙すことになってしまった場合はどうでしょう。それでも、法律用語で言う、<未必の故意>とは言えないでしょう
か。ただ、ここまではなら、まだ、責め立てることはできないのかも知れません。
 わたしはお弟子さんに、分からないことは分からない、と、伝える勇気を持つよう指導しています。人間は所詮人間です。間違いも犯せ
ば、手違いも、思い違いも起こします。人は神様にはなれません。人間の知っていることなど、たかだか知れています。だからこそ、思い
上がったり、知ったかぶりをしてはいけないのだと思います。
 わたしは、それでも、上記までならギリギリ、セーフではないかと思います。
 でも、その根本を間違っているとするならどうでしょう。
 痛みがあれば、痛みを出す原因があります。本来は、痛みを問題にするのではなく、痛みの原因を問題にしなければなりません。その原
因を治療するのが医療のはずです。
 血圧が上がるということは、血圧を上げる原因があります。問題なのは上がった血圧ではなく、上げている原因をどうするかです。
 その、原理、原則をないがしろにし、対処療法を繰り返す現在の医療のありかたは、患者さんをハナから騙そうとするような所は論外と
しても、結果として騙した<未必の故意>にはあたらないでしょうか。
  どんどん横道に逸れていってしまいます。ここで書きたかったことはこのような例ではなく、ごく普通の人が陥りやすい罠です。
 足が痛む時、
(このまま歩けなくなったらどうしよう)
 胸が少しムカムカする時、
(癌じゃないだろうか。もし癌で寝込むようになったらどうしよう)
 頭がぼーっとしている時、
(脳溢血じゃないだろうか。倒れたらどうしよう)
 そう心配しませんでしたか、と、尋ねますと、皆さん、心当たりがある。へたな考え、休むに似たり、(そうなったら、そうなった時考
えよう)とは決して思わない。
 テレビ、新聞、雑誌など、不安を煽るような情報だけが意図的に流される。そうした情報発信の多くは、不安を煽ることが自分の利益に
結びつく情報源から発せられているにも関わらず、まんまと乗ってしまう。困ることに、その情報が嘘かと言えば、偏った情報、もしくは
自分の利益に結びつく都合の良い情報のチョイスではあっても、一部の真実を含んではいる。情報の氾濫に踊らされた結果、植え付けられ
た心配そのものが、次々に、新たなストレスを生んでいきます。さらに、次々生み出す心配が、心配した現実を引き寄せています。そし
て、たとえば癌が発見された。(ほら、やっぱりな。)と、妙に納得してしまう。癌に冒されたのではなく、癌を引き寄せたことも知らず
に・・・。
 
 ニール ドナルド ウォルシュという著者が書いた<神との対話>という本があります。
 著者は結婚、離婚を繰り返し、事業も失敗の連続でした。その彼は、神様に、恨み、つらみの手紙を書いていました。ある日突然、神様
がその手紙に返事をしてくれるようになりました。
 神様は言いました。
 (わたしはあなたに全てを与えてある。与える前にすでにそこにある。あなたの今は、あなたが選択した、そして望んだ今だ。)
 要約するとこうなります。
 詳しくお知りになりたい人は、本を読んでもらうこととして、少なくともわたしは、それが真実だと信じています。
 心配した未来、その心配そのものが、心配した未来を引き寄せています。そして、心配した未来を現実のものにしています。
 心配がストレスを生みます。身体的ストレスというばかりでなく、生い立ちというトラウマであったり、ものの見方、捉えかた。現在置
かれた環境。社会そのもの。なにが正しく、なにが間違っているのかさえ定かではない情報の反乱。副作用について、ろくな説明もないま
ま処方される薬。対処療法でしかない薬を、継続して取らされ続ける身体。無数の不条理。矛盾。それらがさらには単独ではなくからみ合
い、多くのストレスを生む原因になっています。それが、肉体的にも、精神的にも、弱い女性を襲います。それこそが、女性の慢性的な不
具合の正体です。
 女性は長い間、家庭の中にいました。外で働く旦那さんの帰りを待ち、舅、姑に使え、子供達を守り、閉鎖された家庭という社会に閉じ
籠っていました。男性ひとりの稼ぎでは十分な生活がままならず、男女平等の美名のもと、好むと好まざるとに関わらず、社会という荒波
に放り出されました。女性の不具合の元をたどっていくと、そうしたこととも、決して無縁ではありません。
 ストレスだけで全ての病気を論じることは勿論できません。でも、たくさんの要因が重なってストレスが生まれることも、まぎれもない
事実です。
 たとえば会社で仕事が終わったとします。その時、あなたは気持ちのなかで、どう思っているでしょうか。
 (終わった)と言って明るくなれるでしょうか。(また、明日も仕事が続くのか)と、憂鬱になるでしょうか。気持ちの中のたったこれ
だけの違いが、日々積み重なることで、大きな違い、ストレスとなって体を蝕みます。
 環境そのものは変わらなくとも、思いひとつが変わることで、体に対する圧力はまったく違ったものになります。現代という今は、女性
の真の強さ、女性が本来持っている、良い意味の開き直りが求められる時代なのかも知れません。
  一時期流行ったものに、プラス思考発想法があります。
 問題です。たとえばあなたが、宝くじを買ったとします。その時あなたは
 (この宝くじが当たったらいいな)
 と、思いました。
 これは、プラス思考でしょうか。マイナス思考でしょうか。
 実は、マイナス思考なのです。ここに大きな落とし穴があります。
 (思いや想念が現実を引き寄せる)という発想から、プラス思考は生まれました。ですから、それでは、
 (宝くじが当たったらいいな)
 と、いう現実がいつまでも続くのであって、当たることはありません。
 つまり、当たった現実、その状況に今いる現実を想念することがプラス思考だと言います。
 心配は、転ばぬ先の杖ではなく、心配そのものを引き寄せます。どうせ引き寄せるなら、夢を、希望を、喜びを、現実のものとして引き
寄せませんか。
 わたしは、一連のプラス発想本の原点になった本と認識していますが、j マーフィー著<マーフィーの黄金律>をはじめとする一連の
著書を紹介します。ちなみに、わたしは、氏の著書を九冊持っています。
 
