暴言・極言・迷言
 
   生体/整体/斉体/精体/せいたい/の歩き方
 
  常識を疑え ちょっと変わった生体のお話
 
 
 
 
 
 
 
  ことばを考える
 
 
 
 
 
いいこと思って いいこと言って いいことをする
 
 
 
 
 
 わたしは 4 常識を考える 電磁波について で、原子力発電についても言及し、文中で、原子力反対運動家を批判しました。
 原子力反対運動家を批判したことで、原子力推進論者と思われてしまうことは意図するところではありません。今回、津波を原因とす
る、原発事故、さらには、事後処理の問題が噴出しましたが、そうであれば、なおさらに、原発推進論者と思われてしまうことは心外で
す。
 5 ことばを考える を、書くにあたって、言い訳がましくなってしまうかもしれませんが、改めて、真意を吐露いたします。それは、
その時々で意見を変えたり、都合に合わせた理屈を並べたてる人を、わたし自身が軽蔑するからに他なりません。
 わたしの原子力についての知識はまったくの無知です。
 二重にも三重にも安全に配慮され、わずかな異常にも反応して運転が停止される設計になっているから大丈夫、とする説明を鵜呑みにし
ていました。運転が停止されれば、それで解決と思い込んでもいました。
 よもや、炉心に入った燃料棒が、20年などというスパンでしか冷却ができないなどとは思いもよりませんでした。地震についての心配
が少しはあっても、織り込み済みと信じていましたし、津波についても、海の側に建設しているのですから、当然、配慮されていることを
信じて疑いませんでした。
 運転が中止されただけでは済まないことも、津波の想定する高さの範囲があることなども、まして、津波程度で、機能全体がマヒしてし
まうことなど想像すらできませんでした。
 お恥ずかしい限りですが、その程度の認識しか持ち合わせていなかったのは事実です。ですから、当然、反対する人たちのうさん臭さを
揶揄することはあっても賛否を表明できる知識はありませんでした。
  電磁波のところでは言及しませんでしたが、わたしが、反対論者を批判した根本にあった事由は、当時、原子力はアメリカにとっての
利権であり、他の国には、原子力開発をしてほしくはないとするアメリカの国家戦略がありました。日本の、時の総理大臣は田中角栄。田
中角栄は、ブラジルを訪問した折り、日本製の原子力の軽水炉プラントの輸出を提言したと言います。アメリカにすれば何を言い出し、何
をしでかすか分らない、党人派出身の総理大臣は航空機利権の終焉とともに、すでに邪魔な存在です。結果、突然噴出したのがロッキード
事件です。
 ロッキード事件は作られた事件です。
 始まりは、ロッキード事件を調査していたコーチャン委員会に、宛名も、所番地も違う、一通の封書が届いたところから始まります。宛
名も住所も違う封書が届くことさえおかしな話です。さらに、個人の権利に極端にうるさいアメリカで、その、封書を開封することなど、
通常では到底考えられません。ところが、その封書を開封してみると、コーチャン委員会が調査していた疑惑の証拠資料が入っていたとい
うのです。そんな都合のいい偶然が、意図もなく重なるものでしょうか。それがロッキード事件の発端です。
 同じ理由から、グラマン事件も俎上になります。時代は、航空機利権から、原子力利権に移行していました。なぜ、航空機が利権であっ
たのか、国内産航空機の開発が頓挫したことで明らかです。頓挫する必要があって頓挫するのです。
 グラマン事件は岸信介、中曽根康弘、右翼活動家の児玉誉士夫の抹殺です。詳細は省きますが、日韓大陸棚批准協定に岸信介の力が必要
でした。日韓大陸棚批准協定は、アメリカの国益に叶います。結果、グラマン事件はなし崩しに消滅します。あてがいぶちの報道しかでき
ないマスコミは、いつしか、グラマン事件そのものを忘れさります。
 同じ頃、日本の原子力反対運動には、アメリカから、多額の資金が寄付金名目で投入されています。つまり、技術力に優れた日本には、
ほどほどの核アレルギーを持っていてもらうことが、アメリカの国策にとっては必要だったのです。
 全部の反対運動団体に、とまで言うつもりはありませんが、そのような資金で運営される、原子力反対運動を、少なくともわたしは、胡
散臭いもの、表面面の綺麗事として納得していました。そのようなリーダーに指導される、国を思う、純粋な反対論者を危ういものと見て
いました。純粋であろうとなかろうと、アメリカの自国への利益誘導として政治利用されているだけの存在でしかありません。
 それが、原子力反対運動家を批判した根底にあった疑義であり、理由です。原子力発電が賛成か、反対か、とは、まったく次元の違う話
しとして書かせていただきました。
 
 世界中を震撼させたチェルノブイリ、あの事故に匹敵するような大事故につながった今回の福島第一原子力発電所。この事態を受けて、
では、わたしは、原子力発電について、どう、考えていて、事故後、どう、考えを変えたのでしょう。新たにここで書かせていただかなけ
ればなりません。
 原子力問題については、まったく無知であったことはすでに書きました。それでいながら、最初から、現在にいたっても、考え方は、何
も変えてはいません。
 もう一度言いますが、わたしは、原子力発電所建設の推進論者ではありません。でも、代替エネルギーの開発を、より、一層、推進する
ことは当たり前としても、さらなる安全への大胆な見直しは必要としても、現状、原子力発電に頼らなければならないのは、現実問題とし
て仕方がないと考えています。それは、事故前も、事故後も、同じです。
 原子力に変わる代替エネルギーが、実は、使用可能であるなら、大きな危険を犯してまで、原子力政策を推進してきた国の責任はとてつ
もなく重大です。でも、そのような新技術を聞きませんし、即、実践運用可能な代替エネルギーがあるとも思えません。だとするなら、現
在の生活レベルを維持するためには、原子力発電に頼るしかありません。積極的であれ、消極的であれ、それが、まぎれもない、事実で
す。賛成とか、反対なのではなく、原子力に対しての、それが、わたしのスタンスです。
 基本的には現実を変えようがないのです。容認せざろをえないというのがさらなる本音です。
 ただ、このような大事故があって、このままで今後も福島で運転を続けることができるのかどうか、さらには、別な、新たな建設の受け
入れ先が見つかるかどうかについては、これも、まったく別の問題です。別問題というよりは、新たな建設は不可能に近く、現在、稼動中
の原子炉にしても、耐用年数の到来とともに廃炉にしていくしかないことは火を見るより明らかです。
 千年に一度と云われる、地震、そして、津波、さらに、追い討ちをかけるような、原発事故。原発事故に限ってみても、避難がこれから
先、いつまで続くかさえ見通しが立たず、場合によってはいくつかの町が消えてしまう可能性まである現在、原発容認発言は不謹慎であ
り、時期的にも問題があることは承知しています。
 でも、あえて、このような時期だからこそ、そこから目をそらしてはいけないと思います。見て見ぬ振りをして、現実から逃避してはい
けないと考えます。
 町に戻ることができない可能性に言及したとして総理がやり玉に上がっています。でも、正直、現状、そう思っている人は多いのではな
いのでしょうか。そう思っていてさえ、それを口にすることが憚られる本音と建て前の使い分け。その、実に、日本的な使い分けが、原子
力災害を招く場においても、同じ考えに根ざし、悪い作用を及ぼしてはいないでしょうか。
 つまり、マスコミを初め、国会などの場においても、常套句として、(万が一)という質問を繰り出します。大方、(仮定の話しにはお
答えできない)と突っぱねます。
 同じように、(対応に問題はないか)と、追求を受ける。当然(問題はない)と、答えるしかない。(十分な対応がされている)と、言
わざろをえない。
 それが建前です。そして、そこから問題が派生します。
 (問題がない)とする建て前が、万が一の準備をしようとすれば、(問題があるから準備をしているのではないか)との、疑惑を生む。
猜疑心の塊のような人に疑惑を持たれないようにするには、何もしない。何もしないことを納得させるために、(十分な対応をしているか
ら災害を受けることなどはありえない)とする思い込みに変化させる。その変化が慢心を生む。慢心がいつしか、思い上がりにつながり、
その、思い上がりが、根拠のない安心につながる。
 何の手だてもしていないから事後処理に打つ手もなく、何も考えていないから後手後手の取り組みしかできない。
 本音と建て前の使い分けが、今回の大事故を招いた遠因になってはいないでしょうか。
 今回の災害の教訓として、(万が一は、必ず有る)とする前提を共有しなければならないのではないのでしょうか。
 ここで、わたしは、恥を、もうひとつさらけ出しておかなければなりません。
 放射能廃棄物の最終処分場が決まらないことは承知していました。最終処分と言う限り、それが、最終処分方法なのだと単純に理解して
いました。ところが、最終処分に確立された技術はなく、無力化するには、何千年、何万年というスパンが必要であることなどもまったく
知りませんでした。最終処理の技術が開発されるまで、とりあえず埋設しておくことを最終処分と言っていることなどに思い至りませんで
した。
 日本国の財政赤字、すでに1,000兆円を超えています。孫子の代まで負担を押し付けるのか、との議論が活発です。原発の問題は、
孫子どころか、現在を生きるわたし達の末代までへのツケです。それでは、そもそも、原子力発電所などを建設してはいけなかったのでは
ないのでしょうか。
 むしろ、前提となる原点とは、ここにこそあったのです。
 議論とは、すべての情報が正しく伝えられてこそ議論ができます。都合の良い情報だけを開示し、議論を進めることは、誘導でしかあり
ません。残念ですが、わたしも、不確かな誘導に乗せられたひとりでしかありませんでした。
 しかし、不思議に思うのです。わたしなどが何を言い、どう思おうが、(歴史は必然として進む)のです。
 バブルの崩壊とともに、熱に浮かされたように続いたゴルフ場建設ラッシュはストップしました。既存のゴルフ場の閉鎖すら相次いでい
ます。
 原子力発電所新設も日本では今後不可能でしょう。
 これが、歴史の必然です。
 前言と矛盾するようですが、これも、現在のわたしの本音です。
 しかし、国民にとって、いいえ、人類全体にとって、さらには、世界全体への責任において、自分に都合の良い利益誘導を繰り返し、座
して、歴史の必然を待つのではなく、正しく情報を開示した上で、議論を深め、これからの日本は正道を歩みたいものです。
  
 余談になりますが、マスコミは相も変わらず政府批判、菅総理批判を繰り返し、総理の責任追及、辞任要求を世論を喚起してまで煽り立
てています。批判はともかく、辞任要求など、本当に今がその時ですか。今こそ総理を叱咤激励して、災害復旧をマスコミが挙げて鼓舞
し、たとえ頼りない政府であっても、リードし、指針を示すことも役割のひとつなのではありませんか。
 指針を示すどころか、結果批判の揚げ足取り、弱いと見るや、首っつりの足のひっぱり。これからも、そんなマスコミであり続けるので
すか。
 東電の会見を見ても、国民の知りたい質問をしているのは、ネットや、フリーの記者。椅子を容易された大手マスコミは、質問のひとつ
もしないでパソコンとにらめっこ。たまにする質問は、被災者を囮に使ったり、名前をかたって便利に利用し、被災者にとってはどうでも
いい、定番、社長が辞任するかどうか。挙げ句、書く記事は、見当違いのミスリード。
 マスコミが、勝手に総理に辞任要求を繰り返し、では、菅総理が本当に辞任したとすれば、よくぞ、辞めてくれたと、誉め称えますか。
その時、今度は、責任の放棄、無責任と叱責しはしませんか。十年一日のごとくのワンパターンは、もうそろそろ止しにしましょうよ。
 出処進退は当人が決断すべきこと、何の権限があるのか、偉そうに、マスコミが促すことではありません。出処進退の判断ミスは当人自
身が一身に受けることで、それこそ結果責任です。
 自民党も同じ、口を拭って、口汚く、菅総理批判を繰り広げていますが、事実をひた隠しし、隠蔽さえ計りながら原発を推進してきたの
はあなた達でしょう。推進はまだいいとしても、管理監督する部署である保安院を、推進する側である経済産業省に置くことで管理体制を
骨抜きにした結果がこの度の人災ではないのですか。会見に出る保安院審議官と称する人は技術畑出身ではなく行政マン。行政マンが、な
ぜ、技術の、安全のチェックができるでしょう。まして、管理などできるはずがありませんよね。管理とは、つまり、国民の生命と財産が
的になっている現場ではなく、書類審査のことですか。このような自民党だったから、政権を明け渡すことになったのでしょう。
 民主党の揚げ足を取る前に、まず、責任の大部分は自民党にあり、まず、自らの反省に立脚点を置くべきです。
 ついでですから民主党批判。
 当初、技術畑の人が、保安院の会見には応じていました。その方が、つい、本音を漏らしてしまった。その方のお顔を二度と見ることは
ありませんでした。事実は、その方のおっしゃる通りでしたよね。こんな姑息なことしかできないなんて、最低です。自民党とは、何がど
う変わったというのですか。
 民主党の基本理念は、本来とは違う意味で使われることが多いのですが、誤用のまま用いさせていただきます。(由らしむべし 知らし
むべからず)ですか。
 民主党には限りませんが、選挙で、相手候補の多選阻止を旗印に新人が立候補します。ところが、不思議と、ご自身が平気で多選を重ね
る。自分が多選批判を口にし、相手候補を攻撃したなら、自ずから、身の処し方、引き際が大事のはず。
 民主党が野党であった時、舌鋒鋭く、時の政権党である自民党を責め立てました。自民党が理想とする政治を忘れ、負の遺産でしかない
土建屋行政に陥り、政官癒着構造を断ち切れず、政財官プラス、地域、職域、利権競争を政治と錯覚し、富の配分ならまだしも、借金とい
う現金の奪い合い。どうにもならない制度疲労を来しているのは、誰の目からも明らかでした。
 民主党の自民党に対する主張とは、(税金を上げる前に、まず、すべきことがありますよね)だったのではありませんか。それを、その
まま、現在の民主党にお返しいたします。
 わたし達が民主党に期待したのは、まず、行政の無駄の排除と、無駄の温床として存在する天下りの廃止です。
 その民主党が政権党になってみると、行政の無駄の排除は、ただの、パホーマンスショー。現実に東京電力には、次期副社長を約束され
た資源エネルギー庁長官が天下っています。全ての天下りを悪と断罪するつもりもありませんが、天下りを、より、しやすくする法律の改
正っていったい何なのでしょう。理念と現実対応の空回りというにしてもお粗末過ぎます。
 自民党に対して、情報の公開を促していたのは、あなた達、民主党でしたよね。自分達が政権党になってみると、情報の公開とは、自民
党の負の情報公開だけですか。それすら、満足に実行しているとも思えません。それより、むしろ、情報の隠ぺいは、より、鮮明化してい
ませんか。
 民主党の本質とは何か。
 平時の能書きタレ。応用問題が苦手なマークシート政党。庶民をないがしろにする庶民派政権。乱世には何の役にも立たない、勤務地国
会公務員。
 能力があるかないかよりも、わたしが求める、国を憂い、理想の旗を掲げ、こだわりを持ち、触ればやけどをしそうなほどの情熱を感じ
る議員など、どこにも見あたりません。
 
 今回の震災での政治が果たすべき理想の旗とは何か。こだわらなければならないこととは何か。
 簡単なことです。
 国民の生命を最優先して守る。
 それだけです。
 その前提を押さえれば、何をしなければならないかが見えてくるはず。
 では、
 避難指示を、政府から直接ではなく、避難民がテレビ報道で知ることなどが、なぜ、起きますか。
 関係自治体にすら何の連絡もなく、避難先の指示すらない、などということがありますか。
 福島での東電の記者会見が突然中止され、東電本部での発表を待たされる、などということがあたりまえですか。
 自宅待避の指示を出し、救援物資すら送らない、などということが平気ですか。
 安全、安全の繰り返し。爆発しても安全です。ただちにどうということはない。
 安全だけど、野菜は出荷停止。出荷は停止したけど、ただちにどうということはない。それって日本語。
 担当部署の新設、人員の入れ替え、会議の繰り返し、政府が率先して動かした手だてとは何ですか。
 行政マンでしかしかない保安員に事故レベルを認定させておいて、技術者であり、内閣直属の機関内にある安全委員会が、レベル7にな
るや、わたし達は最初から、そう思っていた。保安員を慮って言わなかったって、それ、有り?。
 民間の復興委員長だかなんだかが、増税の示唆って、どさくさまぎれの、政府の意図の代弁。
 必要な仮設住宅の30%の建設しかできない補正って、それが、補正。
 補正の補正を前提とした補正って、それは補正。
 野党であった時、情報開示を要求し続けた、これがあなた達政権党である民主党の情報開示。
 放射性物質拡散試算図を2,000枚も作成し、公表が2枚って、誰のための予想図。
 着の身着のまま、突然町を後にした避難民に、一ヶ月以上経過してさえ、義援金の配分すら決められず、1円すら渡せないって、何。
 列記していけばきりがありませんよね。
 では、なぜ、このような対応になってしまうのでしょう。
 これも、実に簡単です。たったひとつの原点、(政治は国民のためにある)その原点をないがしろにしているからに他なりません。
  わたし達が民主党に期待したのは、行政の無駄の排除です。しかし、残念ですが現在まで何も変わっていません。何もです。
 選挙に登場したマニフェスト。(国民の生活が大事)あたりまえです。あれもします。これもしますの大盤振る舞い。だれが、そんな要
求をしたでしょう。まずは、自民党政治を変えてくれということだったのではないでしょうか。しかし、なぜか、何のバックボーンも脈絡
もなく、要求もしていない空手形の連発。賞味期限の切れた自民党政治より、さらに、朝令暮改、支離滅裂な道を歩み続けています。
 暗愚で愚鈍な国民には耳障りの良いことば、あめ玉でもしゃぶらせておけば選挙に勝てると考えたのか、裏付けさえないばらまき政策の
羅列。政治が国民に迎合した時、国は滅びます。民主党議員のその時々のことば遊びには、時にむなしささえ覚えます。
 子供手当。悪いことではありません。親の負担を軽減し、もっとお子さんをもうけてもらおうとすることは、少子化が社会問題になって
いる現在、一見、必要な施策です。でも、それも、裏付けがあっての話し。
 全国に現在の耐震化に合致しない学校はまだまだたくさんあります。今回の津波で明らかになったように、設置場所としての不適合校も
あります。予算が確保されるなら、急がなければならないのは、人気取りや、選挙目当ての子供手当ではなく、むしろ、学校の耐震化、そ
して、安全な場所への移転のほうではないのでしょうか。
 子供手当は、日本が北欧型の高福祉、高負担の国を目指すのかどうか、そこからの議論であり、国民のコンセンサスがあって初めて実施
できる施策です。
 
