暴言・極言・迷言
 
   生体/整体/斉体/精体/正体/せいたい/の歩き方
 
  常識を疑え! ちょっと変わった生体のお話
 
 
 
 
 
 
 
 2 難病を考える
 
        アトピー
 
 
 
 
 
 ある、皮膚科にお勤めの看護師さんからお聞きした話です。
 先生が、漢方薬の本を何冊か重ねて読んでいました。その看護師さんは、家の先生は偉いな、これからは患者さんの要望も出るだろう
し、時代を先取りして、漢方薬を勉強しているんだ、と、思ったそうです。
 ところが、あにはからんや、お孫さんが皮膚病になり、お孫さんに付ける漢方薬を選んでいたといいます。
 自分のお孫さんには塗ることのできない薬を普段は出していることになります。でも、決して、お奨めできない医院などではなく、逆
に、わたしなども、好印象を持っている医院なのです。
 実は、このような例は、決して、少なくはなく、お医者さんの奥さんが、漢方薬を使用していることなどは、まま、あることです。
 ただし、わたしは、漢方薬だからいいとは、イコールで思っていません。
 何はともあれ、自分の身内にできない処方を、治療とは言いません。
 薬の服用に不安を感じている来院者に、言うことがあります。
 「お医者さんに尋ねてみてください。身内の人がわたしと同じ病気になった時、同じ、治療ができますか。」
 と・・・。
 医師の返答、示す態度はどうあれ、自分を守ることができるのは、だれでもない、自分だけです。たくさんの患者さんご自身が、医師に
問いかけ、医師の自覚と、注意を喚起することも大事です。
 
 4歳、男性、Eさんの場合 
 
 ホームページをご覧になり、お母さんからメールをいただきました。
 予約をしたいということでしたが、静岡県からでした。
 Eさんの場合とはだいぶ違うのですが、電話で、予約したいという人に多い特徴を、寄り道をして書きます。
 治療中にもかかわらず、自分の症状を延々と、お話になります。そして、最後にこうお尋ねです。
 「治りますか。」
 わたしは、直すのはご当人自身だと言っています。そのお手伝いをさせていただくだけです。まして、(治る)と口にした時から、医療
行為をしていることになります。でも、それでは質問に対する返答になりませんし、説明する時間もありません。つい、口ごもってしまい
ます。後ほど、電話を差し上げることを話しても、なぜか、また始めから説明しだす人までいます。
 たとえば、ある症状の方のお手伝いを100人手がけたとします。その100人が、100人とも、回復したとします。でも、新たに施
術させていただいた方が、回復しない、初めてのお一人になる可能性は常にあります。それとは逆に、今までは、100人が100人、何
の回復もみられなかったとします。でも、回復する、初めてのお一人になる可能性だってあるのです。
 体はそれぞれで、みんな別です。その方の性格も、環境も、状態も、全てが違います。10人いれば10人、100人いれば100人、
全てが違った、お一人お一人です。方法論や手順にこだわったり、つぼに惑わされたりすれば見えてこないものもあります。それぞれの状
態に、それこそ、手探りで模索するのです。
 回復率をパーセントで表すことはできます。100人施術したとして、99%の人が回復しているとすれば、症状にもよりますが、驚異
的な数値です。でも、数値からすればたった1%のお一人にとっては、回復しない、たったの1%なのではなく、良くならない100%な
のです。口ごもる理由はここにもあります。ですから、諸々を勘案して、
 「させていただかなければ分からない。」
 そうお答えするようにしています。不安に思うのか、
 「後でまた電話します。」
 と、それっきりになる人もいます。でも、それは、ご縁がなかったものとあきらめています。
 メールをいただく方の特徴で一番多いのが、これこれこういう症状ですが、病名は何か、という質問です。
 (病名が分かると、痛みは軽減されますか。病名は何であれ、痛みから解放されたいのではないのですか。)
 このように、余計なことから、返答を書くことになります。
 メールをくださる方の気持ちも分からないではありません。いつまでたっても、良くなる実感がない。本当は違う病気なのではないか。
相談するところもない。心配が心配を生む。その不安が、病名探しのメールになるのだと思います。
 治療する医療なのではなく、病名を決めてくれる医療の弊害がこんなところにも浸透しています。
 病院に、たとえどんな高価な機器が導入されても、その機械は、お医者さんの為の機械で、患者さんの為のものではありません。それ
は、そのほとんどが、治療する機械ではなく、病名を決定する機械だからです。
 病名が解れば、治療方法は、自ずと明らかになると考えられた時代がありました。病名の決定に心血を注ぎ、血道をあげました。その時
代から一歩も前に進んでいません。あいも変わらず、部分にこだわり、病名の決定が第一義です。        
 返事のメールはその都度書きますし、エクササイズも挿入します。推敲もできませんから、ついつい長文になってしまうのですが、ひと
つ残念なことがあります。それっきり、返事のない人が非常に多いのです。別にお礼を言われたくて相談メールを受けているのではありま
せんが、現代の世相を反映しているようで、時に、むなしさと、寂しさを覚えます。
 言い訳がましい説明が長くなってしまいました。
 現在でもそんなに変わったわけでもないのですが、当時は、より、経済的に困窮しており、わたしが困っているからこそ、相手に、経済
的な負担をかけたくないと思う気持ちのほうが勝っていました。
 現在は、(してみなければ分からない)ことを大事にして、掴まらせていただくことを最優先にさせていただいていますが、Eさんに
は、来訪するのは後のこととして、まずメールで、お母さんが、お子さんに施すエクササイズをお教えしました。
 
 ○ お風呂上がりにお子さんを仰向けに寝かせます。
 ○ 両膝を立て、お腹の腹筋を緩めます。
 ○ お腹を手のひらで、ひらがなの、<の>の字を書くように体全体を揺らしぎみに、10回撫でてください。
 ○ 次に右の胸の上に左右の手を重ねて置き、ゆっくり、5回、負担にならない程度に垂直に押してください。
 
 なぜ、そうするかは、書きだせば長文になりますので省略します。
 わたしは、Eさんのことをすっかり忘れていたのですが、お電話があり、2ヶ月ほどですっかり良くなり、一ヶ月様子を見ていたが、再
発するようなこともない、ということでした。
 
 8歳、男性、Fさん、11歳、女性、Gさんご兄弟の場合
 
 (揉んだくらいで良くなるなら、お医者さんはいらないでしょう。)
 お姉さんから紹介されても、子供達のお母さんは、どうも、そう、言っていたようで、三月ぐらいは来院しませんでした。
 見かねたお姉さんが無理に引っ張ってきたようで、お母さんは、渋々付いてきた様が態度に表れていました。
 1回目の施術の翌日には、肘の内側、膝の裏側が改善され、翌週の2回目の施術の翌日には、目に見えるアトピーは消えました。
 「状態は良くなっていますが、お腹がまだ動き出していません。お腹が動き出すまで続けてください。」
 そう言いましたが、さらに、お姉さんからも注意を受けたようですが、
 (治ったのだから大丈夫)
 と、それきり来院しませんでした。
 半年後ぐらいに再発したようです。わたしどもには来づらかったようで、それこそ、評判の医院に行かれました。
 てっぺん、ステロイドを処方され、再々発には2ヶ月と掛かりませんでした。その後、2年間、その医院の治療を継続し、来院した時
は、見るも無惨な状態でした。
 途中を省略して結果だけを書けば、週1度の施術で、改善が見られるまで、2年近くを要しました。途中、お母さんはお金のこともあ
り、あきらめかけた時もあったようですが、施術後、楽になることを承知し、また、プールでみんなと同じように泳ぎたいという子供たち
が、お母さんの尻を叩いてくれたようです。
 
 
 77歳、男性、Hさんの場合 
 
 わたしのおじさんで、アトピーではなく、湿疹です。
 湿疹の原因は、服用している薬で、他人であれば言いませんが、将来的には、膵臓癌の危険を指摘しました。透析ではなく、なぜ、膵臓
癌を指摘したのかは、自分で言っておきながら覚えていません。
 高血圧の薬を手始めに、次々に種類が増え、それこそ、大きな紙袋にでも入れておかなければならないほどの量の薬を処方されていまし
た。まさに、薬が薬を呼ぶ、薬の連鎖です。
 ほどなく、黄疸が出て、救急車で病院に搬送されます。
 わたしは、自信を持って、薬害、と、断定したのですが、入院直後は原因不明とされました。
 入院先では、他の病院から何億円とかの機械をお借りして、半月以上かかって検査をした結果、出された判断は薬害でした。
 薬害と診断されると、治療は何も行われません。全ての薬の服用を中止し、病院で寝ているだけです。それでも、おじさんは、見る見る
回復していきました。回復が認められると、実に滑稽な、笑い話としか思えないようなことが起こります。
 「体力も大分回復してきましたから、少しお薬を飲んでみましょうね。」
 何の治療もせず、薬の服用も中止することで良くなった体に、また、薬を入れるというのです。
 こんどはまさか薬を拒否するだろうと思っていましたが、唯々諾々、おじさんが、薬を拒否することはありませんでした。
 因果関係は別として、結論だけを言えば、2年ほどで、膵臓癌からの転移で死亡しました。わたしは、小学生から中学生の一時期、その
おじさんに預けられていたことがあり、何のお役にもたてなかったことが、今だに残念でなりません。
 