 次に、具体的な病名を上げてお話させていただきます。
 
 
不眠
 
 
 
 
 
 不眠で悩まれている方が多くいらっしゃいます。
 ひとつは低血圧からくる不眠です。
 低血圧の方は、頭に絶対量の血液が不足しています。血液の不足が、頭でうっ血を起こします。そのうっ血が不眠の原因です。
 頭に絶対量の血液が不足しているだけではなく、血液の流れが悪いのですから、ゆっくり首を、右回り、左回りに、それぞれ、10回程
度廻してあげてください。次に、前後、左右に頭を数回ずつ倒します。最後に両手で側頭部を挟み込み、5秒ぐらい力を入れる、抜く、を
5回繰り返します。また、首の後ろにヘアードライヤーで熱風を当てるのも効果的です。さらに、足先、手先に蒸しタオルを置く方法もあ
ります。それでも、眠れない場合は、少しぬるめのお風呂にゆっくりつかってください。
 低血圧からくる不眠の場合は、寝む前にゆっくりお風呂に入り、体が暖かい内に就寝することをお奨めします。
 次に高血圧からくる不眠です。
 血液の循環が悪いのは同じですが、頭に血液が集まり過ぎてうっ血しています。
 低血圧とは逆で、首から頭部、特に、額に冷たいタオルを当てて、頭を冷やしてあげてください。
 一番多い不眠は、高血圧の薬を飲んでいる人です。ほとんどの人の不眠の原因がこれにあたります。
 詳しくは別項に譲りますが、高血圧の薬とは、体を活性化する、つまり、体を昼間の状態にしてくれる薬です。体が昼間なのですから眠
れません。あたりまえのことです。まず、そのあたりまえのことを、あたりまえのこととして、正しく理解しなければなりません。
 エクササイズは、低血圧の人と同じです。
 
 次に程度の問題ですが、まるっきり眠れない、という不眠は非常に少ないと言います。
 事実、わたしもお目にかかったことがありません。
 ただ、眠れないと思いこんでいる人には何人もお会いしています。
 眠れないと訴える人の家の方にお聞きすると、
 「昼間、いびきをかいて寝てるんですよ。あれだけ寝れば、夜、寝られないのもあたりまえです。」
 と、言います。
 当人に伺うと、
 「昼間だって、横になることはあっても、寝ることはないです。」
 と、おっしゃいます。
 薬を飲んでいる人に割合多い特徴で、端から見ると、いびきをかいて寝ているとしか思えなくとも、当人にしてみると、どこかで、意識
を持っていて、寝ている感覚はないのだと思います。簡単に言えば、熟睡することができなく、不眠だと思いこんでいます。
 睡眠不足で仕事に支障をきたすようなことがあれば別ですが、あまり深刻にならずに、(睡眠が必要なら、眠たくなるさ)程度に、鷹揚
に構えることも必要かもしれません。
 人間の体とは不思議なもので、睡眠をまったく必要としない人が現実にいます。
 また、食物を全然摂らない人。土を主食にしている人もいます。
 わたしが、まだ、子供だった頃、近所にお茶の出し殻を貰い、それだけで生活している人がいました。
 食べ物の場合でしたら、何も食さなくとも、空気中から、人間が生きていくうえで必要な、何らかの養分を取り込んでいると考えられ
なくもありませんが、睡眠の場合は、どう考えていいのか、わたしには、まったくお手上げです。
 ただ、薬の作用としての、不眠者を生み続ける現状は、問題あり、だと思います。
 