 民主党の議員の中には、残念なことに福島県出身ですが、強制連行されたと主張する従軍慰安婦に、日本政府は保証しろとして、韓国の
デモに参加し、日本国国旗にバッテンを付けられた前で、にこやかに記念撮影をした国会議員がいます。
 韓国政府は、日本政府に対して、(今後、一切の請求を要求しない)と約束しています。わたしは、従軍慰安婦の問題は悲しく、二度と
繰り返してはいけない歴史だとは思っていますが、強制連行そのものの事実はなかったと考えています。さらに、百歩譲って、それが史実
であったとしても、韓国国民に対して保証すべきは、韓国政府がその責を持つものであると思います。為に、援助金名目の保証を受け取
り、一切の請求をしない約束をしています。ひとえに、韓国国民に責を持つのは韓国政府です。それが、日本国政府の統一見解でもありま
す。
 今回の震災には、新設の担当部署ばかりが増え、何の新設部署かまで分かりませんが、さらに、未確認情報でしかありませんが、責任者
として就任するについて、個室の要求と、専属の秘書を求めた、議員がいると聞きます。さらに、未確認情報ですが、同議員は阪神淡路大
震災において、(自衛隊は違憲だから、自衛隊の世話にはならないように)とするチラシをまいたそうな。
 それらが事実であれどうあれ、その議員の人たちが、そのような思想信条をお持ちであることはまぎれもない事実です。日本は民主主義
の国です。どのような思想をお持ちであれ、それは、自由です。そのことをとやかく言うつもりはありません。ただ、その方が国家公安委
員長になったり、もうおひとかたは、新設の何の責任者に就任したのか、そのポストが自衛隊と関わりを持つようなポストであるとするな
ら、話しは別です。
 不確かな情報は置くとしても、(自衛隊は暴力装置)と言い放った議員が、今回の事故を受けて、再度、要職に戻られた事実を追加しま
しょうか。暴力装置に人命救助はないでしょう。それとも、暴力装置だから、せめて、罪滅ぼしに、人命救助でもしろとでもいうことなの
でしょうか。
 野党でいた時と政権をとってみると、言うことが違ってしまう。バッテン付きの日本国国旗の前で平然としていれる人が国家公安委員長
に就任できてしまう。自衛隊は暴力装置と自衛隊を否定しておいて、その自衛隊を平気で命がけの任務に就かせることができる。職務外の
原発事故に命がけの任務に向かわせる消防隊員に、罰則を持ち出す、何様だいじん。
 震災があっても、自衛隊は違憲だから、また、暴力装置だから利用すべきではない、と、主張するなら、それはそれでひとつの見識で
す。あえて、そう主張するのであれば、わたしは、わたしとは意見が違っても、その意見を大事にし、このような状況下でも、信念を貫く
姿勢を高く評価し尊敬もします。しかし、立場や状況で、根本にある主張を、平気で変えることができるとするなら、その主張とは、どだ
い、その程度の絵空事でしかありません。
 人間は間違いを犯す動物です。間違いも、思い違いも、手違いも、行き違いもあります。それでも、自分の言ったことには責任は持たな
ければなりません。国を代表する国会議員であればなおさらです。間違いを認め、素直に反省し、考えを改めたのであれば、国家公安委員
長の就任も致し方ありません。でも、自分の主義主張と、どう折り合いをつけたのでしょう。主義主張が変わらないのであれば、国家公安
委員長や、まして、防衛大臣などを受けるべきではありません。
 考えが変わったのなら、何をどう変え、どう変わったことで就任を受諾したのか、国民の前に明らかにすべきです。
 国会議員たるもの、立場でものを言ったり、その時々で、都合の良い話しをすべきではありません。
 
 わたしは、ことばとは、そのくらいに重いものだと思っています。古来より、我が国では、ことばには魂が宿っているとさえ考えてきま
した。それを、[ことだま]と呼びます。
 ですから、多くのスペースを割いて、わたしが過去に取り上げた原子力問題を、言い訳がましくても、真意を披瀝し、整合性を主張しま
した。さらに、その整合性さえあやしくなってきていることも素直に書きました。
 わたしの診療所では、回数券を発行していますが、その回数券や、診療所の壁などに、わたしが感動したり、人生の縁(よすが)として
大事にしてきたことばを張らしていただいています。
 5 ことばを考える では、その格言やことばを、わたしの雑感を交えて紹介させていただきます。生体とは、少し、離れてしまうかも
知れませんが(病とは思いからなるもの)との持論から書き進めます。
 表題のことばとは随分違った内容で筆が進んでしまいました。ごめんなさい。
 いいことを思う。いいことを思えるから、いいことが言える。いいことを言ったら、言っただけのいいことをする。
 政治とは、国民に向かって、[いいことを思って][いいことを言って][いいことをする]行為です。しかし、いいこととは、[おも
ねる]こととは違います。
 わたしは、小泉元総理がしたアメリカ言いなり政策を評価しません。現在に至っても、その悪影響は大きいと考えてもいます。なぜかア
メリカから要求されていた郵政民営化など、どうでもいいことでした。どうでもいいことですが、その郵政民営化を、小泉元総理は、たく
さんの犠牲者を出してまで成立させました。小泉元総理にとって、それが、当初から命題として持ち続けた、政治へのこだわりです。考え
は違っても、そのこだわりをこそ、わたしも含め、たくさんの国民は高く評価しました。評価するかどうかは、主義主張ではなく、どれだ
けの情熱と信念をもって事を成すかです。
 またぞろ、震災復興税などと言い出しています。震災復興税であれ、福祉目的税であれ、このままでは、日本が立ち居かなくなることく
らい、誰もが認識しています。でも、まず、その前にするべきことがあるでしょう。国民はそう言っているのです。まず、身を削ぐことが
一義です。
 それは、民主党自身が野党であった時、散々、主張していたことではなかったのではないでしょうか。
 
 気が付いてみたら、いいことを思っていないのは、いいことを言ってないのは、いいことをしていないのは、その一番手がわたし自身に
なってしまいました。反省。反省。
 
 
 
 
 
 病いを癒すのは 誰でもない あなたご自身
 
 
 
 
 
 
 いつものことながら、極論です。
 基本、病はない、と、言います。病は思いからなります。
 皆さん、病気になりたいと思ったことはありません。病気になりたいとは思いませんが、病気になったらどうしよう。寝たきりになった
らどうしよう、と、心配します。その心配の澱が病を引き寄せます。
 ひと時流行った、プラスイメージ発想法、そこにも、大きな落とし穴がありました。
 たとえば、宝くじをあなたが購入したとします。その時、その宝くじが当たったらいいな、と、考えます。
 では、当たったらいいな、は、プラス発想でしょうか。マイナス発想でしょうか。
 実は、マイナス発想なのです。何々し(たら)。何々にな(れば)。たら、れば、は、畢竟、マイナス発想です。
 それは、永遠に、宝くじがあたっ、たら、いいな、という現実を引き寄せているだけで、たら、れば、という現実が、続くだけです。決
して当選を射止めることにはなりません。
 プラス発想とは、望む現実を、より、具体的に想像することです。
 当選金を置いたこたつの前で、にんまりしている自分を想像すること。当選金で購入した別荘で、ブランデーグラスを片手に、海を眺め
る自分を想像すること。黄色いスポーツカーで、高原の爽やかな風を受けて颯爽と疾走する自分を想像すること。
 さらに、想像するだけでもダメで、それを自分の中で現実のものとすることが大事なのです。
 わたしの知り合いのおじいちゃんにこんな人がいました。そのおじいちゃんは、最高で、3千万円の高額当選者だと言うのです。百万円
とか2百万円位はしょっちゅう当たっていると言っていました。わたしは、話し半分どころか、まったく信用せずに聞き流していました。
 わたしの元の自宅は隣りが銀行です。その銀行で、百万円の当選が出た表示を店頭に張り出しました。時を置かずに、そのおじいちゃん
がやって来ます。
 手には、当然のように、宝くじが握りしめられていました。
 忘れもしません。(141462)の番号です。
 おじいちゃんは、宝くじを購入するさい、販売している宝くじの在庫をテーブルに置いてもらって眺めるのだそうです。その時、ピンと
きたのがその番号でした。以下はそのおじいちゃん談です。
 「心臓が急に悪くなって、生きるか(1)、死ぬか(4)。生きるか(1)、死ぬか(4)、という状況で、(62)歳の時、病院に担
ぎ込まれ、そこで、関口さんとも知り合った。この番号はわたしのためにある番号だ。」
 と、思ったのです。ただの語呂合わせです。でも、おじいちゃんは信じます。
 ちなみにわたしは胆石で入院していました。
 詳細は省きますが、胆石とは、意固地な思い、希望を見失ったり、気持ちの落ち込みが原因とする見方があることも、ここでは、紹介す
るに止めます。
 重要なのはここからです。
 「関口さん。わたしは、嘘を言ったり、人を騙したことってありません。そんなわたしに、神様が、時々、ご褒美をくださるのはあたり
まえでしょう。」
 宝くじを当てる神髄を教わった瞬間でした。気持ちのあり方を、人生をお教えいただいた瞬間でした。
 ついでに記しておけば、雑念が多く、何事においても、信じ切る程の素直さもなく、どだい、宝くじを購入もしていないのですから、わ
たしには、幸運の女神は微笑んでくれてはいません。
 具合が悪くもないにも関わらず、してもどうにもならない、先々の病気の心配などしないこと。
 病気になったらなったで、悔やんでみたり、反省ばかりを繰り返さないで、神様がくれた、ご褒美の休日ぐらいに考えて、今日を楽しく
のんびり過ごすこと。
 具合が良くなったらいいな。具合がよくなればいいな。そんな、たら、れば、星人はやめにして、喜びとともに目覚め、感謝とともに寝
むこと。
 (信じる幹に花が咲く)と、言います。(いわしの頭も信心から)とも、言います。まず、信じるとこから初めねば。
 (信じる者は救われる)かもしれません。
 
 思いだけで総べてを論じることはできない。解決できるはずがない、と、反論が聞こえます。
 それが常識です。それが常識ですし、道理に違いありません。
 でも、お聞きします。では、逆に、心配したり、不安を持てば、問題が解決するでしょうか。病は癒えるのでしょうか。
 心配しても、不安を持っていても、治るものは治るし、治らないものは治らない、と、するなら、不安定な心の状態で、日を重ねること
は楽しいですか。うれしいですか。決して、楽しくもうれしくもありませんよね。だったら、楽しく過ごしましょうよ。
 たとえ、お医者さんから、不治の病を宣告されてたとしても、死ぬ時は死ぬし、助かる時は助かるのだとすれば、自分を心配でがんじが
らめにしてしまうより、与えられた、今日、を、謳歌しましょうよ。
 どうせ、寝たきりになる時は寝たきりになるなら、そんな先々の心配をして日を送るより、自分の生きた証として、自己満足でいいか
ら、自分ができることを、寝たきりになってしまう前に、何か、人のためにしましょうよ。
 たとえ、人のことにまでは手がまわらなくとも、満開の桜の下で、缶ビール片手に、ほろ酔い気分で、春を満喫しましょうよ。夏は夏。
秋は秋。冬は冬、を、それぞれの時、一刻、一刻をもっともっと楽しみましょうよ。
 宝くじは、こうこう、こういう確率で、1等の当選率は人口に対してこうで、人口比にしてどうのこうの。1回の購入を30枚として、
自分に当選が廻ってくる確率はどうのこうの。ざっと見積もっても、一等に当選する確率は、何百年。だから、当選するはずはない。
 そんな小難しい計算を手間暇かけなくとも、それすら、簡単にはじきだせます。売り上げの3割は、国に寺銭として徴収されます。1億
円当てるには、確率からいえば、1億3千万円宝くじを購入すれば、1億円に当選できます。
 解ったような科学的分析をして、当たるとは思えないなら、宝くじを購入しなければいいだけです。自分がそう信じていればいいだけ
で、よその人にまで、同調を求め、同じ考えを強要し、毒を振りまくことはありません。まして、購入しておいて、当たるはずがない、
と、断言する。その、何が楽しいのでしょう。
 ネガティブな発想をする人に限って、周りを巻き込み、同意を得、自分と同じ考えを持つ人が多いことに安堵し、納得する。残すのは、
淀んだ空気感だけ。そんな人生で、本当に満足ですか。
 たとえ、1枚しか購入しなくとも、番号のない宝くじを買った訳じゃない。だったら、当選する可能性を購入したのです。当選した自分
を想像し、実感できるなら、大きな夢と同居する、たった、300円は、こんなにも安い買い物はありませんよね。違いますか。
 どんなに前向きになっても、病から解放はされない、と、するのが、たとえ、真実であっても、では、どんなに不安をかき立てても、心
配を繰り返しても、同じように、明日は変わりませんよね。心配しても変わらない明日を心配することって、科学的にも無駄の範疇です。
 無駄なことはよしにしましょう。楽しい今日を生き、わくわくした気持ちで明日を待ちましょうよ。
 
 今回の東日本大震災、我が家では、電気はすぐ復旧しましたが、水道は、復旧までに、半月を要しました。そうなって改めて知ったので
す。当たり前が一番有り難い。普通であることが一番の幸せだって・・・。
 毎日の生活で何とも思わずにいたこと。お風呂に毎日入れること。暖かいごはんをいただけること。手を洗えること。歯磨きができるこ
と。すっぽんぽんで寝られること。お店が普通に開いていること。ぶらっと車でドライブに行けること。普段、何とも思わずにしていた行
為のひとつひとつが、全て、感謝の対象であり、喜びでした。電気のない生活であればなおさらだったと思います。
 毎日、毎日、平均すると、20数名の方が朝目覚めることもなくお亡くなりになっているそうです。不備を論うより、病を不安視するよ
り、まず、朝、目覚めることができたことひとつが、毎日、毎日の、その日、その日の、一日の喜びの始まりでした。 
 わたしは、今回の震災で、政府を、マスコミを、東電を、やたらめったら、ぶった切ってきました。でも、被災地のひとりとして必要な
のは、雄弁な批判などではなく、たくさんの感謝が先、たくさんの気づきが先、たくさんの喜びが先でなければなりませんでした。そし
て、ただ善意に甘え、不満を並べたてるのではなく、ようやく、自分のできる、(一歩からの前進)なのだと思えるようになりました。
 サラ金から借金までして物資を購入し、被災地に自ら届けてくれたコメディアンがいました。名もない多くの人達が、ボランティアとし
てお手伝いをしてくれています。たくさんの善意、励ましが世界中から寄せられました。命がけで原発に入ってくれた消防隊。原発20キ
ロ圏内で、ご遺体の捜索に当たってくれている警察官。自分も被災者でありながら、招集に応じてくれた即応予備自衛官。10万人以上も
の自衛隊員が、獅子奮迅の活躍を現在もしてくれています。肉親を失いながら、不眠不休の働きを見せた地元の消防隊員。復興には1日も
早いインフラ整備、ライフラインの復旧が必要として、常磐自動車道を1週間で開通させ、世界を驚かせました。地元4テレビ局は、懐柔
策としての東京電力のお詫びCMを、復旧が先として受け付けませんでした。
 喜べること、感謝すべきことって、本当はもっともっとありました。
 わたしは、心を入れ替え、ありがた教の教祖になります。
 ごめんなさい。どうしても、まだ、震災の話しに戻ってしまいます。
 
  わたしどもには、すでに、病を抱えた人がやってきます。
 その人達が持つ恐怖や不安は同じです。
 (ぽっくり逝ければまだいいけれど、もし、寝たきりになったらどうしよう)
 先のことは、わたしは占い師ではないからわからない。あなたにもわからない。だれにもわからない。わからない、先のことを心配して
も、もっとわからない。そうなったらそうなったで、そうなった時、考えましょう、よ。
 自分を棚に上げて、さらに、言うのです。
 病気が癒えた自分を想像しても、実は何も変わらないのかもしれない。でも、確実に言えることはある。どうでもいいような先々の不安
を抱え込む人は、血の流れが悪い。筋肉に緊張がある。そんな人は、いくらわたしが頑張っても、そも、回復力がない。
 いままで、どんなに一所懸命、お手伝いさせていただいても、とんと回復しない若い女の子が、ある日、突然、劇的に好い方に変化して
いる場合がある。原因はたったひとつ。彼氏ができました。
 思いとは、それほどまでに体を変化させます。
 前向きに考えることが、損だと思ったり、このままの状態でいたかったら、どうぞ、せっせと心配の種を撒いてください。どうするこう
するはあなたの自由、あなたの判断です。
 病から解放されるかどうかは別にしても、不安や苛立ちを抱えて日を送るのか。たとえ、病は癒されないと仮定しても、楽しい一日を送
るのか。さあ、どっちを選びますか。
 ちょっと立ち止まって、自分に問いかけてみられるといい。
 「わたしは、今、喜んでいますか。」
 「わたしは、今、楽しんでいますか。」
 日本人って、実は、元来、喜び屋さんでした。(衣食足りて礼節忘る)とか。満ち足りた生活が、いつしか自分のことだけを考えること
が当たり前になり、感謝を忘れ、自分に囚われるあまり、不安を増幅させています。
 先のことなど、誰にも解りません。占い師にも、預言者にも、です。過去のことはよく当たります。それは、確定された過去だから。未
来は、自分が作るもの。確定した未来が、たとえ、あると仮定しても、未来は、自分が変えることができるものと、わたしは、信じていま
す。
 ちょっとだけ、ちょっとだけ、自分をそっと脇に置いてみて、人のために何かしてみませんか。他人というばかりではなく、それは、お
父さん、お母さんにでも、旦那さん、奥さんにでも、お子さんにでも、そっと思いを寄せ、自分をど忘れする時間を作りませんか。
 そして、喜び屋さんに立ち返りましょう。
 わたしには、残念ですが、病を治す力はありません。病を癒せるのは、ひとり、患者さんご自身です。わたしができるのは、せいぎり、
そのお手伝いだけ。
 表題のことばは、回数券の一番最初に書かせていただいていることばです。
 患者さんのために書いてあることばですが、お弟子さんにも、一番最初にお話しさせていただきます。そして、このことばは、わたし自
身に向けたことばでもあります。
 癒してあげた、という思いが、慢心を招きます。癒してあげた、という自負が、思い上がりを、さらに、増上慢を引き寄せます。
 自分自身に対する戒めとして、原点、として、常に、そこに、立ち戻らさせていただいています。
 
 
 
 
 おごるなよ 月のまるさも ただ一夜
 
 
 
 吉田茂総理大臣や、鳩山一郎総理大臣時代の衆議院議員で、農林水産大臣などを歴任した、広川弘禅氏が、好んで、色紙にしたためたこ
とばです。 
 広川氏は、福島県石川郡玉川村出身。名前の弘禅は、曹洞宗の僧籍を持つ法号で、本名は弘。東京選挙区から出ていました。一時は派閥
を率いる実力者でしたが、落選し、捲土重来を期し、地元である福島県から立候補しましたが、あえなく落選、その後、お亡くなりになり
ました。
 