 83歳、男性、Iさんの場合
 
 やはり、遠縁にあたる方で、経緯はほとんどHさんの場合と同じです。
 違うのは、大量の薬を服用しているのに、お腹が機能していることでした。その体にかくも大量の薬がなぜ必要なのか、わたしには理解
できませんでした。
 Iさんが担ぎ込まれたのは掛かり付けの病院です。
 自分が薬を処方しているのですから、薬害とは言えないだろうな、と、思っていました。案の定、軽い脳梗塞という判断でした。事実が
どうであったのかは解りませんが、少なくとも、わたしだけは薬害を疑っています。 
 その後、退院すると、薬の量が、極端に減ったことは言うまでもありません。わたしは、薬は恒常的に取るべきではないと考えています
から、退院後の種類でも多いと感じていました。ただ、ここで問題なのは、わたしが、どう感じるかなのではなく、退院後の種類でいいも
のを、なぜ、入院前に、あれほど摂取させておかなければならなかったのか、の、一点に尽きます。
 Iさんは、脳梗塞ということで、自動車の運転免許証を返上しました。いいきっかけになったのかも知れませんが、退院後、何の後遺症
もなく、不便を嘆くことしきりです。
 
 29歳、女性、Jさんの場合 
 
 3歳で発症し、26年間、アトピーで苦しまれました。
 幼児期に症状が出て、成人になるまで長期間、アトピー、ぜんそくで苦しまれている方には、大きな特徴があります。とっても可愛がら
れ、大事にされました。それが、仇になります。小児性のアトピー、ぜんそくは放っておけば、ほとんどが、いつか治ります。可哀想で、
何とかしてあげようとした結果が、長期間の苦しみに直結します。親御さんに心配するなと言うのは酷でしょう。問題があるとすれば、
運び込まれる病院の対応ではないでしょうか。
 最初、Jさんの顔を触らせていただくと、人間の皮膚ではなく、まるで、段ボール紙に触れているようでした。
 ステロイドの恐怖なども、すでに熟知していました。
 「少し、長く掛かってしまうかもしれませんが、徐々にステロイドから距離をおけるようにしましょう。ここまで来てしまったのですか
ら、焦らずに、我慢できない時は、お薬の使用も仕方ありません。除々にであっても、使用回数は減少していきますから。お腹が動き出せ
ば、必ず、自分の体は自分が直せますから、ぜったいに諦めないで。」
 そう、話しました。
 ところが、それっきり、ステロイドを使用することはありませんでした。かゆみがきても、我慢できるようになった、と、言います。
 3ヶ月間位だったと思いますが、週に一度の来院でした。現在は、年に一度も来院すればいいほうでしょうか。
 顔の色はまだ、黒っぽい色が抜けませんが、皮膚は、まったく、通常の皮膚の肌触りになっています。後は、時間の経過のなかで、体内
に取り込んだ薬の成分がなくなることを待つのみです。
 
 不具合で多くの人が苦しんでおられます。特に、アトピー、喘息、むち打ち症、膝痛、腰痛などは、発症した初期の段階で、ごまかしで
はない、ちゃんとした手当てさえ行われていれば、こんなにも多くの人が、長期間に渡って苦しまれなくともいいのに、と、思わないわけ
にはいきません。
         ぜんそく  
 
 
 ぜんそくも、アトピーと、基本的に同じです。原因は厳密には分りませんし、お腹に硬直がみられるのも一緒です。
 でも、ぜんそくには、アトピーと違う特徴、いいえ、大きな問題があります。
 お子さんは、たとえ、薬を服用していても、初期の段階です。少し、進んでいても、お子さんが、薬を自分からほしがることはありませ
ん。誰も薬を与えないことで、歯車は快方に向かいます。ですから、ほとんど問題はありません。
 ところが、成人している人の場合は、
 (もし、発作が起きたらどうしよう)
 その恐怖が先に立ち、どこまでいっても薬依存から離脱することができません。
 当院で施術を受けた成人者で、完治した人は、3名しか数えることができないのです。
 お腹さえ動きだせば、後は、薬を絶つことで、ぜんそくは良くなります。
 何度も同じ説明を繰り返すこともないと思いますが、ぜんそくであれ、なんであれ、薬が、悪い症状を継続させる大きな原因になってい
ます。最終的には、薬を中止することでしか、快方に向かう道はありません。
 薬を飲むのを止めるよう指導すると、とたんに来院しなくなります。ほとんど発作が出なくなり、その後に薬の服用の中止をお勧めして
も同じで、いらっしゃらなくなってしまいます。ぜんそくを持っている人にとっては、そのぐらい発作が恐いのです。
 わたしの力では、その先は、いかんともし難く、どうにかしたくとも、お手上げの状態です。余計なことは言わず、薬の服用の中止の提
案などせずに、継続、長期化することを納得し、了解を求めた上で、施術するしかないのかもしれません。
 
 73歳、女性、Kさんの場合
 
 来院前は月に3〜4回の発作があったようで、酷い時は、週3度も発作がありました。
 施術後は、2〜3ヶ月に一度ぐらいの発作に減少しました。減少はしたのですが、発作が治まったわけではなく、その状態が続いていま
す。なぜ、その状態が継続するのか、理解できませんでした。
 面識も何もなく、伝聞情報でしかなかったのですが、白河市にある、ある医院に行かれることをお勧めしました。
 その医院は、
 (ぜんそくは治せる)
 の信念を持ち
 (薬は止めさせるために飲ませる)
 を、前提としている、と、お聞きしたからでした。
 Kさんもその医院の話しは知っていました。知ってはいても、Kさんのお住まいは白河市から離れており、遠くのお医者さんにかかって
いて、もし、発作が起きた時、近くの医院で駆け込む所がなくなってしまうことのほうが不安で、躊躇していました。何度か説得して、よ
うやく足を運ぶことになりました。
 Kさんがそれまで通院していた医院は、それでも、ぜんそくを治してくれると評判のある医院でしたが、白河市の医院で判明したこと
は、実に驚くべき事実でした。ぜんそくの予防薬を処方されていたのです。
 「ぜんそくの人に予防薬を処方するなど考えられない。まだ、それはいいとして、それで効果がなければ、薬を変えるぐらいの知恵はあ
ってもいいはずだ。それを8年間も継続して服用させ続けるなど、治療を放棄しているとしか思えない。気道が真っ白になってしまってい
て、もう少しで手遅れになるところだった。薬をすぐ中止することはかえって危険だ。時間はかかるが、様子をみながら薬の量を少なくし
ていきましょう。」
 Kさんからの伝聞を元に構成したあらましです。
 成人の場合は、発作がある程度治まって、最後に薬の中止をお願いするのが普通です。ほとんどの人がそこで落ちてしまうのですが、K
さんのように、薬の中止の要請までも行かずに、途中で足踏みしてしまうことは、わたしにとって初めての経験でした。その経緯をお聞き
し、ようやく納得がいったのでした。
 アトピーのところで、FさんとGさんご兄弟を紹介しました。その兄弟が最初に治療を受けていたのが、後で判明したのですが、その、
白河市の医院でした。適正な治療が行われていたからこそ、少しの後押しで効果が表れたのです。
 白河市の医院で、薬をやめるための治療を受ける。Kさんが、その医院で、当院のお話をされたかどうかは知りませんが、勝手に連動し
て、当院で、その後押しをする。ほんの数度、その繰り返しをしただけで、Kさんは卒業されていきました。
 その後、4〜5年になりますが、Kさんがお見えになることはありません。でも、うれしいのは、毎年、必ず、年賀状をお寄せください
ます。
 
 75歳、男性、Lさんの場合
 
 Lさんの事例については、書こうかどうしようか、迷いました。今でも迷っています。ですから、後で、削除するかも知れません。ぜん
そくとは関係がありませんし、ただの告発にしかならないかも知れません。
 Kさんの事例を書いているうちに思い出してしまいました。
 Lさんは息子さんのお嫁さんに連れられて来ました。痛み止めを注射され、フラフラで、足取りも覚束ない態でした。
 特に、血液の循環も悪くはなく、ただの腰痛です。ただ、血液の循環は悪くないのに、快復力が弱いという矛盾がありました。
 Lさんは、農業に従事し、山狩りなどもしており、使用頻度の高い腰に負担がかかることはしかたがありません。でも、血流は決して悪
くないのですから、回復をじゃまするもの、つまり、常態的な薬の服用が予想されました。しかし、その身体の状態では、高血圧であるは
ずはなく、何の薬を摂取しているのか、健康食品的なサプリメントかとも考えました。
 山狩りをした時に腰を痛め、その治療に、血液をサラサラにすると称する薬を処方され、それ以来38年間、その薬を飲まされ続けてい
たのです。
 血液の循環を高め、腰痛の快復力を促す、という意味において、最初の処方は理解できます。でも、その薬を38年摂らせ続けること
に、どんな意味があり、どんな必然があるのでしょう。
 さらに、
 「あなたの命はわたしが全て診ている。もし、余所に診療に行くようなことがあれば、二度と診てあげないから。」
  しょっちゅう、そう脅かされてさえいたと言います。
 病気に対して、わたしなどが主ではいけないと思っています。適正な医療行為が実施され、お医者さんが、手をかけられない部分について
補完する。もしくは、一日でも早く完治するための後押しをさせていただく。現場での医療の理論構築、方向性はお任せでき、考えを共有
して、隙間を埋めていく。それが本当だと思っています。いいえ、むしろ、わたしなどは、必要がなくなってもいいとさえ考えます。
 保険も利かない。高い料金まで払って、遠方からまで、なぜ、患者さんがわたしどものような所にいらっしゃるのか、信頼され、尊敬を
集めるお医者さんだからこそ、そこのところを、もう一度よくお考えいただきたいと思います。
 