 
 
 
 
 めまい(立ちくらみ)  
 
 
 
 
 めまいや立ちくらみは女性特有の症例とばかりは言えませんが、どちらかといえば、やはり女性に多い症状でしょうか。
 寝ている間は体も休息しています。血液もゆっくり、おだやかに循環していますが、目覚めとともに、血液の循環はフル可動を始めなけ
ればなりません。血液ががスムーズに全身の隅々に行き渡ることで、体も朝を迎えるのです。
 体の機能は、目覚めとともに必要な血液を速やかに全身に送ろうとします。ところが、肩こり、首筋のしこりなどがあれば、頭に血液を
速やかには送ることができません。そのために、頭部に必要量の血液を確保するのに、やや時間がっかってしまいます。頭に絶対量の血液
が不足している状態で起き上がろうとする時起きるのがめまいです。それは、血液が躰の急な変化に対応できていない証しでもありす。
 目覚めてすぐに動き出す時などに多く起きますが、朝だけではなく、普段でも、頭に絶対量の血液が不足している人、つまり、低血圧の
人などが、座っている状態から、急に立ち上がった時などにもめまいを感じます。
 また、逆に、入浴後、一気に血液の循環が良くなった場合などにも起り得ます。その場合を立ちくらみといいます。
 その他、目の異常、耳の異常などでもめまいは起こる可能性があります。ただし、そう多くはありません。
 めまいと立ちくらみを、なんとなく、区別して書きましたが、厳密には、どう、定義分けするのか、理解していません。
 わたしは、座った状態から立ち上がった時起きるのをめまいとし、立ったままの状態で起きるものを立ちくらみと区別して書きました
が、状態としては、字義のように、めまいは目が回ること。立ちくらみは、気が遠くなるような感覚を指すのではないかと考えています。
それであっても、勝手な解釈であり、判然と区別がついている訳ではありません。
 広辞苑を引っ張り出して調べてみても、(めまいとは、目がまわる感覚)(立ちくらみ、とは、立ち上がる時、または、立っている時に
めまいがすること)と、載っているのみで、どちらも、めまい、を、指します。いずれにいたしましても、意味分けがあいまいであるよう
に、原因は同根です。
 静止した状態から一気に活動しようとする時、血液が循環するさいのタイムラグが犯人です。そも、血流障害がある人に多い症状です。
 めまいではありませんが、朝、動いてしまえばなんともないのに、しばらくベットから動き出すことのできない人。
 しばらくすると何でもなくなるのに、寝起きには決まって手足にしびれを感じる人。
 そんな症状の人も、手、足、それぞれに血液の循環を阻害する、血流障害が潜んでいます。また、血液の循環そのものを弊害する原因が
あります。分かりやすく言うなら、不具合を発生させる、より、心臓に近い部位に、こり、が、あります。
 いずれにしても、あせったりせずに、おだやかに、ゆっくり動きだしてあげる必要があります。
 ただし、同じしびれでも、常態的にしびれを感じている場合、直接的には血流障害であっても、原因は薬の副作用、特に、血圧の薬の副
作用であることが少なくありません。
 また、日常的に感覚麻痺が有る場合は、大きな不具合を躰が知らせてくれているのかも知れません。素人判断は避け、そのままにせず、
早めの手当をお薦めします。
 そう書かざろを得ないのですが、ほとんどの場合、どこの部位であっても、こりを原因とする血流障害であり、原因であるしこりをほぐ
し血の流れを改善、正すことで解決につながります。
 
 
        手足のしびれ
 
 
 