 共同の井戸の廻りで炊事の支度をしたり、洗濯をしたりして、奥さん連中が人の噂話に花を咲かせます。それを井戸端会議と言います。
 現在では、共同の井戸などはありませんので、そのような光景を目にすることはなくなりましたが、奥方の噂話好きは相変わらずのよう
です。
 昼間のテレビなどは、どの局をひねっても、変わり映えのしない芸能人のゴシップ放送がテンコ盛り。(女が3人寄ればかしましい)な
んて言うことばも死語に近いのでしょうが、女の人が集まれば、芸能人の話題は言わずもがな、嫁、舅、姑、ご近所の揚げ足取りから、果
ては、政治経済にまで話しが及び、東スポも顔負けの、ありとあらゆる裏情報が溢れます。
 噂されて、酷い目にあった被害者でもあれば別ですが、ご婦人で、噂話が嫌いな人には、とんと、お目にかかったことがありません。噂
話の餌食になっていてさえ、自分が噂されるのはいやでも、人の噂は大好きです。それも、建設的な議論などはほとんどなく、主に、どち
らかと言えば悪口。まあ、下世話な話しに終止します。(人の不幸は蜜の味)それが、女性特有のストレス解消法なのでしょう。 
 わたしどもにお見えになる方で、比較的多い職業が、パーマ屋さんと、看護師さん。なぜか同じような職業にも関わらず、床屋さんと介
護士さんは、ほとんどといっていいくらい来院がありません。
 ひとつには経済的な理由もあるのかなあと考えています。
 床屋さん、介護士さんは、どちらかといえば男性が多く、その収入は一家を支える基本的な原資になります。一方、美容師さん、看護師
さんの場合は、旦那さんの収入が別にあり、比較的、自由になるお金があるということが原因として考えられます。
 もうひとつの理由として、看護師さんの場合は、それだけ、女性にとって過酷な労働だと言えるかと思います。
 美容師さんの不具合の元は、看護師さんとは違って、お客さんの毒気にあてられるのではないかと疑っています。
 女性が話す内容で、楽しく、愉快で、前向きな話しはほとんどありません。大部分が、否定的、消極的、悲観的な話しに終始します。美
容師さんは、それら、嘆き節を、朝から、晩まで、毎日、毎日、聞き続けます。意見を挟む余地などほとんどありません。聞きっぱなし、
受け取りっぱなしの繰り返し。まして、その話しの内容である、恨み、辛み、そねみ、やっかみ、ひがみ。それら、マイナスの怨念が表出
する場所が、特に、女性の場合、髪の毛。その髪の毛を、噂話を魚に、毎日触り続けます。(触り)続けることが、(障り)につながるこ
とも、ただの駄洒落ではなく、有りかも、と、考えています。
 右の耳で聞いて、左の耳からぬけていくような性格の女性であればともかく、その方が、まともに対応する真面目な性格であればあるほ
ど、不作為の作為である悪意の速射、連射攻撃を浴び続けます。
 どうも、そのあたりに、美容師さんの不具合が多い原因がありそうです。そして、それは、症状としても顕著で、肉体的な疲労というよ
り、どちらかと言えば、精神的ストレスに起因する不具合が多いのが、職業的特徴です。
 「お客さんが、いつも、何の話題を取り上げるか、よく、注意して、観察してみてください。」
 わたしは、初めてお見えになる美容師さんに、よく、そうお話しさせていただき、人間観察の楽しみ方を伝授します。なんて、そんな大
袈裟なものではなく、着眼点を変えて、聞き続ける苦しさや、まともに、マイナスの想念を受けるのではなく、少しでも、気持ちをそらせ
る程度の効果はあるのではないかと考えて誘導します。
 たとえば、お金のことで、他の人を揶揄する人は、ズバリ、その方がお金のことで、問題をお持ちです。
 簡単に言うなら、他の人のケチ振りを批判する人はその人がケチ。
 他の人のお金のルーズさを嘆く人は、その人が、お金にルーズ。そのような視点で、噂話の主を評価することが可能です。
 わたし流、わたしの中の通り相場です。
 俗に言う、焼餅焼き、不思議なことに、不倫経験者が、大多数です。わたしの知り合いのご夫婦で、それぞれに愛人のいるカップルがい
ますが、わたしなどでは、およそ、考えられないような、常識はずれの嫉妬をしあっています。そんなに心配なら、それぞれ、浮気などし
なければよさそうなものですが、口を挟むこともできません。口でも挟もうものなら大やけどをします。
 古来より、(夫婦喧嘩は犬も食わぬ)とか、桑原桑原。
 推理をし、結論付けるなら、自分が浮気の経験者であるからこそ、パートナーに対しても安心ができないのです。それが、焼餅行動の正
体です。行動真理さえ単純な中に隠されています。
 恒常的な横道論ですが、女性の噂話好きはまだいいとしても、一番に注意をしなければいけない種類の人がいます。
 親切ごかして近づき、他の人が言っていた悪口をご注進に及ぶ人です。わたしは、噂話、陰口を言っている人以上に、陰湿で、腹黒い人
だと考えています。
 知らなければ済むものを、わざわざ知らせることで、いったい、何が変わるでしょう。誰が徳をするでしょう。聞かされる自分も、気持
ちのいいものではありません。
 でも、真偽はともかく、聞いてしまえば、陰口を言ったと教えられた人との関係は、内心であっても、ぎくしゃくしたものになってしま
います。場合によっては、伝聞情報を元に、喧嘩にまで発展してしまうかも知れません。まあ、そこまではいかなくとも、相手との距離は
確実に置かざろをえません。
 仲の良い二人の関係に嫉妬して、意図的に仕組んだ所業だとすれば、当該女性の怨念の深さに、恐怖を覚えます。たとえ、陰口が事実で
あり、善意からでた進言であっても、聞かされた当人の気持ちに思い至れない結果なのですから、お付き合いする価値のない人であり、陰
口を言っていた人以上に、注意を要すべき人物です。
 
 表題とは、何の脈絡もなく、いったい、何を言いたいのかとお叱りを受けそうですが、もう少しお付き合いください。
 気になることは、自分の身の内にあると言います。
 気になる相手は合わせ鏡だと言います。
 自分がケチであれば、自分と同じように、もしくは、自分以上にケチである相手がやたら、気になります。それは、自分の欠点であるか
らこそなのです。相手は、自分の欠点を鏡に映しだして見せてくれています。問題は、相手にあるのではなく、気になる自分にあることを
洞察できなければなりません。気にする相手の問題なのではなく、なぜ、気になるのか。気になるとはどういうことか。拘泥する本質はど
こにあるのか、自問自答が肝要です。
 気になる、拘る、とは、気になり、拘りを持つ、自分にこそ問題が潜んでいることを悟り、自分をこそ反省して、人生の糧にしなければ
なりません。それこそが、(人こそ人の鏡)の真意です。
 ケチが良い、悪いや、浮気がどうのこうの、と、論考しているのではありません。気になるか、ならないかを話しています。
 自分がケチでないなら、相手のケチは気になりません。自分が人の奥さんと不純な関係もなく、願望もない人にとって、自分の奥さんを
疑う理由は存在しません。事実はどうあれ、です。
 ところがドッコイ、そうとは気づかずに、気になる人を揶揄します。揶揄し、否定することで、なぜか、自分を正当化しようとします。
自分を正当化した上で、人を詰ります。いくら相手を詰ってみても、自分を正当化してみても、どこか、満ち足りた気持ちにはなれません
から、いつでも、同じ話しを繰り返します。数多く話すことで、より、多い、同調者を求めます。より、多い、同調者を求めることで、自
分をごまかし、納得を得ようとします。
 そんな繰り返しを、永遠に続けても、一歩も前には進みません。一度、立ち止まって、我が身を振り返ることです。
 実は、この文章は自分のために書いています。
 ここまでの愚考を、広川氏に当て嵌めてみると、広川氏が好んで色紙にしたためたことばは、広川氏にとって、もっとも不足しているも
のであり、人のためではなく、自分に向かって書いたことばだと理解することができます。
 便利な世の中になったもので、広川弘禅で検索すれば、たちどころに、広川氏の情報は得られます。しかし、その情報、それ自体が正し
いのかどうか検証できません。昔の人ですから、直接、接したことも、お目にかかったこともありません。ですから、広川氏が、どんな人
となりで、表題のことばが、彼のために、もっとも必要とすることばであったのかどうかを、現在からは云々することは不可能です。
 そして、ようやくここからが本題に入ります。
 では、その広川氏のしたためたことばに感銘を受け、紹介したわたし自身はどうでしょう。
 なるほど、(豚も煽てりゃ木に登る)の類です。やっぱりな、です。
 煽てられればられるほど、気持ちが良くなり、上擦り、高ぶり、増上慢を体現します。それを充分承知する、もう一人のわたしがいて、
危険を察するからこそ、このことばに反応し、必要とし、選択し、反省を促します。
 最初は、お弟子さんを諭すことばとして、重用しました。ところが、このことばが、一番に必要であったのは当のわたし自身でした。
 ちょっと良くなれば、天下を取ったような気持ちになる。ちょっと悪いことが重なると、まるで、この世の終わりがきたのではないかと
思えるほど落ち込んでしまう。
 全てを必然として理解できずに、すこし良いことでもあれば、自分の実力を過大評価する。少し悪いことが起きると、必然とは思えず失
敗の言い訳を一所懸命探しだす。なぜなんだ。どうしてなんだ。と、答えのないアンサーを求め、悶々と日を送る。それが、まぎれもな
い、わたし自身です。
 ですから、そんな、どうにもならない自分に気づき、どうにもならない自分を認め、どうにもならない自分から脱出するために、自分の
ためだけの、自分専用の戒めを、わたしが座る椅子の横に張り出しています。
 (良いも悪いもすべてが必然)
 (こころせよ おごり たかぶり よくにごうまん)
 (我とは 自分の徳をほめる 虫である)
 このことばは、わたし達が(おやかたさま)とお呼びし、尊敬を寄せ、たくさんのお教えを仕込まれ、気づかさせていただいた、{あた
らしい道}という集まりの、故松木草垣女子のおことばです。これからも、いちいちことわりを入れませんが、おやかたさまのおことば
を、折々に、ご紹介させていただきます。
 還暦でも過ぎれば、少しは人格的にも円熟味が増し、泰然とし、超然と構え、人間として、完成に近付くこともできるのかと思っていま
した。
 ところが現実は、小心で臆病で、欲の固まりで、あいも変わらず、業の積みっぱなし、思い上がりがすぐ頭を持ち上げるは、自己顕示欲
は少しも衰えないは、書き連ねれば、自分を表す、たくさんの悪口雑言、罵詈雑言を即座に並べ立てることが可能で、どうにも、達観など
とは縁遠い存在です。
 まず、そんな弱い部分を含め、正しく自分を知ろうとしています。
 そして、知った上で、そんな自分を許すこと。そんな自分を愛すことを実践しようとしています。
 箸にもぼうにもかからない自分を知り、知った上で許し、さらに、そんな自分を愛す。自分を愛せない人に、人を許し、人を愛すことな
どできません。
 世の中に偶然はありません。ことばを選ぶ、たったひとつの行為ですら必然です。
 必然としてのきょう。必然としての出会い。必然としての、出来事。
 必然としての、わたし、です。
 
 
 
 
 こども叱るな 来た道だ 年寄り笑うな 行く道だ
 
 
 
 
 わたしは、現在では、子供ではなく、孫相手になってしまいましたが、今に至るも、孫を相手に、大声を上げて叱りつけていることが、
儘あります。でも、時々、思うのです。子供を教育するのは親の努めで、出しゃばってしまっているな、と。むしろ、わたし達がしてあげ
られることは、猫可愛がりでいいんだよな、と。躾というよりは、どうにも、感情が先走っているな、と。
 わたしは、昔も、子ども達を、感情のまま叱り飛ばしていました。偉そうなことを言っても、たかだか自分。親として、理想の、尊敬さ
れる親になどなれるものではない。だとするなら、ありのままの自分を包み隠さず見せること、それこそが、自分ができる子育てではない
かと考えていました。当然、叱ることも、感情の赴くまま、理由も告げず、説明もなく、恫喝一過、少々の手心は加えるにしても、有無を
言わさず張り倒していました。
 子ども達にとっては、たまったものではなかったと思います。
 子育て真っ盛りの頃、わたしは、わたしがする行為を、理不尽であってもいいんだ。それが、理不尽だと感じるなら、子ども達はそれを
受け止め、考え、咀嚼し、自分の人生、自分の子育てにどう生かすのかを学べばいい。自分の糧にするも、ただの反発や、否定にしてしま
うも、それは、それで、当人次第だと、今から考えると開き直ってさえいました。
 願わくは、わたしを反面教師とし、そこから学び、わたしを踏み台にして成長してくれればいい。
 でも、それは、大いなる言い訳であり、都合のいい屁理屈でした。
 虐待を受けた子供が親になり、虐待を繰り返す。虐待する親の多くが虐待を受けた子ども達であることを知ったのは、ずっと、後のこと
です。
 悪いところだけはよく似ると言いますが、わたしの子供が孫を叱っている姿は、わたし程ではないにしても、わたしと同じなのです。
 何も、そんなに大声で怒鳴り散らさなくともいいのに。でも、はっと、気づくのです。それが、当時の、わたしの姿そのままであること
を。
 年甲斐もなく、今でも、孫を相手に大声を張り上げてしまうわたしです。そんなわたしが、偉そうなことは言えたものではありません。
 でも、時々は正気に戻るのです。失敗から学ぶ道理があります。しくじった、と、反省しているからこそ話せることってあります。
 子供が駄々をこねる。言うことを聞かない。それら、叱る状況が発生した時、いの一番に考えなければならないことは何か。
 最初に考えなければならないこととは、自分の親のことです。
 ああ、こうして、わたしも、親を困らせたんだなあ。こうして、親を嘆かせ、悲しませたんだなあ。子供がする、その姿こそ、自分がし
てきた姿。親を思い出すことが先。親に感謝することが先。親にお詫びすることが先。
 (お父さん、お母さん、ごめんなさい)
 さあ。その上で、そこから、叱るが始まります。
 見逃してもいいこと、決して、見逃してはいけないこと。その、選別が最初です。
 現代の教育は、目線を同じくして、充分に意見も聞き、それがなぜいけないのかを噛んで含めるように話し合うのだそうです。んー
ん、どうなんでしょう。学校のホームルームじゃあるまいし、と、正直思ってしまいます。そんなことで、弁だけ達者な子供は育たないの
でしょうか。目線は同じ高さにすることはいいと思います。でも、他の人と同席していた場合など、現在進行形の用事を別にして、子供が
納得するまで話し合うことなど可能でしょうか。むしろ、ただの、なぜなぜ攻撃を誘発したりはしないものなのでしょうか。その場はとり
あえずやり過ごし、後で十分時間を取ってコミュニケートを計ればいいのでしょうか。理想とする躾、理想とする叱り方は、たぶん、ある
のでしょう。でも、そんなに子供に時間を割けるのでしょうか。その場での処置が大事なのであって、時を過ごしてからの教えに本当に効
果はあるものでしょうか。
 それに、もっと根本的な疑問です。
 現実に、子供に対して、全てが理路整然と説明可能でしょうか。実は、説明不可能な場面て多くはないでしょうか。
 「駄目なものはダメ。」
 私見ですが、親を思い、親にお詫びをし、一呼吸して落ち着いてことばを発する。それでいいと考えます。理屈など必要ありません。駄
目なものはダメです。それ以上の説明は、時として、不要です。
 
 (娑婆は追い掛け)
 (因果は巡る)
 自分の人生だけであれば、原因があって、結果があるのですから仕方ありませんし、たとえ、どんな結果を招こうとも諦めるしかありま
せん。でも、わたしの人生は、ひとり、わたしだけのものではありません。
 特に、自分が慈しみを持って大切にしたい自分の子供に、大きな影響を与えてしまうとすればどうでしょう。
 つまり、極端な話し、年寄りを笑っても、嘲っても、蔑んでも、毛嫌いしてもいいのです。いずれ、その立場は、自分が経験しなければ
ならないことですから。もっとも、お年寄りをばかにしていたような人にかぎって、自分がその環境に置かれると、手のひらを返すよう
に、ジッタンバッタンを繰り返し、自己主張を強めるのが常ですが、(因果応報)わたしがそうであるように、自分を顧みて反省するしか
ありません。
 でも、以心伝心、お年寄りを敬うことを忘れた親を、さらに、蔑ろにしている実体を見て育つ子供がいます。
 年寄りを大事にできない自分を身近にして、なぜ、お年寄りを尊敬する子供が育つでしょう。
 子供は、(親の背を見て育つ)と、言います。わたし達は、次世代を担う子供達に大きな責任を持っています。教え、導かなければなら
ない使命を持っています。
 それを、教育で、どう、解決つけますか。(お年寄りは大事にしましょう)そのようなスローガンを並べて教育すれば、お年寄りを大事
にする子供が育ちますか。
 それを教えることができるのは、とりもなおさず、親にしかできない無言の導きです。
 あなたのお父さんは、大酒飲みで、暴力的で、無学で、どうにもならないお父さんであったかも知れません。
 あなたのお母さんは、いつも小言ばかり並べ、口をついて出ることばは、不平不満ばかりであったかも知れません。
 夫婦仲が悪く、諍いを繰り返し、いがみ合ってばかりいるご両親であったかも知れません。
 あなたは、ご両親に捨てられて、ご両親の顔さえ分らない人であるかも知れません。
 しかし、負の因縁の連鎖は、どこかで断ち切らなければなりません。
 現実は、どんなに取り繕っても、変わることはありません。親の顔さえ分らなくとも、親のいないわたしはいません。その、顔さえ分ら
ない、ご両親を敬い感謝する。どうにもならない、たとえ、どうしょうもない親であっても、その両親を選んで生まれてきたのは自分で
す。生んでくれたことに感謝する。生まれたことに感謝する。
 ご両親に感謝する心さえない人に、お年寄りに感謝することなどできません。まして、お年寄りを大事にする気持ちになどなれません。
 何であれ、どうであれ、感謝、喜びに溢れた、あなたを見て子供は育まれます。
 不平不満を並べ立てるお子さんがいるとするなら、それは、あなたの姿です。
 愛とは何でしょう。与えて、与えて、与え尽くすのが愛です。見返りを求める愛など存在しません。愛は常に無償です。
 自分の子供に、無償の愛を与えるためには、一番に変わらなければならないのは、誰でもない、わたし自身です。
 見返りを求める愛を愛とは呼びません。それは、打算と呼びます。あなたは、子供に打算を教え込みますか。
 (善因善果)善果は結果であって目的ではありません。善果を期待する善因は存在しません。
 人生とは、善因のしっぱなし、です。
 
 
 
 
 
  辛いのは幸せの途中だから
 
 
 聾唖者で、銀座でホステスをしている斉藤里恵さんが、<筆談ホステス>という著書で紹介しました。そのことばに原典があるのかどう
か、彼女のオリジナルなのかは不明です。
 わたしは、彼女の本を読んではいないのですが、著書を元にしたテレビドラマを視聴しました。そのドラマの中で、彼女が、事業に失敗
し、銀座に来ることができなくなったお客さんに贈ったたことばです。
 (辛)に横一本棒を加えると、(幸)になります。(辛)から(幸)になるには、まさに、あと、横一本棒だけ。横一本棒の辛抱(しん
ぼう)。なるほど、(こころのぼうをひとつ足してあげるだけ)(なるほど、辛を受け止め抱えこむこと)妙に納得し、胸を打たれたこと
を覚えています。
 (降ってやまない雨はない)
 (夜明けのこない夜はない)
 (冬来たりなば春遠からじ)
 (飛行機は向かい風があって飛び立てる)
 「大きくジャンプしようとすれば、まず、体を小さく屈めなければならないでしょう。もっと大きくジャンプしようとすれば、その分、
より、身を屈め、屈める時間も、より、長くなります。跳躍するための充電と心得て、精進するんです。やせ我慢でもいい、我慢こそが、
あなたを、より、大きな人間に育てるんですよ。」
 わたしが、経済的にも、精神的にも、苦しい時代に、こう言って励ましてくれた方がいました。わたしは、その励ましに感謝もできず
に、こんなことばを返していました。
 「それは分かっている。でも、もう、限界です。高くなど飛べなくともいい。とにかく、現状から逃れたい。」
 (神はその人が超えられないハードルは価さない)と、言います。でも、わたしの場合で言えば、困窮し、喘いでいる時には、どんなこ
とばを掛けていただいても、たとえそれが、心の琴線にふれ、一時的には感動できたとしても、感動的なことばより、目先の千円のほうに
価値を見いだしていました。
 でも、今になって思うのです。目先の千円は、人間を卑屈にし、ダメにすると。
 順調ではなくなると、今まで、おべっかを使って近づいてきた人間が、当然のごとく、音信不通になる。音信不通どころか、たまに合っ
ても、言葉付きさえ変えられてしまう。まさに、テレビドラマでも見せられているような、手のひらを返した態度に唖然とすることも一度
や、二度ではありませんでした。
 しかし、そんなことに囚われて嘆いてみても、相手を攻撃して正当性を主張してみても、何も変わるものではありません。相手の生き様
にまで関わる必要はないのであって、その人達の、それぞれの生き方は、それぞれの人にお任せすればいいのです。
 なによりも、本当に苦しい時、励まし、支えてくれた恩人、友人、知人、家族が、身近にいてくれたかどうかが、一番重要ではなかった
かと。
 (親の意見と茄子の花は千に一つの無駄もない)(親の意見と冷や酒は後になるほど効いてくる)それが、親であれ、誰であれ、言って
くださった注意、忠告は、それぞれの経験を元にしたアドバイスです。そのアドバイスが後ろ向きでない限り、心を開いて、虚心坦懐、速
やかに受け入れなければならなかったなと。
 陽明学に知行合一ということばがあります。知っていることと、行うことは同じでなければならない。知ってはいるけれど行わないとい
うのは、つまり、知っていることにはならない、というような意味でしょうか。
  わたしのように、せっかくのアドバイスを分かっていると思っているうちは、実は何も分かってはいません。分かったようなつもりで
いるだけ。
 何も分かっていないことに早く気がついて、真摯に耳を傾け糧にする。重要だったのは、たったそれだけのことでした。
 知り合いの方が、本当に必要なアドバイスをしてくれていたことを知るのは、ずっと後のことです。苦しい時は、ただ、現状から離れた
い一心、解ったようなことを言われることに腹立たしささえ覚えていました。
 「健康になれるなら、お金なんかいらない。お金がなくとも、健康でありさえすれば、お金はいつでも稼げる。」
 そう言った方がいました。
 その時もわたしは、
 「少々不健康でもいい。医者にかかるお金がほしい。」
 そんなことばを返していました。
 その人とわたしが出会うのは必然でした。必然を必然と悟り、それぞれがそこで学ばなければなりません。その方はともかく、わたし
は、そのエピソードからは、何ひとつ、学んでいませんでした。
 お金はあるけれど健康を害している人。健康だけれどお金のないわたし。それぞれがしていた間違いは、(ある)ことに感謝できない、
できない挙げ句のないものねだりです。
 わたしには健康がありました。その方には、お金がありました。それぞれが持つ、あることに感謝しなければなりません。ところが、二
人ともが、ないことの不足を嘆いてだけいたのです。
 (足るを知る)そして、そこで学ばなければならないのは、とりもなおさず、喜ぶことでした。
 