 
 
膠原病(リューマチ)
 
 
 
 
 
 54歳、男性、Qさんの場合
 
 五十肩で5年間ほど苦しんでいました。だんだんと、手を動かすこともできなくなり、仕事も続けることができなくなって、失業状態で
来院しました。
 ところが、症状は間違いなく五十肩なのですが、悪い箇所が見あたりません。
 「悪い部分があって初めて応援ができます。悪い部分がなければ、応援のしようがありません。ただ、現実に間違いなく手が挙がらな
い。手が挙がらない原因となる何かが隠れているには違いありません。その何かを探しあてるために、あとはわたしを信頼していただける
かどうかです。」
 「5年間、医者にも何件も行きました。接骨院も、マッサージも、整体も、良いと聞けばどこにでも行ってきました。でも、どこに行っ
ても良くなりません。どこへ行っても五十肩と言うばかりです。どんな治療を受けても、してもらった時は少しは増しになっても、どんど
ん、悪化するばかりです。あとはもう行くところがありません。なんとかお願いします。」
 そんな症状の人は、わたしにとっても初めての経験でもあり、雲を掴むみたいな話しで、正直、不安でしかありませんでした。わたしが
縋っていたのは、(原因のない結果はない)とする信念と(原因があれば、必ず顔を出す)とする思いだけでした。ところが、週に一度、
計六度、施術をさせていただいても、ぜんぜん何も出てきません。
 仕事をしていない人にお金を使わせたくはない。施術を続けていけば、必ず原因が出てくる自信はあっても、それがいつになるのか、全
く見通しがたたない。もし、次の施術で変化がないときは、お詫びするしかない、と、覚悟を決めた七回目の施術でした。初めて変化が表
れたのです。
 リューマチです。でも、どうもそれも本質ではないようなのです。しかし、リューマチが出れば、疑いは、膠原病にまっすぐです。
 わたしは、お医者さんに行って膠原病の検査をすることを勧めました。
 ところが彼は、
 「5年も通っても五十肩だと言うばかりで何も見つけてくれませんでした、もう懲り懲りです。」
 と、言うばかりで、医者に行こうとはしません。
 「医者と違って、わたしは診断することも、病名をつけることもできないですよ。まして、それが、正しく、膠原病であると確認できれ
ば、違う原因をさらに疑うことをしなくともすみ、安心してお手伝いできます。」
 そう説得しても無駄でした。
 親戚からも、
 「膠原病だったら、揉んだくらいで治るはずがあるめえ。ちゃんとした医者に診てもらえ。」
 そう何度も説得されたようですが、とうとうお医者さんには行きませんでした。
 彼が医者に行ったのは、それから3年が経過した後でした。
 施術の過程の段階で、体中の関節に痛みが出てきました。そして、その痛みは場所を変えていきます。わたしにしてみれば、それは最終
段階にさしかかったシグナルですが、当人にとっては不安が大きいはずです。
 「わたしは、胸突き八丁、最終段階まで来たと判断しています。自分の体がどういう状況に置かれているのか、今度こそお医者さんで検
査を受けてみてください。」
 「検査の結果は、これだけ体中が痛いのに、異常なしだそうです。」
 痛みはその都度場所を変えながらしばらく続きましたが、今では、その痛みからも解放されています。現在は、本当は月に二度と言いた
いのですが、月に一度来院され、自らも体質の改善を図っています。
 
 60歳、女性、Rさんの場合
 
 彼女は糖尿病で、インシュリン注射をしており、仕事も早期退職して、治療に専念していました。糖尿は膵臓の不具合です。ところが、
施術させていただいても、どうしても膵臓の機能が悪いとは思えないのです。しばらく、インシュリン注射を休んで、様子をみられてはど
うか、と、勧めました。
 彼女は、お医者さんと治療方針について、何度もやりあっており、お医者さんも2、3軒変えていました。自分なりに、インシュリン注
射に違和感、疑問を感じ、お医者さんの説明にも納得できなかったこともあり、その日から、インシュリン注射を中止しました。
 わたしの苦悩が始まります。
 (医者でもないのに、また、余計なことを言ってしまった。医師法にひっかからないように、十分、ことばは選んで話してはいても、た
とえ、彼女自身の判断で、注射を中止したにしても、もし、インシュリン注射を中止したことで、症状が悪化してしまった場合、どうしよ
う。いや、絶対、そんなことはない。でも、絶対とは言い切れない。なんで、あんなことを言ってしまったのだろう。余計なことを言わな
ければ、気をもんだり、必要以上に心配することもないのに・・・。)
 しばらくは、そこから、解放されることがありません。
 彼女の場合、その繰り返しから解放される前に、新たな疑問が立ち塞がりました。
 注射を中止すれば、数値的にも、体調的にも、一旦は落ち込みます。足しているインシュリンを足さないのですから当たり前です。その
落ち込みがありません。落ち込みがないばかりか、体が目覚めれば、数値にも好転が認められるのですが、数値の変動もないのです。
 余所に転院されてしまったのではないかと疑った医院からは、執拗に電話があったそうです。6ヶ月後、その医院を訪れ、その間の事情
を説明し、検査を受けました。インシュリン注射をしていた時と、医院の検査でも、数値はまったく変動していません。
 医師は、
 「注射をしていなくとも、数値が変わらないのですから、少し、様子を見てみましょう。」
 それきり電話がかかってくることはありませんでした。
 インシュリン注射とは、不足したインシュリンを注射で補ってあげる行為です。わたしは、インシュリンが足りないのではなく、インシ
ュリンを出す能力は持ちながら、さぼっているだけと捉えます。さぼっているのですから、起こしてあげます。どうしても目覚めない、本
当に不足している場合に足してあげればいいことで、まず、目覚めてもらうことが先決です。目覚めてもらう努力をせずに足してあげるこ
とは、さらなる悪化、余病の誘因になると考えています。
 足していたインシュリンを中止するのですから、体調的にも、数値的には一旦悪化します。ところが、体調的な落ち込みがないばかり
か、顔色が良くなり、体調も改善され、横になってばかりいたのに、活動的になっているにも関わらず、数値的な改善がありません。そん
なことは、通常、あり得ません。
 週に一度。その状態が2年間続きました。隔週でもいいとはどうしても言えないのです。
 「糖尿病はどうも本体ではありません。何かが隠れています。その何かが出てくれないことにはどうにもなりません。」
 彼女の場合も、リューマチからでした。
 「リューマチが出てきましたよ。」
 彼女は、
 「昔、リューマチだと言われて治療を受けていました。」
 と、その時になって初めて言うのです。もっと早く言ってくれ。
 「膠原病に間違いないと思います。」
 すると、彼女は妙に納得するのです。彼女の母親も、リューマチだ。糖尿病だ。あれだ、これだ。さんざん色々な病名を告げられ、最後
は膠原病が原因で亡くなっていました。
 ほどなく、いたいいたい病が始まりました。現在少し落ち着いてはきましたが、それでも、現在進行形の症例です。
 
 50歳、女性、Sさんの場合
 
 彼女は農家の傍ら、旦那さんが経営するお店も手伝っていて、疲れ、腰痛などで、時々、来院されていました。
 その時も腰痛での来院だったのですが、彼女の手首にリューマチの症状が認められました。
 「リューマチに間違いないと思います。早めに手当てされたほうがいいですよ。」
 そう話したのですが、彼女が来院したのは、それから、3ヶ月後でした。
 どうしても気になっていたので、最初に手首に掴まらせていただきました。リューマチの痕跡は全く見あたりません。
 「リューマチはありません。発見が早く、早期に動かしたので効果があったのかも知れません。よかったですね。」
 そうは言ったものの、何か、割り切れない疑問が残りました。
 それからはあまり来院することはなく、1年半後に子宮がんに罹患しました。子宮を摘出し、治療のために入退院を繰り返していたので
すが、抗がん剤の治療中、膠原病が発症しました。
 それから半年ぐらいで、残念ですが、彼女は帰らぬ人となってしまいました。
 わたしが見つけたリューマチは膠原病とイコールだったのではないでしょうか。だからこそ、リューマチは、すぐ消えてしまっていたの
です。医学的にはどうなのか知りません。でも、わたしには、がんにしても、そんなことがあるのかどうか、膠原病由来の子宮がんに思え
てしかたないのです。
 
 リューマチについて少し触れたいと思います。
 リューマチも、現在の医療のあり方として、リューマチを、押さえ込もうという治療方針が取られています。痛みに対しては痛み止めで
す。どうにもならない痛みに対して、短期間に痛み止めをすることは仕方がありません。でも、痛み止めを長期に渡って使用することが、
低体温を招き、自らの快復力を奪うことになります。まして、痛み止めは治療薬ではありません。
 それらのことは別の所でも書いてきましたので、参照してください。
 リューマチを見つける方法として、ふたつの方法があります。
 ひとつは現在、医療機関で行われている方法で、数値的に機械で確認する方法です。もうひとつは、触診で、二カ所以上にしこりがあっ
た場合リューマチと判断します。
 現在のお医者さんは患者さんに触れることをしません。いきおい、診断は機械に頼りがちです。ところが、数値的な判断は、触診での判
断に比べ、6ヶ月から、場合によっては1年以上のタイムラグがあります。
 触診という方法を放棄し、機械の数値だけの判断に委ねることが、事、リューマチの判断については大きな疑問を持っています。
 お医者さんに行っても、
 (コンピューターとにらめっこしているだけで、とうとう、わたしの顔も見てくれなかった。)
 とは、よく聞く話しです。
 昔と同じように、雰囲気を見る。顔色を見る。触ってみる。
 触れることをもっと大事にしなければならない時代は、むしろ、再び、始まっています。
 