 
 しびれも冷えと同じように血行障害がその原因だと考えています。基本となる原因は同じなのですが、似て非なるものがあります。さら
に、手と足を同列に論ずることができません。
 足のしびれを訴える人は、女性には割と少なく少数派だと思います。むしろ男性に多い症状です。
 痛みが伴うことはほとんどありませんが、しばらく歩くと動けなくなり、休んでいると、また、動きだせる人がいます。歩行できる距
離、時間が短くなり、しまいには、家の中だけの動きに限定されます。
 それは、必要な絶対量の血液が患部に足りていないことによります。血液が不足した状態で歩くことで、血液を消費します。足らない血
液を消費するのですから、さらに血液が足りなくなってしまいます。結果、足が動きません。しばらく休めば、足らないながら、血液が循
環してきます。そして、動けるようになるのです。その繰り返しです。
  また、普通に歩行ができなく、ちょこまか、ちょこまかしか歩けなくなってしまってる人。自分の意識と足の送りに齟齬があり、体だ
けが前のめりになり、つい早足になってしまう人。体の動きより、意識が先行してしまい、その意識に合わて中心を取ろうとするので、足
が追いつかず、前のめりに転んでしまう人などの症状があります。
 症状とすれば重いのですが、血行障害であることに変わりありません。足に絶対量の血液が流れ込むことが肝要で、血流が改善すること
で、状態にもよりますが、ほとんどの場合回復します。
 もうひとつは糖尿病からくるしびれです。糖尿病からくるしびれはそのまま放置すれば、足の切断という重篤な結果を招きかねませんの
で、充分な注意が必要です。しびれをどうのこうのというよりは、まず、糖尿病の改善が必要です。
 足のしびれは結果です。そういったお薬があるのかどうか知りませんが、もし、足のしびれを忘れさせてくれる薬があったとしても、そ
れは対処療法であり、治療とは言えません。もし、そのお薬だけを続けるようなことがあれば、悪化させることはあっても、治癒とは結び
つきません。しびれを出すことで糖尿病を教えてくれているのですから、糖尿病に対する治療が優先されます。さらに、症状を回復させる
には、人任せや、お薬依存を改め、自分ができることは自分がするという姿勢が、なによりも大事ですし、求められます。自分ができるこ
ととは何かといえば、体を温め、血行を良くし、筋肉を柔軟に保つということに尽きます。詳しくは糖尿病の項に譲ります。
 
 手先のしびれは肘か鎖骨、手首に原因があります。言葉を変えるなら、それ以外の原因はないと言ってもいいぐらいです。
 五十肩のエクササイズをお試しください。あともうひとつ、手をダラーンとさせて力を抜き、ブラブラ揺すってみてください。即効性は
ありませんが、続けることで効果が出ます。地道な毎日の積み重ねが肝要です。
 肘、鎖骨、手首に問題がないにも関わらず、手先にしびれがある場合は少し大変です。自分の体の問題というより、外的な影響が大きい
と考えられます。
 簡単に結論付けると、薬の副作用の影響を一番に挙げます。そして、その大部分が血圧の薬の副作用です。
 副作用の影響をできるだけ押さえるには、さらなる努力が必要です。努力と言ってしまうと間違いを犯す人が非常に多いのですが、努力
と無理は違います。飽きずに継続する努力が必要だという意味で、むしろ、無理は禁物です。
 エクササイズは上記と同じです。汗をかくことも大事です。汗と共に副作用の成分をできるだけ体外に放出してしまいます。額に汗がに
じむくらいまで、半身浴で結構ですのでお風呂で体を温め、基礎体温を上昇させる努力を続けてください。
 
 実は私はとんでもないことを書いています。現職のお医者さんの目にとまれば、専門的な見地から、それこそ袋だたきにあうような内容
です。お医者さんにとっては、素人の知ったかぶりにしか思えないでしょうし、患者さんを惑わす、低級で悪質な論以前の、たわごとにし
か感じられないでしょう。
 ご批判は甘んじて受けます。でも、もう一度、冷静に考えてほしい。現在の医療が、真に患者さんを救っているのかどうかを。
 
   便秘・下痢(痔)
 
 
 
 
 
 便秘も下痢も実質同じです。お腹が動いていない。つまり、血液の循環が悪い。代謝がうまく機能しないということです。代謝がうまく
機能していないので、便秘を訴える人の多くは、どちらかといえば、肥満体型になります。
 不妊で訪れた方で、不妊の元になっている原因が便秘という方がいました。わたしにとっても、初めてのケースです。残念ですが、東京
からお見えになる方で、来院頻度も少なく、まだ、受胎まではいきませんが、それでも、便秘はかなり改善されています。
 彼女に不妊の原因が便秘であることを告げると、妙に納得します。なにか心当たりがあるのか訊ねると中学2年生から、彼女は38歳で
すから、現在まで、約25年間、一日もかかさず、便秘薬のお世話になっていたと言います。
 現在では、便秘薬とは縁を切ることができました。
 わたしはよく、
 「便秘よりは、下痢のほうがいいですよ。」
 と言います。
 便秘は、便秘からの派生、つまり、別の病気の原因になる場合があります。下痢の場合は、常備、下痢をして、体がやせ細っているので
あれば別ですが、そうでなければ、腸内を洗浄してくれます。便秘より、下痢が良い所以です。
 便秘にしても、下痢にしても、便秘、下痢を繰り返す人にしても、当人にとっては苦しく、大きな負担です。でも、かなりの部分、代謝
さえ良くなれば改善します。
 