 ある事情があって、バスを借りて、福島から友人数人と、途中、東京で何人かを乗せて大阪に向かいました。その帰路、わたしがバスを
運転していると、東京から乗せた人が、運転席の後ろで小一時間立っています。別段、気にもとめてもいなかったのですが、その人が、唐
突に話しかけてきました。
 「あなたは貧乏していますか。」
 突然のことでドギマギしながら聞き返します。
 「人相かなにか看るのですか。」
 それには直接答えずに話し始めます。
 「あなたとここ3日ばかりを過ごして、それなりの志しをお持ちだと感じました。持っている使命が大きければ大きいほど、たくさんの
通り超し、苦行を重ねなければなりません。たぶん、大変なご苦労をしているだろうなと、あなたの後ろ姿を眺めていました。」
 わたしは、返すことばもなく、聞き入ります。
 「あなたに必要な修行は、あなたにとって一番得手ではない修行になります。では、あなたにとっての一番苦手な苦労ってなんだろうと
ずっと考えていました。」
 「はあ。」
 「あなたは、格好良く、気前よく、お金を使いたい人。人に奢ってもらうのでさえ、潔しとはしないのではないでしょうか。人のために
は頭を下げられても、自分のためには、どうしても頭を下げられない。ところが、自分のために、しかも、お金のために、頭を下げ続けな
ければならない。」
 さらに、続きます。
 「卑屈になり、惨めになり、人生、全て悟ったような顔をして斜に構える。人には教えを垂れながら、自分はどうしていいのかも見出せ
ない。自分をさらけ出して相談もできない。相談しようとしても、その人がどんな答えを返すのかまで分かってしまう。なぜなら、それ
が、よその人から相談を受けた時のあなたの解答だからです。でも、その解答が一番必要なのは、あなた自身であり、その解答を、一番理
解しなければならないのもあなたです。理解できないから、何度でも、あなた自身の口で言わされます。自分が話すことばを最初に聞く耳
はあなたの耳です。それは、聞く耳ではなく、聞かなければならない耳なのです。解答はあなたの中にあります。それを噛み締め反芻す
る。それが、あなたにとっての修行です。」
 「なるほどね。それが、わたしに与えられた試練で、結果としての貧乏なのですね。」
 納得はできても、渦中にいる自分にとっては、トンネルの出口は永遠にないのではないかと不安でしかありません。
 「そこから抜け出す特効薬があります。現在、置かれている状況を、さらに、必然として理解する。理解した上で、喜ぶ。それに勝る処
方箋はありません。」
 どう返事をしたのか覚えていません。でも、それで納得できたかと言えば、到底、納得できるものではありません。でも、たったひとつ
だけ変えることができたことがあります。
 (そうだよな。どうせ、しなければならないことはしなければならない。だったら、いやいやするよりは、積極的に喜んでやることにし
よう。喜べないのだったら、喜べるように工夫しよう。)
 少なくとも、その時から、少しだけでも前進することができました。とはいえ、凡人のなせる技、それからも、行きつ戻りつ、紆余曲折
を繰り返したことは言うまでもありません。
 たくさんの出会いがあり、たくさんのアドバイスをいただきました。
 でも、(貧すれば鈍す)ただ、自分の身の不運を嘆くことしかできませんでした。たくさんの出会いを重ね、たくさんのチャンスをいた
だきました。でも、それをことごとく潰していたのは、何を隠そう、自分自身だったのです。
 
 生体には、日々、色々な悩みを抱えた人がやってまいります。
 形にすれば、肩こりであったり、腰痛であったり、千差万別です。でも、それは、結果としての不具合であって、真の原因は別にあるこ
とが少なくありません。
 最初は、自分の内にある、心の闇を話すことを躊躇していた方も、2度目、3度目になると、徐々に、心を開いてくださるようになりま
す。そして、いろんな悩みを打ち明けてくださいます。限られた時間ですが、できるだけ、お話しを聞かせていただこうと心がけていま
す。
 (話す)という行為は、わだかまり、こだわり、負の思いを(離す)ことでもありです。(離)せない(話)は話すことにはなりませ
ん。お話しいただき、重荷を離すお手伝いをすることが、当療法の重要な柱です。
 具体的なアドバイスを求められることも少なくありません。その時、わたしは、アドバイスではなく、自分の失敗談を含めた、ふっと、
思わされた、自分の経験をお話しさせていただくように心がけています。
 わたしにとって、医療がそうであったように、心理学にしても、哲学にしても、まったくの門外漢でしかありません。それでも、自分の
経験でしたら、お話しさせていただくことができます。
 自分の経験していないことを話すということは、知識として得た学問です。学問とは、机上の空論でしかありません。現に、現実を生き
ている人も、常に素人です。ささいなことにこだわり、小さな出来事に一喜一憂する、真の安寧を得た人などはどこにもいません。素人に
は、同じ悩みを抱え、試行錯誤を繰り返す、素人の現実的な経験が、何にも増して、価値があると自負します。
 たとえば、人はかくあるべき、の、(かくあるべき)が、学問であり、宗教です。でも、わたしのような俗人の悩みとは、かくあるべき
どころか、はるか、それ以前の、入り口さえ見いだせない苦悶なのです。
 経営コンサルタントが、経営に失敗する例はたくさんあります。子育て専門家のお子さんは、立派なお子さんばかりでしょうか。実は、
そこに、方程式などありません。良い場所を選んだから成功するのではなく、成功した場所だから良い場所なのです。それを、理路整然と
説明をつけることのできる人が専門家です。しかし、それは、後付けの理屈にしか過ぎません。統計としての最大公約数でしかありませ
ん。立派なお子さんに成長した子育てが、よい教育なのです。お子さんを、同じ環境に置き、同じ育て方をしても、皆、同じように、いい
子に育つとは限りません。わたしが相手をさせていただくのは、方程式では計れない、現実、現場、個別対応の事例です。
 相談をお受けしても、自分の経験していないことを、さも、自分の経験のように言うのは控えようと決めています。知らないことは知ら
ないと言おうと決めています。理解していただくためにする引用としての例題を持ち出す時は、自分の経験のように話すのではなく、出典
を明示しようと心掛けています。
 現在まで、相談をお受けした内容は、不思議なことに、わたしが通った道程にあり、経験したことばかりでした。わたしが経験したこと
のない相談内容を持ち込まれたことは一度もありません。
 そんな現実や経験を、これから、さらに、繰り返したいとは思いません。それどころか、二度とごめんです。でも、少なくとも、あらゆ
る相談を、きょうまでは自分の経験としてお話しさせていただくことができました。
 今になって、改めて、思うのです。ここに、(ある)ためにこそ、色々な経験を積ませられたのではないかとさえ思えてしかたないので
す。
 ご相談を受けても、わたしは、わたしの体験をお話しさせていただくだけで、わたしの価値判断を押しつけないように注意します。なぜ
なら、それは、わたしの経験であり、通り越しでしかないからです。
 わたしの、(離し)を、どう、聞き、どう、受け止めるか、受け止めない選択肢を含め、どうするも、どうもしないも、活かすも活かさ
ないも、聞いていただいた人ご自身の価値判断にお任せしています。
 でも、納得できるかどうかは別にして、尋ねられれば、同じエピソードを、繰り返し、繰り返し、何度でも話させていただきます。
 施術する場所は狭いのですが、そこに、マッサージ機、低周波治療器、足踏み器、乗馬運動、自転車漕ぎ、金魚運動、アキレス腱伸ば
し、フットマッサージなどが並んでいて、ご予約なしで、無料で開放しています。お飲物の提供なども無料でしています。
 わたしは、施術している場所を、人が行き交うサロンにしたいと考えています。
 なにげにふらっと立ち寄る。そこで患者さんと話していることをなにげに聞く。なにげに話しの中に入るもよし。そこでなにげに元気を
もらい、なにげに出ていく。
 人が集まる場所。人が行き交う場所。こころ休まる場所。元気を生む場所。情報を発信できる場所。そんな、笑い声と、笑顔の集う場所
でありたいと念じています。そのためにこそ、色々な器具を置き、飲み物の提供などもしています。
 これもテレビでですが、TIMのゴルゴさんだったと思います。
 「辛いと言う漢字は逆さまにすると幸せになる。」
 まさしく、見る角度を変えるだけで辛いことすら幸せになります。
 どうせ経験しなければならない現実なら、身の不運を嘆き、言い訳を繰り返し、つまらない不安に怯え、恐怖を募らせ、ただ、悶々と日
を送るより、涙を流しながらも、喜んじまいましょうよ。今を、楽しんでしまいましょうよ。
 愚痴を言うだけ言って、(話し)終えたら、つまらないしこりを(離し)ましょうよ。
 
 
 
 「はい」は「拝」 相手を思いやるこころ
 
 
 自分は「はい」とは言えないけれど、子供には「はい」と言わせたい。
 それを、教育ではなく、強要と呼びます。強要とは、自分にとっての都合のいい現実の欲求です。
 子供を、教え育むのではなく、自分の都合を要求する。子供の将来にかこつけて。それは、無理難題と言うものです。
 しかし、現実には、いかに、その、強要や、無理難題がまかり通っているものか、皆さんにはお心当たりはないでしょうか。
 子供が「はい」と言わない。とりもなおさず、「はい」と、言えないわたしの投影です。まず、自分をこそ振り返らなければなりませ
ん。自らを顧みて反省し、改善しなければなりません。
 (わたしは、そんなことはないよな)
 即座に、そう、思ったあなた。それが、「はい」とは言えないあなたの、なによりの証明です。
 最初に、自分を顧みる。次ぎに、自分に問うてみる。答えはその後に来るのが手順です。その順序を省いて、即座、に、答えを出す行為
そのものが、自分ではそれと気付いていないだけで、「はい」とは言っていない、あなた、の、姿に他なりません。
 わたしは、お酒をあまり嗜みません。どちらかといえばインドア派で、宴席なども苦手なほうです。
 約束するのも嫌いです。約束をすると、なぜか、約束に拘束されているような気持ちになり、約束それ自体が重荷になります。ごく、近
しい知り合いですと、行けたら行くからで、済ましてしまいます。お誘いくださった方にとっては、準備の用意もあるはずで、実に、どう
にもならない、困ったチャンです。
 出無精でもあります。出無精というよりは、単なる面倒臭さがりなだけで、出てしまえば、こんどは、家に戻るのが面倒な、ものぐさで
す。
 ですから、宴席も、苦手というよりは、面倒なだけ。ことばを変えるなら、単なる、わがまま。?
 差しつ、差されつが面倒。席を変えたりするのも面倒。いつのまにか、わたしの周りに人が集まるか、最悪、わたし一人がとり残されて
ボンヤリしているか、どちらかになってしまいます。ふたりきりで話す分にはいいのですが、何人かが集う酒席では、黙っているのも気が
引けますし、でも、誰に向かって、どんな話しをしていいものか分らない。あまり固い話しをするのもどうかと思いますし、だからといっ
て、その場限りの、責任のない、いいかげんな話しをすることはもっと嫌い。そんなことを気にしながら、取るに足らないことで頭を悩ま
すのも面倒。それでも、それはそれなりに、自分なりには楽しんでいるつもりなのですが、決して、楽しんでいるようには思っていただけ
ない。あげく、なにかと、気を使われてしまう。それすら面倒。
 つい、知らず知らずに酒席を避けるようになります。
 お誘いがあっても、「はい。」とは受けずに、ない頭をふる回転して、いかに上手にお断りをするかばかりを考えています。それが、
「はい」と受けることができない、わたしの偽らざる姿です。
 「はい」は受諾ではありません。
 お誘いくださった方を受け入れ、お誘いくださったことに感謝し、敬いを込めてする「はい」です。
 「はい」とお受けし、お断りすることがあってもやぶさかではありません。ところが、受諾と取られるのではないかと慮る。故に、どう
しても、「はい」とは言えない。
 しかし、それは、お誘いくださったその方そのものを受け入れていないことに他なりません。
 神社であっても、お寺であっても、拝所があります。神社のご神体、お寺のご本尊の前で、二心も、隠し立てもない証しとして、両手を
上向きに差し出し、手のひらを開いて、(拝)をさせていただきます。柏手でも同じこと、何かを持つ手で、柏手は打てません。かしわで
とは、打てば響く、一点の曇りもない、わたしの、魂の音(おん)です。
 その姿そのままが、返事としての「はい」です。
 
 タイに15名ほどで行った時のことです。
 それぞれに、別行動をしていたのですが、一緒に食事を取るために待ち合わせをしました。
 ところが、乗り合わせたタクシーにとんでもない郊外まで運ばれてしまったのです。わたし達は4人で行動を共にしていたのですが、場
所が違っていることに気づき、すぐに引き返します。ところが、そのタクシーの運転手も場所を知らなかったのか、再び、適当な場所で下
ろされてしまいました。その場所たるや、タクシーも通らない裏通り。何とかかんとか、終いには白タクに乗って、ようやく、1時間以上
遅れて集合場所にたどり着いたのです。
 性格的に時間厳守なわたしは、
 「すみません。実は、ああで、こうで、こうして・・・。」
 理解を求めるために、事の顛末の説明をしました。
 でも、何か、雰囲気がおかしいのです。理由は後になって判明します。
 「タクシーで、違う場所に連れていかれる。さらに、また、違う場所で下ろされる。あげく、白タクに乗って法外な料金を請求される。
すべてが、必然です。その意味は自分で悟らなければなりません。4人の中で、誰が、遅れた言い訳をするか。最初に言い訳を言い出した
人は、必然であることを理解しようともしていませんし、まして、何も悟ろうとしていない人です。」
 わたし達が遅れている間に、逐次、連絡を入れてくれていた人がいて、待ってくれている人達の中で、そのような話しをした人がいたの
です。
 (遅れてすみません)それは、当然の常識です。
 しかし、問われる前の説明は、遅れたことの正当性の主張であり、自分の責任を回避したいという思いであり、結果として、人から、よ
く、思われたいという打算でしかありません。
 それよりも何よりも、すべてを必然として受け取ることのできないわたしの姿を晒したばかりではなく、「はい」ができない、わたしそ
のものでしかありませんでした。
 たとえ、たかが、宴席のお誘いであっても、
 「はい」
 と、受けて、
 「ごめんなさい。ちょっと用事があって、欠席させてください。」
 これだけでいいのです。お誘いくださった方にとって、出欠が重要なのであって、わたしの事情など無関係です。
 その結果として、お誘い下さった方が、どう、思い、結果として、わたしを、どう、評価するかは、わたしの問題ではなく、相手の問題
です。
 にも関わらず、(良く思われたい)という欲があるからこそ、不要な言い訳を繰り返す。いつも、同じ言い訳もできないから、ない知恵
を絞る。そんな、不要な手前勝手に囚われ、二心も三心も丸出しで、右往左往しているからこそ「はい」が出てこない。
 
 中村文昭さんの講演をお聞かせいただく機会を得ました。
 氏は、三重県で、レストランを経営され、小規模の挙式、披露宴を手がけ、大成功を収めています。
 自分の講演活動と合わせ、(耕せにっぽん)として、荒れていく農地の現状を憂い、引きこもりやニートの人達と共に農業に勤しみ、元
気のない先生に活力を与えるために(あこがれ先生プロジェクト)を立ち上げるなど、その活動は多岐に渡ります。
 著書も多数お持ちですが、わたしは、コミック版<お金でなく人のご縁ででっかく生きる>を読ませていただきました。
 講演会に参加かせていただきましたが、他の二つの地区での講演の模様もCDでお聴かせていただき、より、理解を深めることができま
した。
 氏には、師匠とお呼びする方がおられ、師匠の会社に弟子入りします。その時、いくつかの約束をさせられますが、そのうちのひとつ
が、(返事は0.3秒)というものでした。
 頼みごとをする人は、頼まれる人ができないことを決して求めません。その人にできることしかお願いしません。ところが、それを受け
る受け手が即答しない。即答できない。それは、自分の損得を計算しているからだと言い切ります。0.3秒のいい返事の繰り返しが、い
い出会いを生み、いいチャンスを膨らませます。いい出会いも、いいチャンスもなかった、と嘆く前に、自らが、いい出会いも、いいチャ
ンスも求めてこなかったことを理解していません。
 ある日、師匠の元に来客がありました。彼はお客さんのために缶コーヒーを買いに行かされます。師匠の前では、煙草を吸うこともでき
ません。煙草を燻らせながら、命の洗濯とばかり、のんびりと行って、のんびりと戻ります。
 師匠は烈火のごとく怒りました。
 「なぜ、駆け足で行ってこない。息咳ききって、なぜ、缶コーヒーを手渡さない。息を弾ませて、缶コーヒーを手渡された人は、自分の
ために、駆け足で缶コーヒーを買いに行ってくれたことに感動し、感謝する。それが、2度、3度と重なれば、若いのになかなかみどころ
のある子だと感心する。それが、度重なれば、おまえのために、できることは何でもしてあげたくなる。それが、人情というものだろう。
おまえは、その出会いもチャンスも潰してしまった。たった、缶コーヒーを買いにいくだけの行動でも、やりようによっては、人に感動を
お別けすることができる。」
 まったく、まさに、その通りです。
 氏は、講演会の最後を、こう、締め括ります。
 「皆さん、講演を聞いて、喜んでお帰りくださいます。『いや、きょうはいい話しを聞けた。』でも、会場を一歩外に出ると、必ず、こ
う、おっしゃいます。『だけどなあ。』『そうは言ってもなあ。』それだけは言わないでください。わたしが、特別ではありません。
奇跡はだれにでも起こせます。おおかたの人は、最初からあきらめているか、奇跡を起こそうとはしていないだけです。」
 
 本当は、この度の震災で現実に起こった実話を二例紹介させていただくつもりでおりましたが、死者にむち打つことにもなりかねません
ので遠慮させていただきます。
 
 
 
 せまい日本 そんなに急いで どこへ行く
 
 
 
 1973年(昭和48年)全国交通安全運動の標語募集で、総理大臣賞に輝いた作品です。
 わたしと同年代の人にはお馴染みの標語で、当時は、全国、津々浦々、いたるところに表示されていました。
 わたしは、この標語の前に標語なく、この標語の後に標語なし、なんて、思っています。
 自意識過剰のなせる業か、この標語に初めて接した時、(ウワー、やられた)と思ったことを、今でも覚えています。だからと言って、
わたしが、標語募集に応募していたとか、そのようなことではありません。応募をした訳ではなくとも、その着想にふれ、1も2もなく、
ただ、ただ、脱帽しました。とにかく、(してやられた)との思いを深くしました。
 考えてもみてください。交通安全の標語といえば、大部分の人は、注意喚起を思い浮かべるはずです。その中からテーマを絞り、そのテ
ーマに沿って、いかに、大多数の人に、思いを伝えられるかを模索します。でも、この作品に限っては、その常識を簡単に飛び越えたので
す。
 ブレーキを早く踏めとも、スピードを出すなとも、酒気帯び運転はするなとも、おおよそ、車を運転することに関わる単語はどこにもあ
りません。それどころか、注意を促す字句すら存在しません。
 ごく自然に、たずねています。しかもそれは、決して尋問ではありません。ただの質問です。質問というよりは、問いかけです。しか
も、その、問いかけに対する答えは、こちら側で用意しなければなりません。
 わたしは、この標語を超える標語は、大袈裟ではなく、これからも生まれないだろうと思います。
 標語の中の標語。標語には治まりきらない、標語を超えた標語。標語界の4番打者。4番を超えた永久欠番、です。
 そして、この標語は、わたしにとっては、交通安全の標語としてではなく、物事を杓子定規に決めつける、なぜか、生き急いでしまう、
自分自身に問いかける意味でも、重要なことばです 。
 