 三人の方を紹介させていただきました。
 この三人の方それぞれが、違う病気で治療を受けておいででしたが、その元になったものが抗原病です。
 色々な病名で治療を受けていても、実は膠原病から始まったもの、根本にある病名が膠原病であることが、わたしには、想像以上に多い
ように思えてなりません。
 わたしは、自説にこだわり、自説を声高に叫び、ごり押ししたり、強制したりするつもりは毛頭ありません。さらに、自説こそ正しい
と、胸を張るつもりも、勿論ありません。わたしは、現在の医療のあり方、そう言い切ってしまえば語弊があるでしょうか、一部の医療の
あり方、もっと具体的に挙げるなら、整形外科に関すること、血圧に対する対応、肥満、痛み、難病など、病に苦しむ人の真の受け皿に、
現在の医療が対応できていないばかりか、いたずらに患者さんを苦しめているのではないかと思えてしかたがないのです。ですから、あえ
て、ある意味、アンチテーゼとしての論を展開しています。
 
 この項を書いている時、わたしの遠縁の方が交通事故で亡くなりました。両膝、片方の肘に人工関節が入り、痛みから思うように動け
ず、転んで骨折したりで、入退院を繰り返していました。その日も病院の帰りで、お菓子屋さんに寄り、出てきたところで、事故にあった
ようです。状況や詳細についてはお聞きしていませんので何とも言えませんが、ろくに動かない足で、よろけて事故にあったのだとしたら
最悪です。
 痛みから解放されない。軽減もされない。手術する前よりも、却って不自由を感じている事実。この方に人工関節という治療は必要な治
療だったのでしょうか。本当にそれしか治療方法はなかったのでしょうか。
 わたしどもには、手術は受けたけれど、と、いう方がいらっしゃいます。手術は受けたけれど、より、痛みが増した。より、動けなくな
った、と、おっしゃる方が大勢いらっしゃいます。真に患者さんが満足しているのなら、わたしどもに、そういった患者さんは、誰も寄り
つかないはずです。
 真に必要な手術であるなら、手術のすべてを否定するつもりはありません。いいえ、むしろ、ひとつの重要で有効な手段だと、積極的に
評価もしています。もう一度書きます。本当に必要な手術ならです。
 さらに、残念ですが、術後のリハビリに関して言えば、非常におざなりの感は拭えません。おざなりなリハビリであるがゆえに、せっか
くの手術もだいなしにしています。
 
 
    花粉症
 
 
 
 
 
 比較的患者さんの多い、杉花粉症を取り上げます。
 明治時代、もっと古く、江戸時代は、現在よりも、緑に恵まれ、杉だってたくさんありました。その時代には、花粉症はなかったのでし
ょうか。
 ありませんでした。見てきたわけではないので、断言はできませんが。あったにしても、ごく少数でせう。
 杉花粉が、車の排出ガスなど、公害物質と反応することで、花粉症を発症させます。
 では、車も通らない山奥でも花粉症になるのはなぜでしょう。
 それくらい、空気汚染が進んでいます。
 人、それ自身も汚染され、抵抗力がなくなっています。チャンチャン。
 ん〜ん、本当かな。したり顔でする説明を、へそ曲がりなわたしは、眉につばをつけて聞きます。
 
 杉そのものの問題ってないのかな。
 使いやすく、成長の早い杉は、建築資材として重宝されました。他の木と比べると、短期間でお金になる杉はどんどん植林されました。
杉の木にも、牡牝があります。成長の早い杉ですが、牡杉は、牝杉より、さらに成長が早いので、植林される杉は、牡杉ばかりになりまし
たとさ。
 植林を繰り返すことで、バラエティ豊かな立木が、バランスよく配剤されていた自然の調和を、アンバランスなものに急激に変えていき
ました。
 昔は牡杉、牝杉もバランスよく集合体を形成していました。ですから、その集合体のなかで、物語りは完結することができたのです。植
林されたのは牡杉ばかりです。自分の遺伝子を残したくとも、近くには、牝の杉がありません。どうしても、エリアの外にまで花粉を飛ば
し、広範囲に牝の杉を探さなくてはならなくなりました。
 杉自身の遺伝子を残すための進化、発展、窮余の策が、現在の姿とは考えられないでしょうか。
 花粉を遠くまで飛ばさなければならない花粉それ自体の変化。空中を漂う時の空気との関係。漂う時間的な長さ。その辺に秘密はないの
でしょうか。
 杉本体も、外材の輸入で需要が減少し、間伐もされずに放置された杉山が、さらなる、自然破壊、環境破壊を招いています。
 杉花粉とは、自然の調和を乱した、人間の浅知恵の結果なのです。
 
 花粉が体の中に蓄積され、限界に達します。限度を越えた時、突然、発症します。
 そう言われていますが、わたしは、限界を越えたから発症したとは考えていません。限度を越えたまでは一緒です。でも、次からは違い
ます。限度を越えたので、自浄作用が働き、毒素を体から排除しようとする、至極、真っ当な反応が花粉症の症状と捉えます。
 どうでもいいことば遊びのように思われがちですが、実は最も重要なポイントで、どう捉えるかが、後の治療に決定的な違いを生むこと
になります。
 医療は、症状を押さえ込もうとします。わたしの考えは、自浄作用としての排出行為が、くしゃみ、鼻水、充血、目のかゆみとして表れ
たのですから、もっと積極的に出してあげる後押しをします。そこにこそ、問題をどう捉えたかの根本的な差異が生じます。
 押さえ込めば、押さえ込むほど、力を蓄え、より、重い症状として、表出します。押さえ込む治療では、悪化させることはあっても、病
からの解放は望めません。むしろ、一旦はひどくなったにしても、毒素を出してあげればあげるほど体の中はカラになります。体から毒分
の蓄積が減少すれば、花粉が再度溜まって限界を越えるには、また、長い年月が必要です。
 病に対する考え方の根底にあるものは、従前通り、ここでもまったく一緒です。
 
 正直に書かなければなりません。
 わたしも、今から30年近く前、まだ、生体のせの字も知らないころになりますが、花粉症でした。
 最初は結膜炎だと思っていたのですが、目やにが出て、目が充血します。片方だけの症状だったのですが、だんだん、両目が同じ症状に
なりました。そも、ばい菌だらけの手で、目に触れること自体がいけないのですが、当時は、同じ手で両目をこすることが悪いことに思い
至り、右手では右目、左手では左目にしか触れないように注意し、手の甲だけで拭ようにしくました。二年目に充血が出た時は、当初から
そうすると、ひどいのは片眼だけですみました。今、考えてみれば、まったくもって幼稚な考えで、効果があったのかどうかさえ定かでは
ありません。
 三年目になると、さすがにわたしも眼科に足を運びます。診断の結果はアポロ病でした。薬をいただきましたが、さほどの効果はありま
せん。
 そして、四年目。にぶいわたしでも、さすがにおかしいと気づきました。毎年、決まって6月の中旬以降に症状が出るのです。
 当時は、何に対してアレルギー反応を起こしているかなどを調べることもありませんでした。何の注射を打ったかの説明もありません。
でも、それ以降、同月になると、少しかゆみを覚えたり、ちょっとの充血が出ることはあっても、現在に至るまで、顕著な症状は現れませ
ん。
 一度の注射で改善されてしまいました。結果は自説と矛盾します。
 
 実は、当療法で一番即効性がないのが花粉症です。
 一度で回復した人はほとんどいません。何度かの施術で、改善されたという方が五割、残り五割の方は、改善の実感を感じてはいただけ
ません。ただ、次年度になってからですが、症状が緩和された方はたくさんいらっしゃいます。
 定期的に通院してくださる人に限定すると、ほとんどの人が、年々、花粉症の症状は軽くなっています。また、自覚症状を持たなくなっ
ている人もいます。それでも、完全回復と胸を張ることはできません。効果が認められるには認められるとしても、年単位でしか成果はな
く、残念ですが、肝心の即効性がありません。
 わたしの花粉症が、一本の注射で、なぜ回復したのか、それ以降、なぜ、症状が出ることがないのか、どう考えても説明不可能です。自
説を元にして行う療術で、速効性があまりないのはなぜなのか。即効性がないばかりか、一旦悪化することもないのはなぜなのか。残念で
すが解明できてはいません。でも、自説と矛盾するからといって、現時点で、自説を撤回することも、軌道修正するつもりもありません。
 考え方の間違いというよりは、療法の適応、方法論の問題だと思っています。これからの課題として、どうすればより効果的なのか、さ
らに勉強させていただきます。
 花粉症のエクササイズですが、何点か候補があるにはあるのですが、納得できる効果はいまだ確認できません。納得いかないものを紹介
することはどうしてもできませんので、ご容赦願います。
  
 
 
 
 
 
 
 統合失調症(うつ)
 