 来院する学生さんに冗談のように、よく言うことばがあります。
 「毛糸のパンツでも履いてな」
 でも、それは冗談でもなんでもなく、真実をお話させていただいているつもりです。
 若い女の子が、冬でも生足に短いスカート、ご丁寧にへそまで出して歩いています。そうではなくとも、確実に薄着になっています。体
温が高く、抵抗力のある若いうちはそれでもかまいませんが、その無理が確実に体をむしばんでいます。
 わたしからすると、飛び込み自殺をしているようにしか思えません。
 何年か先の同級会で、お決まりのように、話しの中心になるのは病気自慢です。その光景が目に浮かぶようです。
 「毛糸のパンツを履いていれば、ダサイと、今は笑われるかも知れない。でも、20年、30年後、同年代の人が体の不調を訴える横
で、ひとごととして聞いてあげることができるよ。その時は、あなたが勝利者だよ。」
 毛糸のパンツとまではいきませんが、素直に聞いて実践してくれる女の子がすごく多くなっています。
 そこまで待たなくとも、出産時の難産、それ以前の不妊が多いのも、現代の若い人のファションとも関係するのではないでしょうか。
 血流障害、低体温の女の子は低年齢化し、小学生でも、結果としての肩こりや、便秘を訴えるお子さんが増えています。
 
 血流障害。低体温。代謝異常。結果としての便秘です。
 便秘の結果としての痔です。
 出産後に痔になったお母さんがたくさんおります。つまり、出産時に赤ちゃんを産み落とすために力みます。その力みがお尻の肛門付近
にうっ血を生み、うっ血が痔を生みます。
 便秘の人も同じように、糞が出ないことで、日常的にトイレで力んでしまいます。その力みが痔の原因です。便秘だからと日常的に下剤
を服用している人がいます。恒常的に服用を続ければ続けるほど、症状を悪化させるだけです。
 体質改善という根本治療が必要なのであって、下剤が必要なのではありません。
 便秘の結果としての痔ですから、便秘が改善されれば、痔も改善されます。
 その上で注意すべきことは、大便の時、できるだけ力まず、時間がかかっても自然に糞を出してあげること。できれば、ウォシュレット
などがあれば好都合ですが、排便の後、肛門を洗ってきれいにしてあげると効果的です。
 ご夫婦だと都合がいいのですが、つまようじを20本ほど束ね、痔の方は四つんばいになってお尻を突き出します。束ねたつまようじ
で、肛門の周りにあるうっ血の周辺を、無理のないようにチャカチャカ差していきます。患部に新しい血を入れてうっ血を散らすことが必
要で、一日で良くなることはありませんが、うっ血がなくなるまで、何度か繰り返します。
 指サックなどを用いて肛門内部に指を入れ、腸壁を直接刺激する方法もありますが、経験のない人にはちょっと無理だろうと思います。
 
 下痢について、さらに、少し言及します。
 下痢をすると、皆さんびっくりして、物を摂らなくなります。下痢をした時は、思い切って、どんどん、食べてください。どんどん飲ん
でください。どんどん出してください。逆療法ですが、効果的です。
 心配から、物を摂らないと、かえって症状が長引きます。
 実践すると、おおよそ半日、長くても、1日で通常の状態に快復します。
 便秘のエクササイズは、肩こりをご参照ください。
 
       頻尿(膀胱炎) 
 
 
 