 わたしの知人に水道屋さんがいます。腕が良く、仕事の依頼は大変多いのですが、これが何とも、気まぐれと云おうか、偏屈と云おう
か、通常、仕事を発注する大工さんには頭が上がらないものですが、委細お構いなし、気が向かなければ仕事をしませんし、大工さんをす
ら蔑ろにすることなどは日常茶飯事、虫の居所によっては、食って掛かることなども朝飯前です。
 良くいえば職人気質、悪く言えば、なまけもの、という御仁です。
 わたしの家に別の知人がやってきます。とりとめもないお茶飲み話をしていたのですが、
 「関口、いやあ、あやまった。」
 (あやまった)と言うのは、当地方(福島)の方言なのでしょうか、(どうしたらいいのかわからない)もしくは(まいってしまった)
というような意味に使われます。それを受けたわたしは、
 「いいえ、わたしに謝らなくともいいですよ。」
 と、冗談で返します。
 理由を聞いてみると、件の水道屋さんです。新居が完成したのですが、水道工事がまだで、せっかく新居に入居しても、お隣で、もらい
湯をしていると口説くのです。
 おやおや、またか、です。以前にも同様のことが、1、2度あり、完成した家を引っ剥がして水道工事が行われ、大工さんが補修に苦労
したことを聞いていました。
 その方の場合、まあ、それでも、ようやく明日工事をしてくれる返事をもらっていて一安心という態です。
 翌日、早朝、水道屋さんが顔を出します。でも、どう見ても仕事着ではないのです。
 「釣りですか。」
 「投網。」
 「これからですか。」
 「ん。」
 これで会話は成立します。
 「きのう、◯◯さんが来て、きょう水道工事をしてもらえるから、ようやく、新居の風呂に入れるって喜んでいましたよ。それなのに川
ですか。」
 「関口。あのなあ。仕事は死んでの後まであるよ。」
 さらに続きます。
 「お天道様がキラキラ輝いて、爽やかな風がスーーと吹いて、小鳥がピーチクパーチク、魚はパックパック口を開いて俺を待っている。
川が、俺においでおいでって。こんないい陽気に、何をあくせく。」
 その日は間違いなく、川に向かいました。ただ、その後はどうなったのかまでは覚えていません。 
 当時のわたしは、酒店を経営していました。経営的にも、経済的にも、どうしていいのか、指針すら見いだすことができず、暗中模索を
繰り返し、右往左往し、店が継続していけるのかどうかという心配と、心配を通り越した、計画すら立てることができない恐怖と、得も言
えぬあせりだけが道連れでした。
 そのわたしに、(仕事は死んでの後まである)の、言辞は衝撃的でした。さらに、(何をあくせく)のおまけ付きです。
 その時になぜか思い出したのが、表題の交通標語でした。
 それ以降、(仕事は死んだ後まである)(何をあくせく)(せまい日本そんなに急いでどこへ行く)この三つのことばは、その後のわた
しにとって、折りにふれ思い出すことばになります。
 さらに、いつのまにか、それに続く4番目のことばが追加されます。
 (せまい日本にゃ住み飽きた支那にゃ5億の民が待つ)
 正式には、
 
        馬賊の歌
 
    僕も行くから 君も行こう
    狭い日本にゃ 住み飽いた
    波立つ彼方にゃ 支那がある
    支那にゃ 4億の民が待つ 
 
 です。
 
 わたしの酒店の経営不振はバブルが終焉を向かえた時代のせいと言うよりは、業態の本質的な問題でした。
 消費者が、たとえば、1,000円で買っている商品を、安売り店と同じ問屋から仕入れていても、1,100円がわたしどもの購入金
額になります。仕入れする量の問題で仕入れ価格に変動があるのであればまだ納得できるのですが、一般小売店と安売り店が、販売店の形
態別に色分けされ、二重価格が常態化していました。
 消費者が1,000円で購入している製品を、1,100円で仕入れて、いったい、どこに向かって、どう販売しろというのでしょう。
まして、問屋から仕入れるより、安売り店に行って購入したほうが安価だというのでは、常軌を逸しています。
 詳細については、また、書かせていただく機会があるかもしれません。
 いずれにいたしましても、バブルがはじけ、大きく時代が動乱期を迎えていました。
 水道屋さんについてもご多分に漏れません。
 大手の住宅メーカーが、どんどん、地方にまで進出し、大工さんの仕事を奪いました。それより何より、わたしが住む小さな田舎町など
では、不況の波をもろにかぶって、家そのものの新築工事がありません。当然のように、水道工事が激減していくのは火を見るより明らか
でした。
 危機感を共有した水道屋さんは、いくつかのグループに分かれて、合併処理浄化槽の清掃会社を立ち上げます。
 わたしが住んでいた町は、都市基盤の整備が大幅に遅れていました。遅れていたというよりは、まったくの手つかずでした。ところが、
逆に、それが、時代にコミットします。都市型の下水道や、農山村集落排水などの大規模事業を推進することが不可能になるばかりではな
く、大きな資本投下が必要な下水道や、農山村集落排水の終末浄化能力よりも、むしろ、個別の合併処理浄化槽のほうが、浄化能力が高
く、大規模事業が不可能であるばかりではなく、その、必要性すらなくなり、合併処理浄化槽の清掃会社は、将来的にも安定した事業にな
りました。
 例の水道屋さんですが、結論から先にいえば、清掃会社の社長に納まります。
 わたしも経験したことですが、わたしが中心になって、ある、趣味の団体を設立したことがあります。その時、会則や、会費の徴収方法
など、趣味の団体であっても、大変、苦労をしました。営利会社であれば、許認可の問題、株式会社そのものの創業など、法基準に則り忙
殺されることと思います。
 わたしが設立した団体も初代の会長は彼でした。
 彼は、実に都合が良い人なのです。
 くどくど、細々としたことは、何も言いません。ただ一言、
 「良きに計らえ。」
 そう言ってすべてを任せてくれます。
 便利であるばかりではなく、まさに、将としての器なのでしょう。
 人間、なかなか、自分を変えられるものではありません。でも、わたしは、その、水道屋さんに憧れを持って、さらに、少しでも近づき
たいと、今でも精進しています。
 いつの日か、(良きに計らえ)と、躊躇なく、言える自分になることが目標です。
 そのためにこそ、繰り返し、繰り返し、(仕事は死んでの後まである)(何をあくせく)(せまい日本そんなに急いでどこへ行く)
(狭い日本にゃ住み飽きた支那にゃ5億の民が待つ)と、お題目のように唱え続けます。
 ある方にこんなことを言われたことがあります。
 「もう少しいいかげんになりなさい。」
 (いい加減)とは、通常は、悪い意味に使われます。でも、間に(湯)を入れてみてください。(いい湯加減)です。
 心配が過ぎてもいけません。楽観視し過ぎてもいけません。(過ぎたるは猶及ばざるが如し)です。いい加減、(いい塩梅)の、味のあ
る人生を歩みたいものです。
 
 
 
 
 
 
 ほしい物を作る ほしい所に持って行く ほしくなるように付加価値をつける
 
 
 
 
 このことばは、当時、慶応大学助教授だった佐藤仁威先生の講演でのことばです。
 先生は、その後、日本企画研究所所長。NPO全国まちづくりサポートセンター理事長など、地域の活性化にこだわり、本当の経済が動
く現場で指導にあたり続けました。
 なぜ、地域にこだわりを持つのかをお聞きしたことがあります。先生は経済学の恩師から、
 「大学で経済を講義していると、机上の空論に陥りやすい。こうこうこうすればこうなってこうなる。学問的には、何の間違いもなくそ
の通りであったとしても、学問は時間、空間を論じない。結果が出るのが10年先、などということを平気で言い出す。場合によっては、
その、想定すらしない。10年間、人間霞を食らっては生きていけない。そこが一番重要なのに、そこを一番理解しない。経済は生き物。
現実には、2年も赤字が続けば、経営は成り立たない。君は、生きた経済を勉強するために、常に、現場に立て。」
 と、諭されたそうです。
 さらに、市部の商工会議所ではなく、町村単位の商工会にこだわり、それこそ、末端の地域経済の牽引者足り得ようとしていました。
  先生との出会いは、その、商工会の事業として、大変申し訳ないことですが、ひも付き予算の消化のためにお出でいただいた講演会で
した。深く感銘を受けたわたしが中心になり、その後、何度か来町してご講演いただき、中途までの実現しかできませんでしたが、町起こ
しの推進役として、旗頭として、陣頭にも立っていただきました。
 その中で、わたしはたくさんのことを学ばさせていただきました。
 炭坑の町を例にするまでもなく、ひとつの産業に依存する町作りは、時代の変遷とともに消えていく運命にあること。
 同業者が小さなパイを奪い合っているうちは発展は望むべくもなく、力を結集した時、大きな力が生まれること。
 個店の競争ではなく、地域間の競争であり、地域間の競争が、日本に活力を与えること。
 等々、わたしは、先生から、大袈裟ではなく、すべてにおいての発想の原点をいただきました。
 少し余談になりますが、その先生とのエピソードを紹介します。
 2度目の講演会の時でした。最初の講演で深い感銘を受けたわたしは、郡山までの送迎を勝って出ます。商工会から、昼食費として、ご
ねて、ステーキ代をいただき、途中のレストランに入りました。先生が注文したのがオムライスです。わたしは、ステーキを食べてくるよ
うに指示されたことを申し上げたのですが、オムライスが好物だとおっしゃるのです。先生がオムライスで、わたしがステーキを注文する
こともできません。わたしは、朝食を食べません。お陰で、昼食も抜くはめになり、しかたなく、コーヒーをすすっているしかありません
でした。
 さらに悪いことに、そのレストランでは、オムライスは、子供用しかないというのです。先生はそれでいいと言います。落ち着いた良い
雰囲気を醸し出すレストランです。わたしはそれでも注文者が大人なのですから、それなりに気を使ってくれるものと思っていました。と
ころが、出されたものは、電車を象った入れ物に入って、国旗が立った、まさしく、お子さまランチでした。
 (うわー、どうしよう)と、思いました。コックを呼んで掛け合おうとしたのですが、先生は人の目も気にせず、おいしそうに、頬張る
のです。
 隣りのテーブルに座る女性の好奇の目も意に介さず、
 「わたしはね、オムライスに目がないんです。」
 と、満足気です。
 そのレストランが、その後、1年を待たず閉店したことは、さらに、余談です。当然のなせる業かもしれません。
 先生は、食事をしながら、慶応大学の学生の、先生人気投票ランキングで1位になったことを、本当にうれしそうに話され、その、評を
示します。そこには、(言うだけではなく、実行力が伴っている)と、書かれていました。
 先生の人となりに触れ、わたしはなぜか感動していました。だって、いくら好物でも、わたしには、お洒落なレストランで、人の目も気
にせずお子さまランチを食べる勇気はありません。
 先生は、著書として、<地域を生かす商法><日本の文化と地域性>などをお持ちです。
 
 表題のことばは、講演の中で農業にふれ、農業の基本として挙げられたことばです。
 でも、それは、農業に限らず、すべてにおいて、不変の基本なのではないでしょうか。
 わたしは、何度も書きましたが、酒店を経営していました。
 朝、起きると、店の前を掃除し、店内のはたきを掛け、清掃を隈無く行ってお客様をお迎えする準備をします。
 蛍光カードで色分けした価格表で店内を彩る他、ちょっとしたポップなどにも趣向を凝らします。一品一品にも価格を明示し、ワインな
どには、ちょっと気を衒って、小さな荷札に生産国や特徴を表示し、棚変えなども定期的に行っていました。
 お酒も、辛い順から並べ、そのお酒の特徴、酸度やアルカリ度など、知り得る情報も一品一品書き加えます。全国の銘酒なども積極的に
販売し、お酒の関連商品なども情報を集め、積極的に導入、販売します。
 お酒のミニ情報などを載せたチラシをポスティングし、1日、2人や3人のお客様を待つために、居眠りをしながらも、お店にへばりつ
きます。配達の注文があれば、食事中でも飛び出しました。
 それが、お客様をお迎えする、最低のルールだと信じていましたし、その先には、必ず、売り上げのUPが約束されていると希望的観測も
していました。
 何人もの経営コンサルタントにもお出でいただきご指導も受けました。でも、コンサルタントが指導してくださる程度のことは、そのほ
とんどはすでに実行していることでした。
 酒店の経営は許認可制でした。管轄は当時の大蔵省。現在の財務省です。つまり、通産省など、商店を守る役目を担う役所が所管するの
ではなく、国税を吸い上げるために、管理しやすいように監督する役所が所管します。
 免許を付与される時、安売りはしない約束を書面で提出させられます。もっとも、1割8分程度の荒利では廉価販売などすることも不可
能です。ところが、当初、販売力のない問屋が、一般顧客に卸売りに近い価格での販売を始めます。元々が問屋ですから、わたし達より、
さらに、1割近い利益があります。個人の消費者に向かって、販売定価から1割引しても、酒店に卸す以上、一般小売店並みの利益が確保
できます。最初は当事者を税務署に呼び付けるなど強気の強制という指導をしていましたが、次第に安売りを取り締まる法律など存在しな
いことが露呈します。後は一気果敢の状況になるのに時間はかかりませんでした。
 つまり、時代は、酒店に廉価販売を求めていました。時代の流れに竿さし、時代に抵抗しているだけの努力は、消費者が求めるものと乖
離し、消費者の立場に立ったものではありません。
 消費者は安売りを歓迎しました。安売り店だけが、驚異的な売り上げの増加を記録します。また、驚異的な売り上げのUPが、廉価販売
を、さらに、可能にしていきます。
 それでも、わたしは、同業者の足を引っ張ってまでの、足を引っ張るというよりは、つぶし合いをしてまで、自分だけが勝ち残るための
安売りにはどうしても踏み込むことができませんでした。
 わたしは、逆転の発想から、むしろ、定価より高く販売し、利益率を確保する方法を模索しました。それが、最終的には、10種類以上
のPBを作るきっかけです。
 わたしが、最初にプライベートブランドのお酒を作った時も状況は同じです。大蔵省管轄の税務署からいやがらせまで受けました。余計
なことをされたのでは管理しずらくなるということなのでしょう。その税務署が、わずか数年後には、酒店生き残りのためにはオリジナル
商品を持つことを指導するようになるとは思いもよりませんでした。ただし、税務署が、統括官などの指導で、PBを勧めるころには、酒店
に、そのような体力はすでに残ってはいませんでした。
 酒店を例にして掘り下げていくと、わが国の官僚支配の実体がかいま見えておもしろいのですがやめておきます。
 いずれにいたしましても、酒店存続のためにあらゆる努力を続けました。
 でも、それは、努力でも何でもなく、ただの、ひとりよがりです。
 努力とは、ひとりよがりを指すのではなく、消費者が求めるものを提供することが努力なのであって、来店者もいない店にへばりついて
いることを、お客さんは望んでなどいません。望んでもいないことに血道をあげることは、結果として、間違いなく、努力ではなく努力し
ているふりの、言い訳を可能にする自己満足でしかありませんでした。
 わたしが販売した(ん’DAPPE)というスコッチベースのウイスキー、ネーミングの面白さから、タモリさんの“笑っていいとも”など
でも紹介されたことがあります。
 ちなみに、(んだっぺ)とは、福島県の県南地方の方言で、(そうでしょう)と、同意を求めるような時に使われます。
 また、先生も(ん’DAPPE)を、定期的に自費で購入され、講演会の先々で、宣伝にこれ努めてくださいました。
 商品それぞれに、全国に固定のファンが生まれ、商品それぞれが、そこそこの売り上げを計上することができました。でも、経営という
側面から見れば、そこそこでは、商売にはなりません。それは、お遊びの範疇です。
 別に収入の基盤があり、わたしが仕掛けたものを道楽として続けることができたのであれば、今では、大きな成功に結びつけた、と、自
負します。でも、資金的にも、時間的にも、わたしに、お遊びの時間は残されていませんでした。
 現在でも最大手のネット上のショッピングモールに、商品見本をお送りして、商売になるかどうか、値踏みをしていただいたこともあり
ます。その時に言われたことばが、
 「絶対はありません。でも、この商材は大化けする可能性を秘めています。すぐに出店することをお薦めします。」
 続いて、
 「現在、あなたは、山の頂きの峠の茶屋で、一日に二人や三人しか通らない場所に店を構えています。当モールに出店するということ
は、銀座の一等地に店を開くとお考えください。銀座どころではありません。銀座の10倍、100倍の人が行き交っているのです。」
 しかし、わたしには、出店料の月3万円を先に出せるだけの体力は残っていませんでした。
 ここでは、そのことの是非を論じているのではありません。その結果としての現在があります。現在の結果としての未来があります。
そのすべてを必然として受け止めます。それは、前項で書きました。そして、わたしには、酒店の経営者として、すべき努力は思い残すこ
となく、すべてやりきった、と、いう満足感しか残っていません。
 ただし、一般論からすれば、ほしい商品を提供できなかった。ほしいところに持っていけなかった。経営が十分成り立つように、お客様
が喜んで購入してくださる付加価値をつけることはできなかった。そう、総括することができます。
 わたしは、少なくとも、表題のことばを、これからも、原点として、真理として、さらには、自分自身の指針として、大事にしていきた
いと思っています。
 
 
 
 
 
 
 今日を喜べない人は明日も喜べない
 
 
 
 
 ある時、他町の知り合いから、会社を整理し、なんとか自宅だけは残したい、と、相談を受けているので協力してほしい旨の電話依頼が
ありました。
 わたしの自宅に訪問してくれるようお話しし、来訪を待ちましたが、2時間が経過しても到着しません。その間、友人は、依頼者が、
(死にたい)と、言っていたから、どこかで自殺でもしてしまったのではないかと心配し、ひっきりなしに電話が入ります。友人宅からわ
たしの家までは、40分ほどの行程です。
 わたしは、案外平静でした。(自宅だけでも残したい)と、具体的な欲求を持っている人は、そんなに簡単に死んだりできないと、その
程度の根拠を元に高を括っていました。
 2時間30分が経過した頃、当事者のご夫婦が目を真っ赤に泣き腫らしてやってきます。
 驚いたことに、わたしと同じ町の方でした。
 お二人のお話しを総合すると、経営状態が悪いことを同じ町の人には知られたくないので、他町の人に救いを求めた。ところが、同じ町
に住むわたしの所に廻されてしまった。
 恥ずかしくて、みじめで、二人で死のうと、近くのダムに行ったことなどを打ち明けてくれます。
 ひとしきりお話しを聞かせていただいたわたしの口から、わたし自身にとっても、予想外のことばが突いて出ます。
 「そんなに死にたければ死んでみればいい。」
 わたしは、とんでもない暴言を言い放っていました。
 ところが、お二人が顔を見合わせ、次いで、わたしを直視した時、青ざめていた顔に、血の気が、すーっと、戻っていくのが見て取れま
した。
 その時わたしは、(あっ、死神が去った)と感じます。さらに、わたしがしてきた経験は、この一言を言うための苦労だったんだとなぜ
か妙に納得していました。
 たとえば、わたしが、自他共に認める知識人で、裕福であったとしたら、どんなことばも説得力は持たなかったと思います。同じ境遇、
それどころか、さらに底辺で蠢いているわたしにしか言えないことばでした。
 「いいですか。よく考えてください。事業が成功し、会社も大きくした。従業員もいる。自宅も新築した。外車も乗り回した。苦しい。
大変だ、と、言ったところで、ここ、4〜5年のものでしょう。よーく聞いてください。わたしは親から、この酒店と、土地と、土地の価
値の何倍かの借金を20歳で好んで相続しました。それから、30年以上も喘いできたんだ。そのわたしの前で、外車を乗り回すことので
きる人が、3年や5年の苦労で、どうにもならない。どうしていいかわからない。死んでしまいたい。こちとらな、自慢じゃないけど、乗
っている車は、パタパタのいただいた軽。その軽自動車でさえ、まともに車検を受けるお金がなく、自分で持ち込んでのユーザー車検。米
を買えなくて、白鳥のえさに寄進された古々米を分けてもらって食ったこともあるんだ。それだって、死のうなんて考えたこともない。そ
のわたしの前で、よくも恥ずかしくもなく、死にたいなんて言えたものだ。」
 お二人が、やる気を取り戻したことも、再度、希望の火を灯し始めたことも手に取るように判りました。
 実質的な再建のお手伝いは、わたしより他の人のほうがいいと考え、別の方に応援していただきました。わたしは、お任せしたものにつ
いては、個人情報も含みますし、内容などは掌握していないほうがいいと考えますので、その後の具体的な内容については存じていませ
ん。でも、現在でも事業も続け、自宅もそのままですから、間違いなく再建に成功したのでしょう。
 