 
 
 
 
 
 66歳、男性、Uさんの場合
 
 最初は息子さんのお嫁さんが、二番目のお子さんができないということで来院されました。無事、受胎することができ、次いで、そのお
嫁さんの妹さんのお子さん、アトピーのところで紹介した、Fさん、Gさんのお手伝いをさせていただきました。その後、Uさんの奥さん
が転んで膝を痛め、担ぎ込まれたのですが、自分で歩いて帰られました。また、現在は元気で、1〜2年に一度ぐらいしか来院されません
が、お嫁さんのお母さんは、不調の原因であった高血圧の薬をやめることができました。薬の服用を中止して、もう5年が経過しますが、
血圧は安定しています。さらに、お嫁さんのお姉さんの中学生のお子さんが、少し鬱ぎみだったのですが、その後も何度かは同じ症状にな
りながらも、その都度、1〜2度の施術を受けるだけで、普通に通学できるようになり、無事、高校に進学することができました。
 自慢に並べたてたのではありません。Uさんは、身近かで、これだけの事実を目の当たりにしたにもかかわらず、お嫁さんに、通院を勧
められても、来院することはありませんでした。
 Uさんがようやく来院されたのは、不妊の施術をさせていただいて誕生したお孫さんが、医院で、ぜんそくの診断を下され、わたしの一
度の施術でせきが止まり、それでようやく来院する気になってくださいました。お嫁さんに通院を促されてから、実に、3年以上が経過し
ています。
 鬱を持つ人の特徴で、自分の納得がいかなければ、なかなか前に進めません。ですから、来院するまでが、まず、第一の関門になりま
す。お子さんの場合は別にして、大人の場合、当人が納得できないまま、無理にお連れになっても、ほとんどは続かずに終わってしまうの
が現実で、当人が納得するまでに、大きな時間を必要とします。それでもまだ来院される方はいいほうで、大半は来院することすらありま
せん。
 第二の関門は信頼関係です。
 通院当初はいいことばで言えば、疑心暗鬼、違った表現を用いるなら、猜疑心の固まりです。その、猜疑心の固まりを、どれだけ、まさ
しく揉みほぐすことができるかが勝負です。
 第三の関門は、ほとんどの方がお医者さんに通院しており、お医者さんに対する依存、薬に対する依存度が大きく、(薬を飲んでいるか
ら正常でいれる)とする思い込みからの脱却で、(自分の体は自分が治せる)の信念をいかに自然に納得していただき、薬から離れること
ができるかにかかります。
 第四の関門は、後のことになりますが、わたしに対する依存度を排除する作業です。
 
 Uさんの場合は、第一の関門に3年かかりましたが、第二の関門は割合すんなり、一度目の施術で信頼関係が構築できました。二度目の
施術の時には
 「こんなに楽になるなら、嫁に言われた時、すぐに来ていればよかった。無駄な時間を使ってしまった。」
 と、言ってくださいました。
 ただ、それを鵜呑みにはできません。信頼関係など、ほんの些細な一言でも崩壊しますし、そも、信頼関係そのものが、本当にできあが
っているかどうかすら不確かなものです。
 Uさんが薬を中止するまでには、それから一年以上を待たなければなりませんでした。
 薬を一旦中止できても、ちょっとした不安から服用を再開してしまう方がいますが、Uさんの場合はそれもなく、時間的なものを除け
ば、順調に推移しました。
 薬の服用を中止して6ヶ月後、不調を感じた時や、安心の為に月一ぐらいの通院で大丈夫であることを伝えました。
 その当時は、もうすでに一年くらい前から、隔週での施術になっていたのですが、Uさんは、隔週のペースで、その後も予約を入れてい
ました。
 Uさんに、
 「心配から予約をするのでしょうが、お医者さんや薬に対する依存体質を、対象をわたしに変えただけでは問題の解決にはなりません。
あとは、自分の体は自分が治せることを真に理解すること、自信を回復するだけですよ。」
 何度もそう言うのですが、隔週での予約は変わりませんでした。
 お嫁さんに相談すると、
 「家でも、すごく生き生きしているし、活動的になり、笑うことが多くなりました。市販の健康薬を飲んでも、同じような金額はかかっ
てしまうので、通院することが悪いこととは思はないので、当人が納得するまで通わせてください。」
 と、言うことで、しばらく様子を見ることになりました。
 わたしにとっては、依存体質も病気だと思っています。依存する対象が変わっただけでは完治とは言えません。しかし、そのまま推移を
見守るしかありませんでした。
 それから半年後ぐらいでしょうか、わたしの都合で2ヶ月ほど休院しました。Uさんも当然施術を受けることがきません。それが幸いし
ました。その2ヶ月でUさんは自信を取り戻したのです。院を再開するとすぐに来院しましたが、それ一度っきり、それ以来、来院するこ
とはありません。現在も疲労などで来院してくださるお嫁さんにお伺いしても、何の問題もなく、体調はすこぶる良いようです。
 
 43歳、男性、Vさんの場合
 
 Vさんは、直接、わたしの患者さんではありません。
 Vさんのお父さんが糖尿病で、合併症として、骨の難病を患い、早晩、歩けなくなるということで施術させていただいていました。本当
は、それでも、インシュリンの中止、薬の中止を申し上げたかったのですが、医者でもなく、まして、命の責任は負いかねます。かなり症
状も進行しており、薬の中止を相談することもできませんでした。わたしは基本的に出張はしないのですが、Vさんのお父さんだけは例外
として訪問させていただいていました。
 現在は、わたしが住居を移転したので、出張はお弟子さんにお任せしたのですが、わたしが施術させていただいた6年間、まがりなりに
も歩行することはできました。
 そのVさんが殺人事件を起こしてしまいます。当時、随分話題になった事件で、概況を書いても事件が特定されてしまいますので、事件¥¥
そのものについては触れません。
 被害者である遺族と勝手に示談を進め、保証の金額を決定したり、遺族との示談書、和解書、減刑嘆願書などの裁判所への提出もなく、
だれのための弁護士なのか、何のための保証金なのか、Vさんのご家族が要請した弁護士の行動は、わたしには到底納得できる動きではあ
りませんでした。
 その弁護士が、家族とともに、Vさんが通院する医院を訪ねた時、院長は大慌てだったようです。
 一方的な伝聞情報ですから、正確ではないかもしれません。割り引いてお聞きください。
 「わたしの所では、決しておかしな治療はしていません。」
 力説すればするほど、?マークが付きますよね。
 「いえ、決して、こちらをどうこうしようというのではありません。参考までにお伺いしただけです。」
 状況を聞き出すには適当な返しです。
 そこで明らかになったのは、延べ38種類の薬を調合されていた事実です。
 弁護士ならここで、内心
 (効いた)もしくは(聞いた)ですよね。でも、裁判で38種類もの薬が調合されていた事実が公にされることはありませんでした。ま
さしく、参考までにお伺いしたのでしょう。
 
 その後、Vさんの刑は確定し、服役します。
 服役の当初、刑務所から出せる親書には制限があるようなのですが、限度いっぱい、Vさんからお母さんの元に、要請が次々に届きま
す。
 (◯◯◯という名前が出てくる、お店の名前だと思うがどこにあるお店なのか調べてほしい)
 (毎週◯曜日の午後◯時からラジオ放送を聴いていた。そのパーソナリティーの名前を思い出せない)
 (◯◯が作曲した曲で、<あ>の付いた曲はなんだったろう)
 その度にわたしも調べるお手伝いをさせていただきました。
 わたしはお母さんによく話していました。
 「手紙の一番最後に必ず書いてあげるといいと思います。自分が病気であることを認識すること。気になって、そこから離れられないこ
とが病気だということ。ひとつのことが気になってどうしょうもないうちは、まだ、病気だ、と…」
 わたしは、自分が病気であることの認識が、まず、大事だと考えました。それが、医学的にはどうなのかは知りません。それが、正解だ
と胸を張るつもりもありません。
 刑務所の中では制約があり、自由にはなりません。それは、処方される薬とて同じこと、2〜3種類の薬しか出されないようです。しか
し、かえってそれが奏功したのか、Vさんからの調べを要請する手紙は日を負って減っていきました。
 まもなく出所するそうで、わたしの施術を受けたいと言っているそうですが、はたしてどうなりますか。
 それはともかく、延べにしても、38種類という途方もなく多くの薬の処方は、どの医院でも、普通に行われているのでしょうか。それ
ではたしていいのでしょうか。それが普通だとして、決して不自然ではないとしても、では、その結果、彼にはどんな効果があったのでし
ょう。
 
 
 
 
 
 
 
 不登校
 
 
 
 
 