 
 頻尿も血流との関係で捉えることができます。
 血流が悪ければ、内臓に十分な血液が供給されません。その結果、内臓そのもの、ここでは特に膀胱が活性化されません。活性化されな
いとは、ズバリ、おしっこを溜める絶対量のキャパシティーが不足するという意味です。膀胱に絶対量のおしっこが溜められないばかりで
なく、淀んだ血の流れが膀胱を外側から圧迫もします。その状態が頻尿です。
 同じ症状は人為的にもおこります。主に血圧のお薬を飲んでいる人です。
 血圧のお薬は利尿剤です。簡単に言うと、腎臓の周りに働きかけ、おしっこを積極的に出してあげ、体を活性化することで、相対的に血
圧を下げる働きをしています。おしっこを出すお薬を飲んでいるのですから、それは頻尿になるのが当たり前で、むしろ、ならないことの
ほうが不自然なのです。
 頻尿のもっとも効果的な改善策は、(がまん)することです。我慢することで、膀胱のキャパシティーが改善されることが実証されてい
ます。ただし、ここで問題がひとつ生まれます。我慢をしても、頻尿が改善される人がいる一方で、我慢をすると、膀胱炎になってしまう
人がいるという事実です。
 膀胱炎の原因は大腸菌です。大腸菌は糞に多く含まれます。構造的に、お尻と尿道口の位置関係が近い女性に、比較的に膀胱炎が多いの
はそのためです。おしっこを我慢することで、尿道を湿らせた状態にしてしまいます。そこに入り込んだ大腸菌が尿道の側壁に炎症をおこ
します。それが、膀胱炎です。
 頻尿の改善策は、おしっこを我慢することです。おしっこを我慢することで、頻尿が改善される方がいる一方で、我慢すると、膀胱炎に
なってしまう人がいます。膀胱炎になったらどうするか。水分をできるだけ取って、おしっこと一緒に大腸菌を流してしまえばいい。つま
り、こんどは、おしっこをどんどんしなさいと言うのです。
 どうどうめぐりの改善策です。
 さらに、膀胱炎が、いくらおしっこをしても、改善しないばかりか、お腹にまで痛みが出てしまう、日常生活までままならなくなってし
まう人がいます。間質性膀胱炎です。大腸菌が膀胱内部まで侵入し、膀胱内部に炎症を起こします。どうどうめぐりのいたちごっこです。
 何度も書きますが、小手先だけの改善策、人頼みの解決策ではなく、皆さんがそれぞれにお持ちの自浄作用、さらには、それを引き出す
ための基礎体力、血流の改善、低体温からの脱却が、何にも増して必要なのです。
 
 尿漏れ、にも少し触れたいと思います。
 膀胱と出口までの距離が短い女性の場合、尿漏れは、まず、あたりまえのことだと定義しています。ストレス。血流不全。低体温。など
があれば、比較論になりますが、他の人と比べれば尿漏れは深刻になります。
 あたりまえ、とした上で、さて、どうするか、です。
 おしっこの途中でおしっこを止める訓練をすることが、より、効果的だと考えます。尿道内部を筋肉と言っていいものかどうか知りませ
ん。なんとか筋とか名称があるのでしょうが、知りませんので筋肉と呼ばせていただきます。わたしは、その筋肉の問題だと思っていま
す。その筋肉をおしっこを止めることで訓練してあげるのです。そんな簡単な問題ではない、と、横やりが入りそうですが、事実、効果を
上げています。
 最初はおしっこの途中でお尻の穴をすぼめようとしてみてください。除々に意識を前に持っていきます。止めようと思えば、いつでも、
おしっこが止められるようになれば成功です。成功したら終わりなのではなく、その後も、時々は繰り返してみてください。
 わたしは、尿失禁にしても、ごく単純に尿道内部、尿道口の感覚麻痺だと思っています。麻痺させないためにも、普段使う事もない、尿
道を、意図的に動かせてあげることが、尿失禁の予防にもなります。
 詳しくは省きますが、おしっこを途中で止める訓練をすることが、下世話なことで申し訳ありませんが、夜の夫婦生活の一助にもなりま
す。
 
 
逆子
 
 
 
 
 
 この項を書いている本日、わたしがお手伝いさせていただいて、13年目で初めて妊娠することができた、あるご夫婦に、帝王切開で赤ち
ゃんが誕生します。わたしは普通分娩での出産とばかり思っていましたが、逆子だったので、帝王切開での出産になったようです。
 詳しいことはよく解りませんので、解らないまま論評することもどうかと思うのですが、逆子を直したりせずに、帝王切開のほうが良い
という判断だと聞きます。
 はたして、その判断が、彼女だけのための判断なのか。それとも広く一般化しているのか。その病院特有の考え方なのか。産科全体が逆
子は直さず、帝王切開をする方向に動いているのか、残念ですが、解りません。
 逆子を直す方法はあります。わたしの知る限り、しばらく前までは、産院でも、逆子を直す指導をしていました。今回のその産院の判断
は、無理をすることで、胎児の首にへその緒が巻き付いてしまったりすることが多いので、帝王切開のほうが安全だという判断のようで
す。
 逆子が直らず、母胎への影響も考慮して、帝王切開ならうなずけます。でも、鼻から逆子を直そうとするのではなく、自然にまかせ、逆
子が直らないから帝王切開というのは、違和感を覚えます。
 逆子が自然に直る割合はいくらで、運動などの療法で直る割合はどのくらいあって、その内、へその緒が首に巻き付くような症例はどの
くらいあって、その中で、赤ちゃんの生命、及びその後に重大な問題が提起されたのはどの程度あって、そういったひとつひとつを勘案し
て、最後の選択としての切腹なら理解できるのですが・・・
 医学的な見地とはまったく関係なく、わたしの独断を書きます。
 んんーん。どうでしょう。わたしは医学界に口出しする立場にありません。でも、帝王切開に限らず、手術は、緊急の時、さらに、他に
方法がなく、ばんやむをえない時に限定すべきと考えます。
 今回のケースが前記に合致しているのかどうかは判断がつきかねます。いずれにしても、詳しいことは解りませんので、上記の帝王切開
がそうだと言うつもりは、まったくありませんが、一般論として、手術が、少し安易に行われ過ぎてはいないでしょうか。
 内臓はできるだけ生で空気に触れさすべきではないというのがわたしの考えです。
 素人が解ったようなことを言うなと言われそうです。もっと深くお知りになりたい人のために、ここではアンドルーワイル著<人はなぜ
治るのか>を紹介するに止めます。
        女性特有の症状 まとめ  
 