 そのように、生体を始める前は、それこそ、登校拒否から、離婚、交通事故の示談、会社の立ち上げ、再建、整理、多重債務者の調停、
自己破産、夜逃げ、相続問題からやくざ絡みまで、相談を受ければ、あらゆることに関わってきました。
 相続については、ことばは悪いですが、基本的に欲得がらみの分け前の争いです。お金のある人は、お金をかけて、専門的知識を持つ弁
護士にでもお願いすればいい、というスタンスですので、法律的な勉強も、実践の積み重ねもありませんので、特別な場合を除き、アドバ
イス程度の関わりしか持ちませんでした。
 現在では、住居を移転したこともあり、せいぎり、登校拒否や鬱の症状に関わるぐらいでしょうか。それも、生体を通してという限定付
きになりました。
 いづれにいたしましても、それらの相談を受け、失敗したことは一例もありません。
 ところが、自分のためにする事業の立ち上げは、成功したことがないのです。
 100%の成功と100%の失敗。何がどう違うのか、その、意味するところを長く理解できませんでした。
 なんとなく、おぼろげにでも解答らしきものを考えられるようになったのは、つい、最近のことです。
 つまり、人のために事を起こす場合は、(こうすれば、こうなって、こうなれば、こうなる)としか考えません。一方、自分が何かする
場合は、その後に必ず注釈が加わるのです。
 (とはいえ、こうなったらどうしよう)
 (とはいえ、売り上げが、想定する半分だったらどうしょう)
 (とはいえ、半分どころか、予定の10分の1だったらどうしょう)
 (10分の1どころか、売り上げが、まったく望めなかったらどうしょう。どの期間で撤退を考えようか)
 自分では、考えうる全てを想定した上での(転ばぬ先の杖)だと思っていました。しかしそれは、転ばぬ先の杖でも何でもなく、不安の
裏がえしであり、その不安を現実として引き寄せるだけの、魔法の想念でしかありませんでした。
 実に単純なことで、事業を始める前から撤退を考えているのですからうまくなどいくはずがありません。そんなことにすら気付きません
でした。当時は、十分な準備を整えたなら、(期待する売り上げがなかったら、なかった時、考えよう)とは、どうしても思えませんでし
た。
 以前は、相談を受けると、身ぐるみ、どっぷり、浸かって、全てを仕切っていました。それこそ、法律的な手続きにしても、夜を徹し
て、わたしが必要書類まで整えていました。
 でも、それでは、わたしの経験が増える結果しか生まれません。
 本当は、当事者が経験し、次には、その、経験を別の人に伝えていかなければなりませんでした。わたしが仕切る限り、相談者の希望と
の乖離が発生するばかりか、当事者がよく理解できないままに、現実だけが動いていってしまうことも起こります。
 当事者が理解していないのですから、経験者として、その方が相談を受けても、また、わたしにお鉢が回ってきます。
 そこで、現在は、たとえ、相談を受けても、相談されたことだけに答えるようにしています。さらに、相談内容に関わるにしても、相談
者の希望を第一にし、相談者とともに希望に添う解決策を模索します。書類の作成、裁判所への申し立てなど実務についても、すべて、
当事者にしていただいています。
 それはともかくとして、ある方に質問を受けたことがあります。
 「無くて七癖、と、言います。自分ではなかなか気づきませんが、あなたの癖はなんでしょう。」
 その時は、何も答えることができませんでした。でも、それから、なぜか、その問いかけが気になってしかたありません。
 その、答えになるのかどうか。ある日、ふと、思いついたことがあります。
 (わたしの人生とは、何と、言い訳と、不安を抱えたままの人生だったなあ)
 きのうはきのう、きょうにはなりません。あしたはあした、いつまで待っても、きょうにはなりません。
 きのうを反省し、きょうに生かすことは必要です。でも、きのうをいくら悔いても、わたしのように、きのうの言い訳をいくら繰り返し
ても、過ぎたきのうは戻ってはきません。あしたをいくら心配しても、あしたはあしたににならなければ分かりません。
 わたしが生きるのは、永遠のきょう。さらに、一瞬、一瞬の積み重ね。ただいまこの時だけです。戻らない過去に悔恨を繰り返すより、
やってもこないあしたの心配に身を捩るより、せめて、ただいまこの時を大事にし、今を喜び、今の幸せを実感する人間でいることが大事
でした。
 心配の種が無数にあるように、喜びの種もまた無数にあります。幸せとは、相対的、客観的なものではなく、非常に個人的、主観的なも
のです。
 幸せとは、わたしの選択の問題であり、それこそが、(しあわせ)の正体、なのかもしれません。
 
   
 
 
 
 
 
 夫は天 妻は地 それぞれに役割がある    

 

 「おーい、お母さん。爪切りはどこにいった。」
 「引き出しの一番下に入っているでしょう。」
 「それが見当たらないから聞いているんだ。」
 どこのご家庭でもよく見かける光景ではないでしょうか。
 業を煮やした奥さんがやってきます。
 「ほら、ここにあるでしょう。」
 奥さんは、いとも簡単に爪切りを探し出し、指し示します。
 「ちゃんと、よく、探さないからですよ。」
 の、お小言付きです。
 そのやりとりをいつまでも繰り返すのか、繰り返したくなければ、引き出しの中を整理整頓し、爪切りの置く位置まで確定する事になり
ます。ところが、そうすればそうしたで、奥さんが爪切りを使用すると大変です。奥さんが決められた定位置に戻してくれることは、ま
ず、ほぼ、望めません。
 爪切りが戻された位置がズレただけで、
 「おーい、爪切りはどこにいった。」
 と、いつものように聞くはめになります。
 以下、いつものやり取りを繰り広げ、奥さんのいつものお小言に、
 「なぜ、置いた場所に戻しておかない。」
 と、切れることになります。
 そこで終わればいいのですが、奥さんは、
 「爪切りぐらいで、大の男が…。まったく、細かいんだから…。」
 と、言い出します。
 旦那さんにすれば、引き出しの中の整理は女の役目だろう、と、思います。その整理がちゃんとされていないから、爪切りひとつ探し出
すことができない。いつもいつも、爪切りを探すのに大騒ぎをしていることもできないから、必要に迫られて、引き出しを片付けた。にも
関わらず、使用したものを置かれた場所に戻さない。決められた場所に戻さないから探しだせない。見つけることができなかったのは、定
位置に戻さなかったおまえのせいで、わたしの責任ではないだろう。自分の責任を棚に上げて、言うに事欠いて、わたしが細かいとは何ご
とか。
 男性にとっては、細かい、とは、女々しい、にも匹敵し、心に、グサッと、突き刺さることばです。そればかりか、男をさえ否定された
ような気持ちにさせられます。
 旦那さんは、奥さんがだらしない、と思い、奥さんは、旦那さんを細かい、と言う。
 その、ちょっとした行き違いが、気持ちのすれ違いを生み、その、些末な行き違いが、大きな亀裂の、大いなる最初になってしまうこと
だってあります。
 男は、端からすれば、傍若無人に振る舞っているように見えていてさえ、外では、必要以上に、身を屈めていると感じています。家に帰
った時ぐらい、緊張という鎧を脱ぎ捨てたいと考えます。素の自分を曝け出すことができるのは、自分を一番理解してくれている、と、思
い込んでいる奥さんの前だけです。甘えを許してくれる奥さんの前で、自分の意識としては、ちょっとだけ、偉そうに振る舞います。とこ
ろが、あろうことか、その奥さんが、自分をして、細かい、と、言う。旦那さんにとって、この些細な一言が、全人格の否定にも匹敵しま
す。自分を理解してくれてはいないことに気づきます。
 女性は、良き伴侶を選び結婚します。一方、男性は、自分を見ていてくれる、かまい続けてくれる、自分専用のお母さんを捜し出し、お
母さんと結婚します。もしくは、自分専用のベビーシッターと一緒になると言ったら言い過ぎでしょうか。
 でも、お心当たりの男性は多いはずです。
 
 そんな行き違いはなぜ起きてしまうのでしょう。
 縄文時代は、イメージとは違い、現在では、比較的、食物の計画的な栽培が行われていたことが判明しています。その、縄文以前、何万
年なのか、何十万年なのか、男は、獲物を求め、荒野を彷徨いました。遠くにいる獲物から目をそらさず、獲物の後を追い掛け、獲物が油
断するのを待ちます。首尾良く獲物を仕留めることができれば、穴蔵なのか、住居なのか、お腹を空かして待つであろう家族の元に一目散
に戻ります。
 長い年月を重ねて培われた習性が、遠くにいる獲物を捉える目、つまり、男性の目の焦点を遠くにし、獲物を仕留めて、家族の元に戻る
ための方向判定を容易にしました。さらに、家族を飢えから守る使命感から、獲物に執着し、その執着が、ひとつにこだわる性質を形成
し、それが、収集癖にも発展します。
 獲物を仕留めることだけに集中し、緊張状態を持続させていた男は、家に戻ることで緊張から解放されます。座れば座りっぱなし、縦の
ものを横にもしません。奥さんをあごで使い、ろくな返事もせず、その甘えを許してくれる女性を良妻と言います。靴下まで奥さんに脱が
してもらうような旦那さんが存在するのは、遠く何万年もの昔に依拠します。
 ただし、獲物を射止めるという一事に集中することで、複合した事物を同時進行で進める能力を捨てました。 
 たとえば、はみがきをする時、水は出しっぱなし。つまり、ひとつのことしかできません。はみがきをするという行為と、水を出し止め
する行為は別の行為です。意識的に注意すればできないことではなくとも、たったそれだけの行為ですら意識的にでなければできません。
 電話に出れば、電話で話すという単体の行動しかできず、子供がうるさい、と、叱ったり、テレビの音量が高い、と、低くさせるなどは
そのためです。耳すら、ひとつの音にしか反応できず、ステレオタイプの機能を有しません。
 女性は、その男性が獲物を追い掛けて留守にしている間、外から、何らかの敵が近付いてこないか。子供は何をしているか。危険はない
か。火の始末はどうか。ごはんはできているか。等々、複数のことに同時進行で注意を払わなければなりません。
 そこにこそ、男性と女性の根元的な習性の違いが生まれました。キリスト暦で、わずか、2千年。何万年、何十万年というスパンで培わ
れた習性は、そう、簡単に変わるものではありません。それは、共同して力を合わせて作物の収穫を重ねた農耕民族と、力による征服を繰
り返した騎馬民族とでは、良い、悪い、は、別にして、民族的に、思考回路にしても、行動パターンにしても、明らかな違いがあることで
も解ります。
 女性は、外に出るにしても、家の近くで、薪を拾い集めたり、木の実を収穫する程度です。少し足を延ばすにしても、せいぎり、水を汲
みにいくなど、決められた場所への往復です。それは、家を中心とした生活ですから、現在に至っても方向音痴の女性が多く存在します。
 たとえ、遠くに出かける場合でも、男性の後を付いていくだけで事足ります。その結果、男性に依存する性質が培われ、その変わりに、
たくさんのことを同時進行で進める術を学びました。
 料理をしながら電話で話し、ついでに味見までするなどは朝飯前。さらに、テレビのドラマを見ながら、子供に注意を向けます。
 でも、その女性と車で出かけると、さあ、大変です。争いの種を蒔き散らかされます。
 女性のナビゲーターは、冷静に客観視すれば、滑稽かもしれません。地図を斜めにし、逆さまにし、終いにはぐるぐる廻す始末です。そ
して、おだやかに、宣います。
 「今の角を、左でした。」
 「過ぎた角をどうやったら曲がれるんだ。」
 それに対して、女性は何と反論するか。?
 「だって、一生懸命やっているのに。」
 「ナビゲーターを買えばいいのに。」
 問題は、一生懸命しているかどうかが論点ではないことは明らかです。ナビゲーターを買うかどうかも別の問題です。しかし、そこから
問題の論点は、いつのまにか、大きくずれていきます。言い方が問題にされ、声のボリュームが問題にされ、ナビゲーターが購入できな
い、収入にまで発展し、いつしか主題を見失い、いつも、であるとか、誰々さんも言っていた、などのことばを多用したあげく、いつの間
にか、問題は、見事に男性の資質の有り様に擦り変わってしまいます。
 いずれにしても、女性の目は、限られたエリアを見ることに長け、雑然とした中から物を探しだすことができます。
 それと、男性が持つ収集癖は女性にはほとんどありません。バックに執着したり、靴を集めたり、ファッションや貴金属にこだわった
り、一見、同じ癖に見える行為であっても、10万円、100万円のバックや靴、貴金属だからこそ価値を見い出し、優越感を味わうので
あって、男性のように、他の人からすれば何の価値もない、価値がないばかりか、ゴミでしかない、たとえば、牛乳瓶のふたを収集する人
などは、女性には、およそ、存在しません。ファッションにうるさく、たくさんの服を所有していても、それは、男性の目を引き付ける、
また、ブランドや、価格に対しての価値観、反応の結果であって、収集癖とは異質のものです。
 男性は、近くの物を探す能力が劣っていますから、整理整頓して、置く場所を確定しようとします。一方、女性は、実は、整理整頓をす
るにしても、必要に迫られてするものではありませんので、整理整頓の中身はまるで違います。
 掃除をする場合でも、女性の場合、台の上を拭いていたかと思うと、それを途中にして、掃除機をかけだす。ひとつの部屋が終わらない
うちに、別の部屋の片づけを始める。片づけが終わってはいないのに、窓ガラスを拭きだす。それを眺めているだけで、なぜ、台の上の拭
き掃除を完結しないのか、男性にはどうしても理解できません。
 男性ですと、ひとつひとつ完結させながら、さらに、微細なことにまで拘ります。物の置く位置や角度にまで気を使います。そうしてお
かないと安心できません。
 「やり始まると、どうでもいいようなことに拘るんだから。」
 と、奥さんにからかわれます。
 旦那さんは、(どうでもいいようなことに拘っているのではなく、それをすべきおまえが、ちゃんとしたことをちゃんとやれないから、
俺が手を出さざろをえないんじゃないか)と、(腹にいちもつ、心に荷物)です。
 極端な例を挙げるなら、ゴミ屋敷の家主、片付けられない人が多いのは、男性より、むしろ、女性に多くはないでしょうか。理由は明ら
かです。雑然とした中からでも目的物を見つけることのできる女性にとって、物を探すための整理整頓は必要がないからに他なりません。
一方、男性のゴミ屋敷は、収集癖のなれの果てで、同じゴミ屋敷でも質に違いがあります。
 
 いずれにいたしましても、ことほど、左様に、男性と、女性は違います。違うというよりは、本当は、別の生き物と理解したほうが、当
を得ているのかもしれません。
 男は凸。女は凹。それぞれの足らない部分を補い合うことこそが結婚です。陰と陽。月と太陽。それぞれに性差があることは歴然として
います。
 男女同権。至極、当たり前です。でも、その、男女同権が、男女平等。もしくは、男女同列に置き換えられてはいないでしょうか。男女
が平等であるはずがありませんし、同列であるはずがありません。
 男性は、女性の足らないところを補うのです。女性は男性の足らないところを補うのです。足らないところを持ち寄り、支え合うので
す。それは、それこそ、違いを正しく認識し、その違いの上に成り立ちます。
 男女平等など、性差すら考えない意味からも、不平等の極みです。
 神代の昔から、男は外。女は内が生活の拠点でした。獲物を一人で仕留めることができない時、男は共同体を形成し、構成員の一人とし
て、社会的な役割を果たしました。女は、男を陰から支え、家庭的な役回りを演じ、夫に傅いてきました。家庭こそが、女性のエリアであ
り、テリトリーでした。男は社会的な生物であり、女は家庭的な生物です。それこそが、脈々と受け継がれてきた日本の日本たる所以で
す。
 もっと簡単に言うなら、男がどんなに威張ってみても、子供を産むことはできません。それこそが、平等ではない、なによりの証拠で
す。男がどんなに偉そうに振る舞っても、その男性を生んだのは女性です。伝説的な英雄であれ、哲学者であれ、お腹を痛めて生み落とし
てくれたのは女性です。それこそ、命がけです。金輪際、女性にはかないっこありません。だからこそ、せめて、甘えさせてくれるお母さ
んを探します。母性を求めて結婚します。男なんぞ、ないものねだりのただのだだっ子です。
 男を威張らせておくことを、(陰の舞い)と言います。こんな話しをさせていただくと、女性の方は、
 「それでは、女ばかりが損でしょう。」
 と、異口同音におっしゃいます。
 損徳で計れるものではないはずですが、(損して得とれ)ということばもございます。
 男がどんなに能書きを垂れようが、第二次世界大戦の時、特攻隊で華と散った特攻隊員に、お父さん、と、叫んで死んだ特効隊員は誰も
いません。
 そんな大上段に振りかぶらなくとも、わたしが電話にでると、子ども達は、決まって、
 「お母さんは・・・。」
 と尋ねます。
 現在では、携帯電話になってしまいましたが、子ども達からわたしに、携帯電話が掛かってくることなど、まず、ありません。
 お父さんは、尊敬する対象です。もしくは、反発する対象です。子ども達は、お父さんを越えようと歩を進めます。お父さんのようにだ
けはなりたくないと反面教師にします。
 でも、お母さんは別です。尊敬する対象でも、反発する対象でもありません。まして、越えなければならない山でも、反面教師でもあり
ません。ただ、無条件にお母さんです。理屈能書き以前の存在、論評する対象としての存在ではありません。ただ、ただ、お母さんです。
 それこそが、女性の大きな徳なのです。誰もが認める、女性の偉大さなのです。
 日本の政府が目指さなければならない政治とは何でしょう。
 (旦那さんが外で働き、奥さんが家庭を守る)
 それが無理なく可能な国を形成することが、政治の大事な指針なのではないでしょうか。
 女性を、平等などと煽て上げ、労働力に期待したバブルは、遠の昔に終演を迎えています。
 旦那さんの稼ぎで、十分に生計が成り立ち、退職するころには、家の一軒も求めることができる。それが、当たり前である国を標榜しな
くてはなりません。
 今、こんなことを書けば、アナクロニズム、と、笑われてしまうのでしょうね。
 でも、ようく考えてほしい。 
 男女平等、などとおだてられ、夫婦で働かねば生活が成り立たない社会こそ異常ではありませんか。
 家庭に人影はなく、生まれたばかりの赤ちゃんが、たらい回しに預けられる。小学生が学校が終わると、家ではなく、児童館などの施設
に、ただいま、って帰っていく。それって、本当に正常なのですか。
 女性は家庭に縛られていればいい、などと主張しているのではありません。女性でも働きたい人がいれば、受け入れ可能な社会。定年を
迎えても、仕事がしたければ、選択できる社会でなければなりません。でも、それは、生活が成り立たないから、不承不承働くのではな
く、要望に応えられる、選択できるという意味でなければなりません。
 歳を重ねると懐古趣味が発露されます。しかし、昔は良かったなどというつもりは微塵もありません。それこそ昔は大変でした。みんな
が貧乏でした。学校に弁当すら持ってくることのできない同級生が何人もいました。そんな時代に戻りたいとは決して思いません。
 でも、貧しくはあっても、どこか、のんびりしてはいなかったでしょうか。精神的にもっとゆとりはなかったでしょうか。のんびりし、
ゆったりし、ゆっくりし、たとえ、貧乏でも、ゆとりがあって、もう少しおおらかではなかったでしょうか。
 わたし達は、その、のんびりも、ゆったりも、ゆっくりも、ゆとりも、おおらかさも、どこに、置いてきてしまったのでしょう。
   