 
 生体をなりわいとする前から、不登校についての相談を結構受けていました。
 一般的な相談には、
 「登校しなければならないという前提があって登校できないことを登校拒否、不登校と呼びます。登校しなければならないという思い込
みを、(いやなら登校しなくともいいんだ)と、変えただけで、不登校とは言えません。行きたくない、行けない学校に無理に登校を強い
るよりも、転校して環境を変えてあげることも、選択肢として前向きな姿勢です。」
 そのように答えていました。
 さらに、一歩進んで相談を受ける場合は、ご夫婦でいらしていただきます。
 たいていの場合、お母さんが話し出します。説明はおおむね1時間、長い人ですと、2時間以上続きます。一段落がついたころ、わたし
はお父さんに何らかの質問をします。するとどうでしょう、お母さんが、また、話し出すのです。
 わたしはお母さんのことばを遮ります。
 「ちょっと待ってください。お母さんのお話しは充分聞かせていただきました。わたしは、今、お父さんに質問させていただきましたよ
ね。お父さんにした質問を、なぜ、お母さんが答えなければいけないのでしょう。」
 「そんなことを言ったって、この人は、ああで、こうで…」
 それが一頻り続きます。
 「現在は民主主義の世の中です。家族でお話し合いもいいでしょう。夫婦でデスカッションもいいでしょう。でも、二人の意見が別れた
時どうしますか。どちらかの意見に同調しなければなりませんよね。その時、奥さんがイニシアチブを取ってはいませんか。もっと分かり
やすく言うなら、決定権はお父さんにではなく、お母さんが持ってはいませんか。」
 予想外の質問に、お母さんは目をパチクリさせています。
 「例えば、サラリーマンのお父さんが日曜日に横になっているとします。お母さんは、『日曜の度にごろごろしてばかりいないで、たま
には子供とキャッチボールでもしたら。』と、言います。理屈ですよね。むしろ正論です。でも、その正論を聞いて育つ子供は、どう成長
するでしょう。お父さんが仕事をする姿は見ていない。見るのは、家でごろごろしているお父さん。しかも、お母さんにガミガミ小言を言
われているお父さん。そのお父さんを子供達は尊敬するでしょうか。お母さんが最前から並べ立てているのは、常識と言う非常識な理屈で
す。では、そのお母さんが並べ立てる常識で、お子さんは登校するようになったでしょうか。」
 「・・・・・。」
 「では、同じ場面で、お母さんがこう言ったらどうでしょう。『お父さんはお前達のために一生懸命仕事をしてきて疲れているんだよ。
しばらく静かにして寝かせてあげようね。お父さんが目を覚ましたらお願いしてキャッチボールでもしていただきな。』黙ってても、お父
さんを尊敬する子供に成長しますよね。女性の社会進出、男女雇用機会均等法、男女平等、民主主義。私達のころは、男子たるもの厨房に
入るべからずでした。むしろ、厨房こそ、女性の牙城でした。時代の流れは致し方ありません。しかし、流れに棹さしてはいけないことが
あります。それは、男の分であり、女の分です。なんでもかんでも平等ではあり得ません。平等こそ不平等だと知るべきです。」
 「・・・・・。」
 「子供を教育すると言います。教育とは、へ理屈を覚えさせることですか。盗人にも三分の利、自分を正当化するために、三分の利を声
高かに叫ばせることですか。お父さんが『水。』と言った。『今、手が離せないから、自分で汲みに来て。』は、まだいいほう。場合によ
っては、聞こえたのか聞こえないのか返事もしない。しばらくは待っていても持って来てくれる気配もない。お父さんはそれぐらいのこと
で、事を荒立てたくないので、そそくさと水を取りに行く。そのお母さんが、『(はい)と、返事のできる、素直で元気な子に育ってほし
い。』と、おっしゃる。自分のできないことが、子供になぜできますか。形ばかりを教え込み、強要することが教育ですか。結果、人が見
ている時にいい子を演じる術を心得た子供を量産していく。裏表を持った子がいかに多いか。ここに大きな問題があると思いませんか。」
 このころになると口を挟んでくるお母さんがいます。でも、割愛します。実際の場面でも、お母さんのことばを遮って話し続けます。
 「子供は親の背を見て育つ、と、言います。子供に(はい)と言わせたかったら、まず、自分が(はい)を言うことです。旦那さんであ
れ、舅、姑さんであれ、相手の言うことが間違っていようが、アナクロニズムであろうが、まず、(はい)で受けることです。(はい)は
拝であり、相手に対する敬意です。何かいわれる度に、(そんなこと言ったって)(今、やろうとしてたのに)(時代が違う)そんな否定
のことばから入っていませんか。」
 この辺までくると、(この人は何を言いたいのだろう。)(それと登校拒否が、どんな関係があると言うのだろう)と、怪訝そうな顔に
なります。
 「今は鉄骨でできている家も、壁だけでできる家もあり、死語に近い存在かもしれませんが、昔の家には、大黒柱という柱がありまし
た。その大黒柱がしっかりしていなければ、家は瓦解します。時代はどう変われ、まさしく、一家の大黒柱はお父さんでなければなりませ
ん。お父さんが最後には決定権をもたなければいけないのです。お子さんの登校拒否は一家にとっての非常事態です。普段は凡庸を装って
いても、一家の非常事態には大黒柱が立ち上がらなければなりません。相談者はお父さんであり、説明するのもお父さんでなければなりま
せん。」
 「・・・・・。」
 「不登校のきっかけはどうあれ、また、いじめめっ子、いじめられっ子、立場の違いもどうあれ、その一家の筋目の狂いが、子供をして
訴える姿こそが、不登校であり、登校拒否の原因とする説があります。わたしもまったくその通りだと思っています。その、筋目の狂いを
正すことこそが、問題解決の糸口だと考えます。」
 今日では、デスカッションどころか、デイペードなどと言います。会話は主義主張を叫ぶ戦いではありません。相手が話すことばの意を
汲み取り、思いやりを持って接することが会話です。家庭にデイペードは必要ありません。最終決定権を持つのは、大黒柱としてのお父さ
んであり、責任を持つのもお父さんです。その、当たり前の筋目が大きく狂ってしまっています。
 「先程からお母さんのお話しを聞かせていただいていると、失礼ですが、お子さんを心配しているというよりは、残念ですが、世間体
や、自分の都合を押し付けているようにしか思えません。」
 私事で恐縮ですが、うちの嫁の自慢話しをします。
 わたしにとっての孫になりますが、わずか千円程度のおもちゃをほしがりました。買ってあげようかと見ていると、
 「お父さんが帰ってきたら、お父さんと相談してね。」
 と、うちの嫁は受け流します。駄々をこねようがどうしようが、一切、取り合いません。
 受け流しただけなのかと思うと、息子が帰ってくると、本当に相談してから買い与えます。どこで覚えたのか、わたしは感心して眺めて
いました。まさしく、これが正しい姿なのです。
 悪い所はよく似ると言いますが、息子の場合、わたしよりは少しは良いにしても、仏頂面で家にいます。出張が多く、ほとんど家にいる
ことがないのですが、家にいても、むしろ、うとましいと思われてもしかたありません。そんなお父さんの帰りを孫達は心待ちし、慕って
います。
 これこそが妻の役目であり、務めです。舅、姑の悪口を並べたてることで子供の感心を買い、子供を味方につけることで、夫と対立する
ことが、妻として、母としての務めではありません。
 夫は天であり、妻は地です。それぞれに役割が違います。妻は夫と結婚したばかりではなく、婚家に嫁いだのです。舅、姑にかしずくの
が当たり前、それこそが、日本が日本である、日本を日本たらしめる所以です。
 結婚式に花嫁は白無垢の衣装を纏いました。なぜ、白無垢なのでしょう。
 何もない、真っさらな気持ちで嫁ぎます。婚家のどんな色にも染まります。その意志表示です。だからこそ、処女性も重要視されまし
た。
 現在はどうでしょう。白無垢鉄火ということばがあります。表面は上品で温厚に見えて、内実は無頼不良な人(広辞苑)を差します。精
神的な白無垢鉄火どころか、家庭内戦争が繰り広げられてはいませんか。
 昔、公務員は公僕と言われました。まさしく。公衆に奉仕することが公僕でした。
 昔、学校の先生は聖職者と言われました。意義は神聖な職務という意味です。ところが、先生自らが、私達は聖職者ではない。家庭を持
った労働者だと言い始めました。
 日本の筋目の狂いは、実に、この頃から始まったのではないでしょうか。
 若い人達と話していると、自分の権利の主張の巧さに驚かされます。しかし、義務については、見事にはぐらかします。自分を正当化す
る術に長け、上手に責任転化します。好きか嫌いか、したいかしたくないか、自分にとって損か得か、一般論ではまともな意見を言ってい
ても、事、自分のことになると二元論で問題を処理します。その変わり身の早さ、論理の矛盾などお構いなしです。
 その若い人達を槍玉にあげるのは簡単です。しかし、その若い人達を生んだ背景、責任はむしろ、私達の年代の側にこそあります。
 「人を騙しても、誤魔化してでも、お金を握れば正義とする風潮。デイペードと証し、相手をやりこめることを良しとする世相。何が正
しく、何が間違っているのかさえ定かではない社会。その社会の縮図である家庭。その家庭で起きる逆転現象。大黒柱が決定権を放棄し、
お母さんはかしずくべき舅、姑の悪口を子供に吹き込み、自分の味方にしようとする。仕えるべき夫をあしざまにすることで実権を握り、
決定権を掌中にする。その矛盾、歪みが、子供をして不登校、登校拒否、さらには、ひきこもりや家庭内暴力の原因、原因とまでは断定す
ることはできないにしても、一因、もしくは遠因になっているのではないでしょうか。まず、お子さん云々より、自分を顧みるところから
やり直しませんか。」
 お母さんのなかには泣き出す人も出ます。それでも追い討ちをかけます。
 「どういう態度で接しているかはむろん大事です。でも、表面上を取り繕っても無駄です。もっと重要なのは、むしろ、お腹の中で、不
平不満。要望、要求。偏狭な主義、主張。そんなものでお腹がパンパンに膨れてはいませんか。改めるべきは、そこ、に、あります。」
 最後にこう付け加えます。
 「自分の気持ちを変えることで、本当に不登校が改善されるかどうかは分りません。でも、それだけで改善された人がいることも事実で
す。自分の心根を変えて、何か損なことがありますか。たとえお子さんの不登校は改善はされなくとも、損をすることは何もありませんよ
ね。少しでも納得がいったなら、お子さんのためにこそ試してみられてはいかがですか。」
 以上が相談を受けた時のあらましです。
 納得していただけたご夫婦に奇跡が訪れます。考えられないと思いますが、お子さんが、それこそ、次の日に登校するのです。ですが、
残念ですが、そう多くはありません。
 だいたいは後で情報が入ってきます。友人、知人宅での相談者の奥さんの発言です。
 「子供のことで時間を取って、せっかく相談に行ったのに、悪いのはわたしだって言うんだよ。」
 なぜ、こういったことばになるのか、想像できます。
 (いいえ、あなたは決して悪くない。一所懸命やっているじゃない。)
 自分を否定されたという思い込みが、自分を肯定してくれる人を探すのです。そして、そう言ってもらうことで安堵します。
 でも、安堵して、では、何か変わりましたか。
 