 
 
 
 
 当院には、定期的に通ってくださっている人というのは、ほとんどいらっしゃいません。
 現在を例にすれば、週に一度、来院している方は一名だけです。二週に一度、月に一度、という方は、いらっしゃいますが、それでも、
他と比較した時、異常に少ないだろうと思います。わたしも、積極的には、来院を促さないのが、一因なのでしょう。
 痛みのある方は、痛みが取れれば、来院しません。
 「不具合の箇所が、どういう状況になっているか、一週間後ぐらいに見ておいたほうがいいですよ。」
 と、言っても、痛みがなくなれば来院しません。まだ不安が残る人にしか言わないのですが、それでも、再度、来院してくださる方は、
ごく少数です。
 また、遠方からの来院も多く、物理的な問題もあります。
 わたしは、皆さんがどこへ行っても、必要以上に悪く言われ、通院を促されることに慣れっこになっているからだろうと、なかば、あき
らめています。この頃では、私も聞かれない限り、痛みという症状だけの人には、来院を促すことはしません。痛みが残っていたり、違和
感があれば、勝手に来るだろう、ぐらいに思うことにしています。
 本当は、悪い箇所が、ある程度、安心できる状況にさえなれば、再発が少なくてすむのですが、それでも、仕方がないとあきらめていま
す。
 痛みだけに限定すれば、一度で取れなければ、二度。二度で取れなければ三度だけのことで、現在では、通院を勧めることもしません
が、どうしても、積極的に、しばらく通院を促す人がいます。
 それは、痛みという自覚症状があろうが、なかろうが、血流の悪い人です。それも、よっぽど、重い、と感じた人だけです。ところが、
いかんせん、そういう人達には、血流が悪いという、自覚症状がありません。
 できるだけは、理解していただけるように、お伝えするのですが、血流が悪いという自覚症状もなく、それが、将来に向かって何をもた
らすのかの恐怖を、私が心配し、不安に思うほどには、理解していただけません。わたしの不徳でもありますが、本当に、定期的に、通院
することが必要だと感じる人の通院が、少ない道理です。
「言われた時に、ちゃんと通っていれば良かった。」
 後になって症状を重くしてから、皆さんが異口同音に言われることばです。 
 わたしは、定期的にいらしていただいていた方が、いらっしゃらなくともよくなることが、最高の喜びです。わたしなどが、必要なくな
ること、わたしに、ご縁がなくなることが、なによりも幸せです。
 それでは、あがったりですが、わたしも、六十、世間では、定年です。その時は、いさぎよく、探求所を閉めます。そして、少し、のん
びりさせていただき、また、別の、人のお役に立てること、誰かに喜んでいただけること、を、模索します。
 前にいらしていただいていた方が、2〜3年後にいらしゃることがあります。
 「すっかり、ご無沙汰して、すみません。」
 と、言ってくださいます。
 わたしは
 「ご無沙汰がなにより。用がないのがなにより。」
 と、応じます。
 久しぶりに、掴まらせていただくと
 (こんなに良くなっていれば、それは、来ないわな。)
 そう、心の中でつぶやきます。
 その時、無上の喜びをかみしめます。
 