    難が有って 有難い 
 
 
 
 
 (賢者は他人の経験から学び、愚者は自分の経験からしか学べない)
 のだそうです。
 わたしなどは、愚者にもなれませんから、自分の経験からもなかなか学べず、同じ失敗を何度も繰り返します。
 でも、振り返ってみると、実に味わいのある人生を歩めたなあと思っています。
 小学生の頃、当時の通信簿で、5段階評価のうち、理科か音楽が4で、あとの全てが5という成績を修めたことがありました。両親は、
わたしに期待し、このまま田舎に埋もれさせたくはないと考え、当時、学校の先生をしていた叔父にわたしを託します。叔父に預けられた
わたしは、たった一年の間に見事に期待を裏切ります。家に戻ったわたしは、凡才どころか、ただの劣等生に変身していました。
 でも、今から考えてみると、わたしが優等生のままであったなら、人の気持ちも慮れない、鼻持ちならない大人に成長していたのではな
いかと思っています。
 比較的、勉強ができた時代、勉強ができない、という人のできないことの意味が解りませんでした。たぶん、ふざけているんだろう、
と、思っていました。先生が黒板に書いて教えてくれている。それが解らないということが、むしろ、理解できませんでした。
 でも、自分が劣等生になって初めて知るのです。勉強をしたくない、と、言うのではありません。勉強をどうすればいいのか、すでに、
そこが解らないのです。
 たとえば、社会科で習う昔の皇族や有力者の墳墓があります。
 現在では、逆から見ることで、マナの壷に似せたものであるとか、朝鮮起源と言いながら朝鮮には同じ墳墓はなく、実は日本起源ではな
いのかとか、学校の授業ではおよそ教えてはくれない部分に興味を引き立てられます。
 ちなみに、マナとは、ヘブライ語でパンを意味し、パンを入れた壺をマナの壺と言います。マナの壺は、モーセの十戒石、アロンの杖と
共に、ヘブライ王国の三種の神器とも称され、この日本に、マナの壺に擬した墳墓があることで、原始キリスト教と何らかの接点があった
のではないかと考える人もいます。
 しかし、当時は、馴染みのない名称をただ機械的に覚えなければならないとしか思えませんでした。それでも、前方後円墳、方墳、円墳
など、覚えなければならない名称は多くはありません。ところが、無味乾燥で、何の興味も持てないばかりか、5個、10個どころか、覚
えなければならない名称の数は、なぜか、無数にあると思い込んでいます。無数にあるものを覚えていくことなどできない、と、最初から
諦めてしまいます。少し考えれば解るのですが、名称が、形を表していることさえ、考え及びません。ただ、無機質なことばを暗記しなけ
ればならないものと決めてかかります。
 前方後円墳と呼び習わしているけれども、マナの壺まで持ち出さなくとも、実は、前が円墳で、後ろが方墳かもしれないなどとして楽し
むことなどできるはずがありません。まして、そんなことを言って興味を引き立ててくれる先生との出会いもありませんでした。
 試験になれば、当然、試験勉強をします。こたつの上に教科書を広げ、勉強しようとします。ところが、そこから前に進みません。どう
することが勉強なのかが解りません。教科書を開いたまま、ボーっとしていることが、わたしの試験勉強でした。
 わたしは、優等生の気持ちも、劣等生の気持ちも理解できます。劣等生であっても、勉強をしたくないのではありません。勉強の仕方が
解らないのです。楽しみ方が解らないのです。興味を持つ以前に、壮大な丸暗記にしか思えません。それは、自分にとって苦痛でしかない
のです。苦痛でしかありませんから、エスケープする理由を探します。学校の勉強が社会に出て何の役に立つのだろう。碌に役にも立たな
い勉強を、なぜ、しなければならないのだろう。入試の為の勉強って何だろう。入試の為の勉強など、本当の意味での勉強、必要な知識に
なるのだろうか。勉強をしたくない、興味が持てないだけの言い訳にしか過ぎません。
 高校を卒業し、大学入試試験を受けずに浪人をしていました。正式な名称を失念しましたが、(なぜ、勉強しなければならないか)とい
うような本を読みました。どちらかといえば、勉強を否定するような内容の本であったと記憶しています。
 その著者に賛同する内容の手紙を書きました。そして、(入試の為の勉強は自分にとって何の役に立つのか)と、疑問をぶつけました。
 でも、わたしは、著者が書こうとした趣旨を取り違え、自分の都合のいい読み方をしていたようです。
 著者から返信をいただきました。そこには、
 (あなたがコーヒーが好きだとします。おいしいコーヒーを飲みたいと思ったら、原料の豆の勉強をし、コーヒーの入れ方の勉強をしな
ければなりません。豆のことも解らずに、入れ方も解らずに、おいしいコーヒーは飲めません。それが試験勉強です。)
 その時わたしは、豆のことや入れ方など解らなくとも、お金さえ出せば、おいしいコーヒーは飲めるんじゃないか、と、言わんとすると
ころも理解できずに、不遜にも考えていました。
 わたしは、物を生み出すことのできる人にコンプレックスを感じるとともに尊敬の念を持っています。
 作物を作出する農家。魚を穫る漁師。生産されない物は食べることもできません。
 同じように、物を創造する仕事。特に、大工さんを始めとする職人さんに、強いあこがれを持っています。一度でいいから、
 「あの家、俺が建てたんだ。」
 と、自慢したくて仕方ありません。
 さらに、楽器を演奏できる人。字を上手に書ける人。特に、習字の上手い人。それと、英会話のできる人。
 今になって、つくづく思うのです。まったく勉強が足らなかったなあと。何でもいいから、人に秀でた特技を持ちたかったなあと。特技
とまでは言えなくとも、むしろ、下手であっても、楽器のひとつでも演奏できればなあと。
 もう少し勉強していれば、少しはまともな文章も書け、ボキャブラリーの不足を嘆くこともなく、とっ散らかった文章を書くこともあり
ませんでした。
 
 (行くも地獄。引くも地獄)酒店の経営に行き詰まり、二進も三進も行かず、どうしていいのかも見い出せず、悶々と日を重ねていた
頃、ある霊能者に言われたことがあります。
 「あなたのおじいちゃんはお婿さんではないですか。」
 確かに祖父は旧姓長谷川で関口のお婿さんでした。
 お婿さんは親不孝の極みなのだそうです。
 つまり、長谷川家に生まれた祖父は、長男ではなくとも、長谷川を継ぐべき存在として誕生します。結婚して生まれた子供は、当然、長
谷川の姓を名乗ります。ところが、現実に名乗っている姓は関口です。このことがお婿さんに入った祖父の、親に対しての親不孝に当たり
ます。それは、とりも直さず、ご先祖に対して血の断絶を招くことで、大きな借りを負い、その借りを返していくのが、孫であるわたしの
使命になります。
 関口を継ぐ男子がいないのは、関口家の家系が、家系として持つ借財の返済が滞りなく終わり、この世での修行が終了したことを意味し
ます。現世での役目を果たし、修養が認められたにも関わらず、強引に因縁を継続させる行為は、天に逆らうことです。
 当然、その代償を購わなければなりません。その役目は、孫であるわたしが一身に受けます。
 最前の方法は、漫画サザエさんのように、マスオさんになることです。
 二世帯、別姓の家族の同居です。長谷川のままで、関口家の墓守をしていけばいいのです。
 ただ、そう教えられても、しばらくは、いまいち、納得はできませんでした。
 わたしの知り合いで同じ境遇のご家族がいましたが、なんとなく、わたしの家系と比較をしつつ、推移を見守っていましたが、ただし、
そのご家族には、まったく、何の問題もありませんでした。
 わたしの知人は、孫であるわたしとは違い、お婿さんの長男という立場でしたが、とてもおだやかな方でした。家庭も円満、何の問題も
なく、町の名士でした。お婿さんからはお孫さんにあたる知人の長男も公務員で、良縁に恵まれ、お子さんも誕生し、経済的な問題もな
く、まさに、非の打ち所がありません。
 わたしは、また、別の、違った理由もあり、そのご家族は、わたしのように、直接的に因縁が表出するのではなく、例外もあるのだろう
な、と、考え始めた矢先です。
 わたしと同じ立場である、知り合いの長男、つまり、お婿さんの孫にあたる方が不慮の死を遂げてしまいます。
 そのことを、正しくは、どう、解釈していいのかは解りません。
 でも、わたしの場合は、果たさなければならない大きな借りを、大変だ、大変だと言いながらも、小出し、小出しに払わせらていたのか
も知れません。また、わたしの、母の死という大きな通り越しが加勢をしてくれていたのかもしれません。
 ある時、また、別の、ある霊能者にお会いしました。
 開口一番、
 「あなたは、試験という試験、全部、ダメじゃなかったですか。」
 言われて初めて気が付きました。確かに、全ての試験に落ちていました。試験どころか、保育所入学、幼稚園卒業を皮切りに、小、中、
高、大学と、全てがまともではありません。具体的に記すなら、福島県の石川町の小学校入学、同、須賀川市の小学校卒業、須賀川の中学
校入学、石川の中学校卒業、高校、大学と入試に失敗し、大学は中途退学しています。自動車の免許試験から、町の議員選挙まで、ありと
あらゆるものが、一度の挑戦でクリアーしたことがありません。
 霊能者は、その意味するところをお話しくださいました。
 「鎌倉とか平安とか、古い時代に、あなたとお友達は、二人で役人に取り立ててもらうための勉強をしていました。些細な諍いが元で、
あなたは、お友達を傷つけてしまいます。お友達は、その傷が原因で役人になることができませんでした。」
 わたしにしてみれば、それだけでも、驚きでしかありませんでしたが、霊能者は、わたしに、さらに、驚天動地の真相を告げます。
 「そのお友達が、現世では、あなたのお母さんとして生まれ変わっています。試験に落ち続けることが、傷つけてしまった、あなたのお
母さんに対する償いなのです。」
 ある時、また、別の霊能者にお会いしました。
 「あなたの新類縁者で、現在、5人くらい、長患いしている人がいませんか。」
 数えてみると、確かに、5人、長期の入院をしている人がいます。
 その、意味するところを尋ねずにはおれませんでした。
 「あなたは、夜盗や山賊のようなものの頭目でした。その時の子分が現在臥せっている5人です。あなた自身は後生に借りを残すほどの
悪いことはあまりしていません。でも、入院している5人は、あなたの権勢を楯に、少々、悪さを働きました。返し切れないほどの悪行で
はありませんが、それが、因縁果たしとしての長患いの原因です。」
 わたしは、そんなことって本当にあるのかなあ、と、ただ、ぼんやりと、それでも、聞き入ってました。
 「あなたに現世で返すべき借財はほとんど残っていません。ただねー。」
 そう言ってことばを飲み込みます。
 気になったわたしは、その先を話してくれることを求めます。
 少し躊躇していたようですが、続きを話し出しました。
 「あまり、気になさらずに聞いてください。あなたの借金はほとんど残っていません。実は、奥さんの借金のほうが多かったのです。で
も、それもほとんどを返すことができています。残りはわずかです。でも、そのわずかが動きません。」
 一呼吸して話し続けます。
 「あなたは、奥さんの分まで借金を返すお手伝いをしました。奥さんが持つ借金の肩代わりをして支払ったのがあなたです。ところが、
奥さんはそのことを知らず、感謝するどころか、あなたに対して、不平不満を募らせています。その不足の思いが澱のように沈殿し、最後
のところで足踏みを繰り返し、運勢の好転を阻んでいます。運勢が良くなるかどうかは、あなたではなく、奥さんの思いにかかっていま
す。」
 
 もう一度書きます。
 (賢者は他人の経験から学び、愚者は自分の経験からしか学べない)
 劣等生のわたしは、自分の経験からすら学ぶことができず、同じ失敗を何度でも繰り返します。
 でも、その失敗を、そのままの事実として書き、提示しようと決めています。結果判断はわたしが下すのではありません。
 この項を書くにあたり、より、理解を深めていただきたいと思い、霊能者との出会いをチョイスしました。
 ここで、前世論議をしようとか、真贋を論じようとするものではありません。
 それどころか、わたしは、未来は自分が創るものだと信じています。占いなどの類に安易に依拠すべきではないと考えています。
 霊能者と称する人のことばに一喜一憂し、自分を見失うようなことがあってはいけません。崇め、奉って、付和雷同してはなりません。
霊能者などは、上手に利用する存在だと思っていますし、お話しいただく霊言も自分の糧にすべきもので、不必要、さらに、マイナスイメ
ージのことばは、切って捨て去るものと心得ています。
 いずれにしても、わたしは、たくさんの経験を重ねさせていただけたことで、退屈もせず、味わいのある人生を歩めたなあ、と、思って
います。
 そして、それは、難が有っての有難い人生だったなあ、とも、思っています。
 さらに、災難があり、難儀な人生であったとしても、霊能者の言うがごとく、ひとつの難を越えることが、ひとつの借金を返すことに繋
がっていたのだと仮定すれば、こんなにも有難い人生はなかったなあ、と、感慨深く、しみじみ思わせていただいています。
 
 
 
 
 
 
 人は鏡 気になることは自分にある      
 
 当院に来院する方で比較的多い職業が、看護師さんと美容室の関係者です。
 美容室などは、さしずめ、現代版、井戸端会議の場所でしょうか。
 その、美容室関係者に時々お話しさせていただくことがございます。
 「お客さんをもっと知りたいと思ったら、お客さんが、いつも、何を話すかを観察してみてください。」
 女性が話す内容の多くは、舅、姑。特に、姑の讒訴、嫁の悪口、共通の知り合い、隣近所の人の陰口、と、だいたい相場が決まっていま
す。
 ターゲットとなる相手は誰であれ、話す人の話す内容に着目します。
 姑が細かいことを話題にする人は、ご自身が細かい人です。嫁がだらしがない、と、お嘆きのあなた。残念ですが、あなたご自身がだら
しのない人です。知人が金銭にルーズだと論うあなた。知人のケチ振りを、ことさらに強調するあなた。あなたご自身は金銭にルーズだっ
たり、ケチだったりはしませんか。
 近所の奥さんの男性関係を俎上にする人。申し訳ありませんが、あなたご自身に男性関係の乱れはありませんか。
 多くの時間を費やす話題の中身とは、人のことではなく、自分の至らなさ、自分の欠点です。自分の欠点だからこそ、ことさらに気にな
ります。
 同じことを(おごるなよ 月のまるさも ただ一夜)で書いていますので、そちらをご参照ください。
 (人のふり見て我がふり直せ)と、言います。
 それが、人のふり、だと思っている限り、改めることができません。
 相手の気になる言動は、自分の身の内にあります。自分にないものは、気にしようにも、気にしようがありません。気になるとは、取り
も直さず、自分のことだからです。
 相手の細かさを揶揄するのは、自分の細かさを正当化し、それよりは、わたしは、(まだ、まし)と、位置づける行為に他なりません。
 自分も気付かない自分の内面を写して見せてくれている、それが、(人は鏡)の意義。その上で、(気になることは自分にある)ことを
納得することが必要。相手を攻撃している限り、本質は見えてきません。
 その意味においては、(人のふり見て我がふり直せ)よりかは、(人のうえ見て我が身を思え)のことわざのほうが、より、真実に近い
でしょうか。
 
 ある、集まりに年に数回参加しています。本来は、月に一度の参加が求められるのですが、遠方でもあり、なかなか思うように出かける
ことができません。常備、開催されている会合ですので、行くことができる場合でも、わたしの都合で、月の初めであったり、中頃であっ
たり、参加する日も一定ではありません。
 通い出して、3年くらいの間だと思います。行く日が不定期であるにも関わらず、必ずと言っていいほど、ある、特定のお一人と一緒に
なります。ところが、どうにも、その方が癇に触ってしかたがありません。なぜ、癇に触るのか、最初こそ漠然としたものでしたが、回を
重ねるうちに、なぜ、気になるのかが明確になります。
 まず、話す内容が自分のことばかりです。基本、皆さん、話す内容は自分のことです。でも、そこからの、気付きであり、教訓であるこ
とがほとんどです。その方が話す内容とは、自分がいかに大変かの訴えでしかありません。聞きようでは、その大変なことを頑張って通っ
ている自分賛歌です。世間を揶揄し、政治を否定し、世相を、ボロボロに刃こぼれした鉈で、どこかで聞いたような使い古されたことばで
斬りまくる。毎回、話す内容は、金太郎飴のごとく一緒でした。
 その場所では、当日に集った人達が7〜8人のグループに分かれて(ねりあい)と称する話し合いを持ちます。そこでの発言は基本的に
は、テーマに則ってするのですが、テーマから逸脱することも自由です。それぞれの思いを持ち寄り、気付きを、さらに、(晒す)と言う
ことばで表現しますが、披露し、意見をぶつけ、練り合い、自分なりの答えを導き、糧とし、真理を得る努力をし、指針ともします。
 自分とは何か。自分に足らないものとは何か。自分に起きている現実を、どう捉えるか。自分に求められている命題とは何か。自分はど
こに向かっているのか。しなければならない使命とは何か。なぜ生まれてきたのか。生きるとは何か。死とは何か。自分が存在する意義と
は何か。今をどう捉え、どう過すのか。どんな自分になろうとしているのか。どんな自分であらねばならないのか。喜びとは何か。感謝と
は何か。貧乏とは何か。病気とは何か。我とはなにか。ご先祖様とは何か。両親とは何か。それこそ、それぞれが持ち寄る、ありとあらゆ
ることがねりあいの主題です。
 気が付くと、必ず、その方が、同じグループにいるのです。工夫をして離れようとするのですが、いつの間にか同一グループになってし
まいます。
 その方を注意深く見ていると、自分から話し出す場合は、自分がいかに大変かのお話し、他の人が話す場合は、穿った見方をすれば、知
ったか振りの揚げ足取り、少ない知識のひけらかしでしかありません。挙句の慇懃無礼。その方が入っているだけで、前向きの議論にはな
らず、淀んだ空気を醸し出し、休憩に入るころには、とにかく、ぐったり、疲れが出てしまうのが常でした。
 その方を目にするだけでイライラが募るようになった頃、ある別の局面で、別なある方から言われます。
 「人は鏡 気になることは自分にありですよ。」
 ことば自体は、それまでも、何度も聞いていました。何度聞いていても、知識として、ことばとして受け入れていただけでした。その時
初めて、自分への戒め、戒めというよりは、自分のこととして受け取ることができたのでしょうか。自然に、どうにも気になっている人と
関連付けて考えていました。
 (まてよ。まさに、その、癇に触る、会うことを避けたい人の姿こそが、自分の姿ではないのか)
 考えてみれば、残念ではあっても、その方の言動そのものが、わたしそのものでした。
 (いままで出会った人に対して、たくさんの毒を振りまいてしまったなあ。本当に申し訳なかったなあ)
 心からそう、思い、お詫びすることができたのでした。
 そこに気付かない、思い至らないからこそ、その人に何度でも巡り会わされたのです。
 (世の中に偶然はない)と、言います。すべてが必然と理解した時、自分を顧みることができ、欠点を知り、自分自身にとっての糧にな
るのかもしれません。自分にとって、糧になったかどうかなどさえ、さほど重要ではなく、むしろ、他の人に対していらぬ迷惑をかけない
自分になれるのかもしれません。
 本当に不思議なのですが、その後、その方とは、15年以上、出会うこともありません。 
          働くとは 端を楽にすること
 
 
 