 小学6年生、女性、Wさんの場合
 
 生体の施術として不登校のお子さんに接する場合、相談を受ければ別ですが、家庭の中にまで首を突っ込むことはありません。
 基本、体からの反応だけを相手にします。
 Wさんは小学校4年生から6年生の10月まで不登校でした。
 頭が痛いと言うから病院に行く。お腹が痛いというから病院に行く。なんでもないと言われても、痛いと言うので、別な病院に行く。そ
の繰り返しで、近くの医院、病院にはほとんど、さらには何度も通ったそうです。行ってもなんでもないと言われるだけで、行く所もなく
なり、終いには、拝み屋さんにも通っていました。
 施術させていただくと、お腹が固まって、まったく動いていません。
 Wさんのお腹の中を季節で例えるなら、厳寒です。体全体が厳寒であるにも関わらず、(頑張りなさい)(暗く考えず前向きになりなさ
い)いくら言われても、当人にすれば、辛いだけです。やる気がないんじゃない。やりたくとも、何もできないのです。できないことで、
ますます落ち込んでいきます。
 治療の目的は、厳寒であるお腹の中を、そよ風が気持ちよい、小春日和にすることです。動くなと言われても、動き出さずにはおれない
春先の日溜まりのお腹にすることです。
 「お母さん。この娘は嘘を言っているのではありません。数値的に問題はなくとも、腎臓の機能が低下しています。回復力がありませ
ん。朝、目覚めても、疲れきって起き上がります。動けない。動きたくない。結果、やる気になれない。それを、どう、表現していいのか
知りません。ですから、お腹が痛い。頭が痛い、と、表現します。お母さんだけでも、そのことを理解してあげないと、この娘が可哀想で
す。」
 お母さんは始めて原因が分り、そこで、涙を流しました。
 Wさんは施術を受けながら、そのお母さんが泣く姿を見ていました。自分を理解してくれるお母さんがそこにいます。もう、心配ありま
せん。
 Wさんは、次の日から登校するようになりました。
 その後、中学に入学した時、お礼に来てくださいました。登校できるようになってからは、卒業するまで、1日の休みもなく通学できた
ことを知り、お母さんといっしょに喜ばせていただきました。
 
 中学3年生、女性、Xさんの場合
 
 体の症状はWさんと同じです。
 施術2度目でお腹が動きだします。
 「もう大丈夫。とりあえず、保健室登校しな。」
 Xさんさんは2年生ごろから休みがちになり、3年生になってからは、週に1〜2度登校しても保健室止まりでした。
 保健室までは毎日いけるようになりました。それでも、お腹の状態が悪い状態に戻ることはありません。
 「では、次の課題です。教室に1時間だけ入ってみようか。辛かったら、出てきたって構わない。」
 徐々に教室にいれる時間は長くなりましたが、それでも、時々、苦しくなると言います。しかし、お腹に変化はありません。相変わらず
好調を維持しています。
 「おい、自意識過剰だぞ。誰もXさんのことなど気にしてなどいない。みんなそれぞれ自分の進学のことで頭がいっぱいで、Xさんが何
をしようが、逆に何もしなくても、誰も感心など持つ余裕などない。心配するな。」
 Xさんはいつの間にか、クラスに溶け込み、クラスの一員になっていました。
 それでも、何度か、苦しいと言って来院されましたが、中学を無事卒業され、高校に進学することができました。
 
 先日、お母さんが来院しました。
 Xさんは、大学入試に向けて、人一倍頑張っているそうです。
 
 
 2例紹介させていただきましたが、如何せん、不登校については、生体のみでの対応での症例は少なすぎます。それはそのはずで、常識
的に考えて、不登校が揉んで良くなるなどと思ってくれる人はいません。親御さんも、当人も隠したがる過去であり、改善された方からの
紹介も、派生もありません。ですから、扱った症例は少なく、果たして、お腹だけの施術で、オールマイティなのかどうかは、現時点では
判断が尽きかねます。
 ただ、施術させていただく時は、前記した(筋目の狂い)については、折に触れて、一般論としてお話させていただいています。
 
 
 
 
 
 
 
 
むちうち症          
 むちうち症の特徴として、四季の変わり目、天気の境目、台風など低気圧が接近してくると、頭に、鈍痛であるとか、首筋が痛んだりな
ど、症状が現れます。
 交通事故などに遭遇して、むちうちになる人は多いのですが、医療機関でする治療は首にわっかをはめて固定し、痛み止めの処置をしま
す。平たく言えば、何もせずに、自然治癒力を待ちます。
 ところが、首は、事故の衝撃で、ゆがみ、ひずみ、を起こしています。ゆがみ、ひずみを固定したまま放置すれば、表面の筋肉が快復
し、痛みが止まり、首が動かせるようになったとしても、可動域は浅く、十分な動きがとれません。そればかりか、根本にある、ゆがみ、
ひずみは放置されたままで、その、ゆがみ、ひずみが、不具合の原因になってしまいます。
 その結果として、長期間、不具合を抱えたまま生活している方がたくさんいらっしゃいます。
 むちうちの症状は、あきらめる必要のない症例のひとつです。
 骨に異常がなければ、できるだけ速やかに、ゆがみを正し、ひずみを是正すればすむことです。
 自分でできるエクササイズですが、首を普通に立てたまま、ゆっくり、左右に廻してください。左右どちらかで、横に行ける角度が浅い
ほうがあるはずです。また、圧迫があったり、痛みがある場合もあります。逆側はなんでもないはずで、その、なんでもない方に、反対側
の手を顎に当てて、押しながら廻してください。1回、2回、3回、4回、5回。次に、いきづらかったほうに、やっぱり手をあてて、ゆ
っくり廻します。その時の注意点は、痛み、違和感のある方向には、絶対、無理に押し込まないことです。これを5セット繰り返します。
 残念ですが、それだけでは、抜本的な改善には至りませんが、それでも、かなり楽にはなるはずです。
          霊障
 
 
 
 
 
 わたしの知り合いのお医者さんのお話です。
 彼は、不具合の60〜70%は霊障だと言います。現在では、実に99%が霊の障りと断言します。
 開業した当時、お見えになった患者さんの霊障害を、彼はおもしろいように次から次ぎへと取り除きました。ところが、障りを取り除い
てあげたはずの患者さんが、三月もすると、また、同じ症状で戻ってきます。取り除いてあげたはずの障害が、なぜ、再び発症に至るの
か、どう考えても、理解し、納得することができませんでした。
 彼は、原因を探るべく、たくさんの宗教団体を訪ね歩きました。どこへ行っても、分かったような説法はしてはいただけるのですが、何
か、しっくり納得できません。
 そのことが頭から離れず、悶々とした日々をおくっていた時、ある方、と、お話をされていて、なにげなく、そのことを持ち出しまし
た。
 その方は、こともなげに、こう言いました。
 「それは、必然ですね。」
 彼は、その一言で開眼したと言います。
 (そうか。必然なのか。自分の能力では、どう必然かまでは分からない。だったら、放っておけばいいや。)
 彼は毒にも、薬にもならないような薬を処方し、様子を見守るそうです。そして、患者さんが、真から直りたいと思えるようになった
時、災いを取り除くようにしています。そうすることで、再発は少なくなったそうです。
 彼は、病の99%を霊障だと言っています。
 わたしは、逆に、そこから、離れよう、離れようとしています。
 わたしには、霊障を感知する能力はありません。自分の能力を越えた症状、または、原因の分からない症状を、(霊の障り)にしてしま
う危険があります。そして、判ったような説法をすれば、もっともらしく聞こえます。
 でも、それでは、施術ではなく、宗教です。目の前に提示された課題に立ち向かうのではなく、現実からの逃避だと思っています。です
から、できるだけ、霊の障りには触れないようにします。
 それでも、どうにも霊障を俎上にしなければならない場合も、多々あります。
 