 体の不具合を教えてくれる痛みは、ありがたいのです。痛みを感じない不具合は、大きな病気のとば口になる可能性があり、だから、怖
いのです。痛み、特に、外的な痛みは、軽重で言えば、だから軽いのです。血流が悪いのは、自覚症状が具体的でないだけに、だから重い
のです。
 「悪いところは。」
 と尋ねても、特に悪いところをあげることはできない、それでいながら、
 「体中がたがたなんです。」
 と、おっしゃられる。それが最たるもので、血流が悪い人の大きな特徴でもあります。
 「こんなになるまで、よく、我慢できましたね。」
 と、思わず言ってしまう時があります。ところが、言われた当人は、自分ではそれほどに感じていない人が大半です。
 人間の体はよくしたもので、痛みを通り過ぎ、症状が悪化すると、逆に、何も感じなくなってしまいます。だからこそ、痛みは大事なの
です。
 痛みにも二種類あり、放っておいてもいい痛みと、放っておいてはいけない痛みです。不思議なのですが、通院する絶対量の方は、放っ
ておいてもいい人です。
 前に、女性は身体的には弱いけれど、弱いからこそ、些細なことが気になる。気になるから、早めに手当を受ける。早めに手当を受ける
から、結果として長生きする。と、男性、女性別に考えを書きました。この方式を、健康、不健康別に当てはめます。
 健康な人は、いつも健康ですから、ちよっとした不具合でも、些細なことが気になる。些細なことが気になるから、早めに手当を受け
る。だから、健康が維持できる。
 不健康な人は、こんな状態でよく生活ができた、と、思うほど悪い。ところが、当人にすれば自覚症状がない。自覚症状がないから、手
当が遅れる。不健康な人は、より、不健康に、さらには、より重篤になる。
 結果、健康な人は、より、健康に。不健康な人は、より、不健康に、の方程式が完成する。
 健康な人がなる不具合は、不可抗力の要因、たとえば、ねんざ等や、疲れからくるもの、腰痛等です。時間の経過や、ゆっくり休息を取
ることでも解決します。ところが、健康な人は、必要以上に不具合を感じてしまうので、手当が行き届きます。つまり、放っておいてもい
い痛みでも、手当てされます。なんであれ、真っ当な治療であれば、速めに手当てされ、悪いはずはない。健康な人は、益々、健康になり
ます。
 ですから、痛みがあるうちは、まだ、いいのです。
 不健康な人も、初期の段階では、そっちこっちに痛みがあります。痛みがそっちこっちにありますから、いちいち取り合っていられな
い。健康な人と比べると、感性も鈍い。鈍いから我慢ができる。まして、それがいつもの体です。そのうち痛みをあまり感じなくなって、
さらに、痛みもなくなって、結果、治ったと錯覚する人が多い。
 筋肉が硬直し、神経が圧迫され、感じなくなっているだけですが、当人はそれに気づきません。。私にすれば、健康な人との比較になり
ますから、客観的に、いちじるしい違いを感じます。当人も、たとえ痛みは感じないにしても、だるさや、全体の重みとして感じているは
ずです。感じているはずですが、当然、他の人との比較はできません。当人にすれば、それが、いつもの身体、いつもの状態です。他の人
も同じようなものだろうと、無頓着でいることになります。
 
 ここまで、女性特有の症状について、具体例をあげて、私見を述べてきました。
 女性の不具合の、元の元は、ほとんどがストレスであること。そのストレスが、血行不良をおこすこと。血行不良、つまり、血液の循環
が悪いことで、低体温になること。低体温が、女性特有の症状を生んでいること。これが、不具合の連鎖です。
 不具合の連鎖を断ち切り、健康になるためには、では、どうすればいいか。実はたくさんあります。たくさんありますが、それは、実行
されて初めて有効になります。どんな改善策も、実行されなければ、絵に描いた餅です。
 環境そのものは変えることができなくとも、思考回路、思い方の癖、物の見方、とらえ方、気持ちの有り様は自分で変えようとすれば、
どのようにも変えることができます。つまり、環境は変えられなくとも、環境に上手に順応し、思い、対応を変えることで、ストレスに強
い体質を実現することができ、その必要性を説いたつもりです。
 後ほど書きますが、重要なのは六点だと考えています。その中でも、特に重要だと考えるのは、そのエクササイズにはない番外、(思
い)です。
 不平、不満、愚痴を並べ立てることではなく、何にでも感謝し、喜べる自分になることです。
 そして、一日20分〜30分、半身浴で結構なので実行し、基礎体温を上げる努力をすることです。不思議なのですが、基礎体温が上昇
するとともに、ネガティブだった人が、ポジティブになり、そればかりか、運気まで上昇した人を何人も見ています。つまり、基礎体温が
上昇することで、六点のエクササイズの上にある、(思い)も改善されます。
 まず、半身浴から初められてはいかがでしょう。たったこれだけのことでも、毎日続けるのは大変なことです。初めるかどうかさえ、思
い悩みます。でも、何かを初めなければ、何も始まりません。費用がかかるわけでもありません。毎日していることを、少し、長めにする
だけです。
 あなたの健康はあなたにしか守ることはできません。せっかく、両親からいただいた、大事な命です。大事に大事にいつくしんであげて
ください。
 
 
 
 
 
 
 
 

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