 69歳、女性、Yさんの場合
 
 Yさんは以前からの来院者です。
 わたしどもにお見えになる来院者でも、折紙付きに重篤な方で、
 「月二でいいですよ。」
 とか、
 「もう、大丈夫ですよ。」
 などとは、一度も言ったことがありません。
 現在は、それでも、かなり好転していますが、当時は症状の重い人の常で、いくら説明しても、自分が、そんなに悪い状況とは思っては
いただけませんでした。
 そのYさんが、しばらくぶりでお見えになった時、途方に暮れました。状態が、さらに、悪化しているばかりか、正体不明の症状がある
のです。
 悪いというのは、結果です。悪くなる道筋があります。少々、状態が悪くとも、これは、こういう状況からこうなって、ここが、こうな
ったから、この症状を起こして、その症状を起因として、これがこう悪くなった、と、読み解くことができます。それが、まったく読めな
いのです。
 違う方にですが、
 「昨晩あたり夫婦げんかをしませんでしたか。」
 と、言ってしまい、気持ち悪がられたことがあります。
 「草むしりをしませんでしたか。」
 とか、
 「長い間、座ったままでいませんでしたか。」
 などは日常的に使います。
 悪い状態の元をたどっていくことで、様子が見えてきます。
 さらに、余談になりますが、わたしが、もっとも楽しみにしているのが、独身の女の方を施術させていただいている過程で、
 「おい、彼氏ができたな。」
 と、言える瞬間です。
 体が良くなると運気が上がる、と、前に書きました。施術の成果が出たような気がして、ひとり、悦に入っています。
 なぜ、それが分かるのかといえば、それまで、なかなか好転しなかった症状が、いっぺんに回復しています。女性をそれだけ急激に変え
ることができるのは、異性の存在しかありません。
 男性には残念ですがわたしが感じられるほどの顕著な反応は現れません。
 わたしがするのはアナロジー、つまり、類推です。霊を感じるのでもなんでもありません。
 Yさんに、
 「お寺か、神社のような所に行かれませんでしたか。」
 そうお聞きすると、
 「中国に行ってきました。」
 「中国のお寺巡りをしませんでしたか。」
 と、問うと
 「はい。」
 と答えます。
 「しょっぱい川を渡って、日本まで、幽霊さんをお持ち帰りのようですね。」
 と、冗談めかして言うと、
 「途中から、やたら、肩が重かったんです。」
 Yさんは、時々、そういう経験をされていたようです。
 後日、肉親の方にお聞きした話しですが、中国で、弟さんを亡くされているそうで、その時も、仕事が立て込んでいて、およそ、旅行に
など出かけられる状況ではなかったにも関わらず、ツアーにキャンセルが出て、お誘いが掛かると、熱に浮かされたように出かけた、と、
言っていました。
 自分で行う、浄霊をお教えし、10日間、実行していただくことにしました。
 10日後には来ていただくようにしていたのですが、わたしも、すっかり、忘れていました。
 1ヶ月位経っていたでしょうか。Yさんから予約が入り、来院されました。
 その時の正直な感想です。
 (ウワー〜、どうしよう。先にお医者さんに行ってもらうかな。どうしよう。でも、まだ、大丈夫かな。でも、万が一のことがあったら
怖いよな。まだ、大丈夫だよな。でも、本当に大丈夫かな。)
 その繰り返しでした。
 「家に帰ったら、すぐ、血圧を測って、いくつあるかすぐに電話をください。」
 わたしは心配し、気をもんでいるのに、小一時間が過ぎたころ、ようやく電話が来ました。
 「180です。」
 「えっ、下がってないの。おかしいな。下がらないはずはないんだけど。また、1時間後、電話してください。」
 それから、3度、合計で、4度、血圧が180という電話がありました。
 今度の電話で下がっていなければ、もう、病院に行っていただこうと覚悟を決めた5度目
 「130です。」
 のどかな声が響きます。
 それもそのはず、当人はこちらの心配をよそに、さほどのこととは思わずに、仕事をしてた、と、いいます。
 Yさんは、浄霊を3日ほどで止めていました。そこで、改めて、10日していただくことにしました。
 「信じる、信じない、は、ややこしくなるので、別にしてください。損か、得か、で、考えてください。霊障などというものが、あるの
かどうか、わたしにも解りません。でも、行をして、症状が好転すれば、儲けものですよね。たとえ、霊的なものが嘘っぱちで、症状が好
転しなくとも、わずか2〜3分の、行をして、何か損をすることがありますか。」
 実はそれからが、てんやわんやでした。
 2〜3日後、心筋梗塞の症状を呈しました。甲状腺からくる心筋梗塞で、甲状腺を手術しなければならない、と、言います。
 「そんなものではありませんよ。霊症です。わたしが言っても心配でしょうから、○○病院に行ってみてください。」
 Yさんはその病院に予約の電話を入れ、説明を受けました。
 「話しを聞くと、関口さんと同じことを言っている。わざわざ、遠くまで、行くこともない。関口さんの言う通りにします。」
 さあ、焦ったのはわたしです。わたしは、心筋梗塞の薬の服用の中止を促していました。わたしが紹介する病院なら、当然そうするだろ
うとの確信がありました。その病院の指示に従うことで、わたしの責任も返上できる、と考えていました。さあ、困ってしまいました。
 何もしないことは医療行為にはあたらないにして、医者が、飲め、と言うものを、飲むな、と、言うのは、いかにもです。まして、わた
しに命の保証はできません。
 何か異変があれば、すぐに医者に行くよう指示はしたものの(どうする。どうする。)の、心配の日を送ります。
 行を始めて10日目、Yさんに来ていただきました。施術させていただくと、何の問題もありません。
 「心筋梗塞の診断を下した医院に行って、もう一度、検査を受けてください。」
 Yさんは医院の帰りに立ち寄ってくださり、
 「心筋梗塞の兆候はないそうです。『薬を止めて直ったんだとすれば、心筋梗塞の薬を飲めっては言えないんでしょうね。でも、甲状腺
のお薬は止めないでください。』そう、言うんですよ。」
 わたしは、さもありなん、と、平静を装いましたが、内心、ほっ、と、胸をなでおろしました。
 肉親であれば別ですが、通常、そこまで立ち入ることはありません。行きがかり上の希有な例です。
 Yさんは、その後、甲状腺の手術こそしませんでしたが、放射線治療をし、現在も、甲状腺の薬を服用しているようです。
 そのことを、Yさんも話しませんし、薬の服用も、特別、悪影響も感じませんので、わたしから言及することもありません。
 わたしには、心筋梗塞と甲状腺の因果関係も、甲状腺の放射線治療の意味さえ、まったく解りません。
 結果オーライではなく、
 (生命に関わることには立ち入らない)(生命に関わることには、口出ししない)
 改めて、肝に命じた案件です。
 
 後から分かったことですが、放射線の治療は受けたのは事実のようですが、現在、甲状腺の薬の服用はありませんでした。
 
 48歳、女性、Zさんの場合
 
 Zさんは腰痛での来院でした。
 腰にだけしこりがあり、途中の経過がありません。最初は、どこか、他所で診ていただいていての来院かとも思いましたが、どうも、そ
うではなさそうです。
 「霊感は強いほうですか。」
 と尋ねますと、
 「解りますか。」
 と、答えます。
 事情をお伺いすると、旦那さんが葬儀屋さんにお勤めで、時々、霊的なものが憑いて戻ることがあるようなのです。Zさんは、縄で四方
を囲み、結界を作り、その中にいるのですが、それでも入り込まれてしまいます。
 施術後、浄霊の方法をお教えしました。
 「後、いつ来ればいいですか。」
 と、聞きましたので、こう、答えました。
 「基本、わたしの守備範囲とは違います。浄霊が終わっても、まだ、腰に違和感があったり、痛みが残っていれば別ですが、そうでない
限り、来院する意味がありません。10日が終われば、痛みは出ないはずです。」
 Zさんの来院は、それ一度きりでした。
 後日、Zさんの紹介者に様子を伺うと、
 「あれから、すこぶる、快調みたいですよ。」
 の、返事が返ってきました、
 
 Zさんの場合には、最初、違う人の症例を書いていました。でも、わたしが施術をさせていただいた人、本人ではないのですが、その関
係者がお亡くなりになっていることもあり、書き終わっても、どうしても、上掲することができませんでした。
 
 人込みに行くだけで、人あたりしてしまう方。お墓参りの度にお連れになる人。行く先々に霊の存在を感じ、4ヶ月間に5度もアパート
を替わった人。実は、その方は、自分が背負って歩いていました。霊感があると思い込んでいる人。霊的な症例には、できるだけ立ち入ら
ないようにしているつもりでも、上げていけば、枚挙に遑がありません。
 ここでは、自分でする浄霊の方法も書くつもりでおりましたが、お教えいただいた方の許可を受けていません。
 それと、現在までは、来院者から、別にお金を徴集することもできませんので、その都度、わたしが、御礼として、しかるべき所に、わ
ずかですが上納していました。本当は、当人から出たお金でなければいけないと言われていたのですが、施術料として、いただいたお金の
一部を当てていました。
 もし、どうしても、浄霊の方法をお知りになりたい方は、ご連絡くださり、千円、先払いでお送りください。メールでも、手紙でも、ご
希望の方法で結構です。ただし、手紙の場合は、返信用切手80円を同封してください。
 そのお金は、わたしの懐にはびた一文、入れることはありません。御礼として、しかるべき場所に上納させていただきます。
 浄霊というだけで怖がってしまう人、なかには、あからさまにいやがる人もいます。そんな場合、わたしは、(カタルシス)と、言って
います。浄化、つまり、心の洗濯ぐらいに考えればいいのではないでしょうか。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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