 
 (親死 子死 孫死)
 ある商家でお孫さんが生まれ、何かおめでたいことばを、と、求められて、一休禅師が認めたことばです。
 また、一説には、庄屋の娘の結婚式に招かれた小林一茶が、求めに応じて、
 (親が死に 子が死に 後に孫が死に)
 と、詠んだとも伝えられています。
 生きとし生ける物は須く死を迎えます。誰しもが死を避けて通ることはできません。その時、順序を追って亡くなることが、一番の幸せ
です。事実、沖縄では、親御さんより早く亡くなったお子さんには、別の小さな墓が用意され、一族が眠る大きな墳墓には埋葬されないと
聞きます。それは、親より早く亡くなることが、親不孝にあたるからです。
 ある高名な作家が、招かれた結婚式で
 (親が死に、子が死に、後に孫が死に、本日は本当におめでとうございます。)
 とだけスピーチして席に戻られたそうです。
 そのエピソードを聞いたとき、わたしは、思わず唸ってしまいました。
 スピーチを聞いた人に、無理なくことば受け入れてもらうには、その人の人品骨柄が物を言います。この人の言うことなら、、と思わせ
るだけの品格が必要、人となり、風格が大事、重ねた人生経験の深さと齢の重さが重要です。
 それからのわたしは、そのスピーチに憧れ、一度でいいから、いつかは、そのようなスピーチをしたいと思っています。そのようなスピ
ーチを自然に受け流してもらえるようなお年寄りになることが目標です。
 改めて書くまでもありませんが、そのスピーチができるには、残念ですが、まだまだ、遙か遠く及ぶものではありません。多分、これか
らの人生で、そのことばを言える機会が訪れることもなく終焉を迎えてしまうのでしょう。でも、まだまだ、諦めるわけにはいきません。
 結婚式には、忌みことばがあります。さしずめ、(死)などもその代表でしょう。その他(別れる、離れる、去る、壊れる、戻る、帰
る、破れる、割れる、重ねる、流れる)などがあります。忌みことばを避けるためには、違うことばに置き換えます。(終わり)とは言わ
ずに(お開き)と言うのも、その好例です。
 では、なぜ、そのような七面倒臭いことをするのでしょう。
 古来より、日本人は、ことばには魂が宿ると考えてきました。それを(ことだま)と言います。
 ことだま学として、専門に研究なさっていらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。
 碩学であればいいのですが、浅学のわたしには、ことだまの神髄を語ることはできません。その周辺を羅列することすら叶いません。で
も、漢字の成り立ちに意味があるように、ことばのひとつひとつには、意味があって使用されることぐらいは推測できます。
 (働く)とは、自分のために、働くのではありません。自分が動くことが、他の人、つまり、端の人を楽にするために、働くのです。
 身近かな端の人とは、誰あろう家族です。一所懸命働き、たくさんの給料を持って帰れば、家族が喜びます。生活が楽になります。
 働くとは、労働することだけを指すのではありません。旦那さんが、外の掃き掃除をすることで、奥さんが楽ができます。ついでに、向
こう三軒両隣を掃除することで、向こう三軒両隣の人が楽ができます。畢竟、働くという行為です。
 お子さんが通う学校のグランド整備の作業奉仕も働くなら、町内会で行う公園の草刈りも、地区の消防団に入ることも働くです。旦那さ
んが消防の集まりから戻ると、奥さんが、暖かい家庭料理を作って待ってくれている。当然、働くという行為です。
 働く、という行為が、端を楽にする、結果として、端にいる人に喜んでもらえることが、働く、の真の意味です。端に喜んでもらえな
い、喜んでもらえないばかりか、迷惑でしかない行為、むしろ、悲しませてしまう行為を働くとは言いません。
 
 かなり以前になりますが、<NOと言える日本>という著書がありました。当時は衆議院議員でしたが、現在の石原東京都知事、アメリ
カに対して、NOを言わなければならない時は、毅然として、NOを突き付ける、という下りが話題になりました。
 その、中身は、石原慎太郎氏と、当時のソニー会長、盛田昭夫氏の対談です。
 盛田氏はソニー発展の礎になったトランジスターラヂオを取り上げ、話していらっしゃいます。
 (日本人は、物真似だと揶揄される。確かにトランジスターラヂオを発明したのはアメリカ人。でも、アメリカ人は、こんな、音の悪い
ものは売れないだろうと考えた。わたし達はその捨て置かれたトランジスターラヂオをどうすれば売れるかを考えました。それは、物真似
でも何でもない、日本人、独自のノーハーです。)
 その対談で、さらに、指摘します。
 (アメリカは、現在、ペーパー経済に現を抜かしています。しかし、それは、虚構です。実体を伴わない、見せかけの経済です。そこに
ある土地は動きません。土地は動かないのに、所有権、売買契約書というペーパーが動き、紙が移動するだけで、巨額の現金が動いていま
す。日本は、そんなアメリカに追随するべきではないのです。物作りの国、[日本]でいいのです。物を作ることを基調にする国でいいの
です。実体を伴った、実体経済の国であるべきなのです。)
 著書をもう一度確認して、齟齬のないように紹介させていただけばいいのですが、生来のものぐさと、忙しさにかまけて、確認しないま
ま書いてしまっています。不遜なことで大変申し訳ありませんが、大筋で、そのような発言があったとご理解いただきたいと思います。
 現実は、盛田氏ご指摘通りの経過を辿り、轍を踏みます。
 日本のバブルが崩壊したのは何年後のことだったでしょうか。わたしには、現在においてさえ、バブル崩壊の後遺症も癒えぬまま、そ
の、総括、検証すら満足にせず、さらに、危険地帯に足を踏み入れようとしているように思えてなりません。
 盛田氏は、当然のように、同著の中で、額に汗して働くことこそが大事だとも話されています。
 でも、現在の日本の有り様はどうでしょう。アメリカの悪い面だけを真似する、カーボンコピーに成り下がってしまってはいないでしょ
うか。バブルの反省もなく、さらなるバブルを模索しているだけではないのでしょうか。
 お金は大事です。たいがいのことを可能にしてくれます。でも、お金とは、人間のために発明され、人間のための便利なツールとして発
展してきたはずです。そのお金に右往左往するばかりか、いつの間にか主客が逆転し、その、お金にさえ使われてしまっている。まったく
もってあさましい限りです。
 わたしは、それでも、知恵を出して、たくさんのお金を獲得することを悪だとは思っていません。ただし、仁義、道徳、倫理に反しない
前提においてです。法律ではありません。道義においてです。この項のテーマである、働くに値する限りにおいてです。
 寄り道になりますが、法律も、人のために生まれたツールです。
 法律が人のためのツールであるにも関わらず、今回の東日本大震災では、その、法律が復興の足枷になっています。法律が人のためのも
のである限り、緊急時において、法律を無視できるだけの決断と見識と前提となる理論武装が重要です。体裁は追々つければいいことで
す。ただし、その責は総理大臣たるもの、一身に受け、場合によっては、責任を取って辞任するだけの覚悟を持つのは当然です。
 総理大臣に必要なのは、(復興に対する熱い思い、と、強い意志、その責任を一身にかぶる)覚悟だけです。
 その程度の覚悟さえできぬ者が総理大臣になどなるべきではありません。
 ところが、現実はどうでしょう。朝令暮改は当たり前、俺が俺がで収拾もつかず、善意の義援金の配分すらままならない体たらく。厚顔
無恥もここに極まれり。恬として恥じることもない姿には、空恐ろしささえ覚えます。
 どうしたことか、議員は議員で、こんな総理を選んだ自分の責任に頬っ被りし、政争を繰り返すばかり。あなた達に総理大臣を批判する
資格などありません。
 かく言うわたしはどうでしょう。そのような議員を選出したのはわたし達国民であり、一切の責は自分自身に起因するということでしょ
うか。
 話しを戻します。
 お金を獲得することは悪ではありません。しかし、もっと重要なのは、その、獲得したお金をどう使うかです。
 アメリカ人は、経済活動に名を借りた、あらゆる手段を駆使して、お金の獲得を目指します。そこに、人情の機微など差し挟む余地はな
く、むしろ、小気味がいいくらいです。それを近代合理主義とでも呼ぶのでしょうか。でも、成功者の多くは、ある年令に達すると、事業
の一線から退き、慈善事業やボランティア活動に身を投じます。キリスト教に裏打ちされた行動規範なのでしょう。
 しかるに、我が日本に目を転じればどうでしょう。
 アメリカから学んだのは、どんな手段を用いてもお金をかき集めるという一点だけ、上から下まで、詐欺集団、と、言ったら言い過ぎで
しょうか。
 
 今から50年ほど前、外国資本の某飲料メーカーが日本に進出してきます。仕入れ価格は、1箱の購入であっても、100箱の購入であ
っても、同価格で、利益は一律20%。ただし、箱代、瓶代は前払いで、仕入れ価格に上乗せされます。
 当初は、飲食店には、各商店から商品が流通していました。ところが、飲食店に市場があると見るや、メーカーは、商店を経由せずに、
直接、飲食店に販売を開始します。その後、採算が合わないと判断するや、小規模の飲食店からは即座に撤退します。
 結果、飲食店は卸し価格を知ってしまいます。そればかりか、さらに大量に購入している商店は、もっと低価格で仕入れていると思い込
みます。飲食店から各商店は、メーカーと同価格での納入を要求されます。それが叶わないと判断するや、卸し価格と販売価格の差額の半
額折半を要求します。さらに、最初から販売価格に含まれている、箱代、瓶代を予め差っ引くことを要求されます。飲食店の中には、その
空箱、空瓶を余所に売却する所まで表れます。それでなくとも、一カ所の飲食店に複数の商店が競合して納入する場合は、商店同士の空箱
空瓶争奪戦が始まります。空箱を含む空瓶を他所にやられてしまうと、商店にとっては、丸まる損失。そこまではいかなくとも、飲食店で
すから、空瓶を破損することなども普通にあります。その場合の破損分すら、商店の負担になってしまいます。
 先払いした空瓶の料金は10円。メーカーの引き取り価格は10円。空瓶、空箱の片付けは無料奉仕です。保管料も無料。破損が生じれ
ば商店持ち。利益などはまったく望めず、ただの、骨折り損のくたびれ儲けに終止します。
 商売をしたことのない人にとっては、売らなければいいと思うことでしょう。でも、大量広告が入り、注文がが入ります。扱っていない
とは言えないのです。
 みみっちい話しです。たったそれだけのことですが、わたしは、日本の商道徳の変化はこの時から始まったと考えています。
 人のことなどはどうでもいい。自分が儲かるためにはどうするか。それが、企業理念に変化します。
 それを真似たのかどうか、ある製造メーカーが、コンビニなどに商品を納入している一方で、自社の製品を中心にしたベストショップを
オープンさせます。場合によっては、まだ発展途上であったコンビニ業界を席巻しようとする目論みもあったのかもしれません。建設費を
オーナーに負担させ、月々のロイヤリティを徴集するフランチャイズ方式です。でも、本当は別のねらいが隠されていました。開店したシ
ョップを足掛かりとして、近隣の商店に積極的に商品を卸し出します。たとえ、隣りの商店であっても例外でありません。何ら変わらない
商品を隣り合わせで、同じ価格で販売します。ベストショップである意義さえ存在しません。
 ある、大手の酒造メーカーです。
 新商品を販売開始します。その新商品の種類たるや、たとえば、味を違えた製品を12種類などという大量販売です。1ケース、12本
に対して新製品販売見本と称して販売店に1ケース12本に対して1本を付けてくれます。酒店の利益は通常18%です。本当は5本づつ
の仕入れでいいと思っても、1本付きの魅力に負けてケースでの仕入れになります。
 12本×12種類=144本 144本×わたしが酒店を経営していたころは全国に15万軒、半分が購入したとして、7.5万軒=
10,800,000本、ケースにして、90万ケース。たとえ、10軒に1軒、1割の購入しかなくとも、18万ケースの売り上げになり
ます。
 そのメーカーの最高級ウィスキーを、ある、消費者団体が原価計算をしたことがあります。売価は当時6万円でした。容器が手作り風の
ガラス瓶で5千円弱。では、肝心の中身ですが、製品を寝かせておく期間の金利を計算しても、268円以上にはどう考えてもなりません
でした。酒税として納める部分を考慮しても、儲けの大半は、卸し問屋でもなく、小売店でもなく、メーカーが独占します。その儲けの何
パーセントかが、大量広告に化けます。何のことはない、消費者は、広告費にお金を払わされています。広告費を飲んでいます。
 その、広告の効果は絶大です。何人ものお客さんから引き合いがきます。不承不承でも、ない、と胸を張れない小売店が仕入れます。わ
たしの店でいえば、3本、5本も売れたころでしょうか。突然、CMが入らなくなります。売り上げがピタッと止まります。いきおい、残
りは自家消費、もしくは、不良在庫として倉庫でほこりを被ります。
 それから、1年も過ぎたころでしょうか。また、突然、CMが入り出します。これ幸いと、商品を売ろうと身構えます。ところが、お客
さんから、製品が違う、とクレームです。違うはずです、中身は同じでも、瓶の形を変え、ラベルを変え、リニューアル新発売。何のこと
はない、また、新たに、製品を揃えろ、ということです。 
 まだ、福島県内には、コンビニといえるものが数件しかなかった時代です。酒店の経営に行き詰まっていたわたしは、ある、コンビニの
社長のお友達だという方にお話しを聞く機会を得ました。
 「コンビニは儲かりますか。」
 単刀直入に訪ねるわたしに、
 「儲からないはずがないでしょう。人が寝ている間も働いているんですよ。儲からなかったら、寝ないで働く人はいないでしょう。」
 「そうですか。儲かりますか。わたしも、これからは、この商売だと思っています。業態の転換を考えています。」
 勢いづくわたしに、
 「ただし、実はもっと儲けている人がいます。その人は、人を寝ないで働かせておいて、自分はちゃんと寝ている人です。」
 わたしは、それ以上ことばをつなぐことができませんでした。
 
 会社勤めをする人達が、
 (我々、働くものがいるから会社は存続できるんだ。)
 と、当時の社会党をバックに、自己主張を始めました。
 経営者は、景気が少々悪くとも、従業員を家族と呼び、やせ我慢を繰り返していました。その労働者の意識の変化に呼応したかのよう
に、経営者も、その、やせ我慢をやめ、会社存続の美名の元、従業員の大量解雇を躊躇なく断行するようになります。
 終身雇用などは名ばかり、熟練の技などはいらないとばかり、いつでも首切りが可能なパート労働者でお茶を濁す。皆さんご承知の現在
の現実です。
 皆さんはあまりお感じにはならないでしょうか。電気製品、パソコン用品など、いままでではおよそ考えられなかったことですが、最初
からの不良品がやたら多くはありませんか。
 会社に帰属せず、愛社精神も、社会的使命も、責任すら持てない時間売り労働者。三角だったつなぎ目のソケットをわざわざ四角に変
え、商品の買い換えを促すなどは当たり前、どうすれば消費者を騙せるのか、欺けるのか、利益追求だけが命題になってしまった大手企
業。
 その現実が、製品の当初購入時からの不具合とリンクしているように思えてしかたがありません。
 ADSLと光通信の違いって何ですか。
 (パソコンの接続を光に変えることでこんなに多くのメリットがあります)
 都合のいい説明はいくらでもしてくれます。でも、それは、自分にとっての好都合であって、すべてをあからさまにした上で比較検討す
る材料の提供などは絶対してくれません。まして、使用者の個々の違いなどどうでも構いません。
 携帯電話。
 受けるだけでしたら、基本料が千円以下になります。お得ですよ、と進められて、会社を乗り換えました。基本料は千円以下ですが、そ
れに、これとあれとそれが加わります。結果、どこで安いのか、高いのか、皆目分かりません。
 携帯電話会社関係者以外で、使用料金の正常な比較検討ができる人はどの程度いるのでしょう。特に、高齢者で、比較できるだけの知識
をお持ちの方を、わたしは、ついぞ、知りません。そればかりは、必要な情報、相手の立場にたった説明をしてくださるような方とも、と
んと、お目に掛かりません。
 (泥棒にも三分の理)と言います。
 泥棒であれ、スリであれ、ポリシーがあり、越えてはいけない壁があるはずです。
 さしずめ、弱者と呼ばれるお年寄りを騙すなどはその典型でしょう。
 そのお年寄りをターゲットにする悪質な犯罪。あげく、(騙されるほうが悪い)と、開き直りからならともかく、平然と嘯く輩。拝金主
義が生んだ申し子ではないのでしょうか。本当にこれが、日本ですか。本当にこんな国でいいのですか。
 それを取り締まらなければならない警察。
 (騙されないように注意をしてください)
 おいおい、騙される側にそんな注意をしている前に、犯人を捕まえてくれよ。
 テレビの番組などで、おれおれ詐欺などの容疑者を追跡すると、造作なく、犯人に辿り着きます。テレビにできることが、捜査のプロで
ある警察にできないはずがないと思うのですが、検挙率も上がりません。犯罪件数も下がりません。
 犯罪者を検挙できないほど、何が、そんなに忙しいのですか。それとも、鼻っから捕まえる気がないのですか。血道をあげるのは、なぜ
か、当初予算に組み込まれた交通違反の反則金のノルマ達成。
 そこは、さらなる注意喚起でしょう。検挙するのは、犯罪者でしょう。違いますか。
 働く意義を教えなければならない教育界。組織率は低下したとはいえ、日教組を中心に、自分の権利の主張に明け暮れていては、教える
ことができるのは、自分の都合、自己主張、知識という能書きになるのは当然かもしれません。
 インターネットの掲示板をつぶさにご覧になればいい。あなた達のした教育に名を借りた自己正当化が如実に反映されていることが、
具に客観視できるはずです。
 働く、とは、勿論、自分のために働くことが一義です。それを否定するものではありません。
 でも、少なくとも、自分が働くという行為が、結果として、人に喜んでもらえることが必要なのではないでしょうか。そこを踏み外し、
自分の為だけに働きだした時、人であれ、企業であれ、日本の、大きな迷走が始まったような気がします。
 人は悲しんでも、自分は喜ぶ行為を働くとは言いません。実に明快です。
 日本語のことだまとしての(働く)の字義を理解し、たとえ、人のために働くことはできなくても、働くということばの意味の原点を踏
まえて意識した時、大袈裟ではなく、世界に範を垂らす日本になれるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
おはようで始まり ありがとうで終わる一日        
 奥様方の旦那さんに対する不満を聞いていると、ほとんどの方が、感謝のことば、労いのことばを旦那さんから受けたことがない、とい
うものです。
 まったくもって耳の痛い話しで反省のことばもありません。
 わたしがまだ中学生だった頃、お母さんに、
 「たとえ嘘と解っていても、女の人は、いたわりのことばや、やさしいことばをかけられるとうれしいんだよ。」
 と、諭されたことを覚えています。
 逆に、そのことがトラウマになり、話すそばから嘘を並べ立てる実のない男に思われてしまいそうで、どうにも言うことができません。
 言ってしまえば簡単なはずで、自分が障壁だと思っているのは、ただの線、その線すら実体はなく、わたしにだけ見えるまぼろしである
ことは十分承知しているのですが、意識すればするほど、労いのことばも、まして、感謝のことばを口にすることができません。感謝のこ
とばや、労いのことばを言うことが、なにかよそよそしく、却って、溝を作ってしまうような恐怖すらあります。自分で言うのも何です
が、稀代の照れ屋で、特に、家内には、ぶっきらぼうな物言いしかできません。もっとも、それすら、言い訳です。
 (知行合一)知っていることと行うことは同じでなければならない。知っているけれどもできないというのは知らないに等しい。など
と、陽明学を持ち出して紹介しながら、(経読みの経知らず)一番に知っていないのはわたしに他なりません。そんなに自意識過剰になら
なくともと思うのですが、まったくもって凡人のなせる技、そこから少しも前に進みません。
 そんなわたしが、自分を棚に上げて、先を進めます。
 次に、奥様方が何と言うか。
 「わたしはこうこうこうして、こうしているのに、内の旦那は、こうこうこうで、こうなんですよ。」
 男性にもなくはありませんが、女性特有の、交換条件や自己肯定、相手否定のオチがつきます。
 女性はどうも、旦那さんに対する期待を愛情と錯覚している伏があります。交換条件を満たしてくれることで、相手の愛情の深さを推し
量るきらいがあります。いずれにしても、期待は要求であり、要求とは打算です。
 ある時、家内が言うのです。
 「ご近所の○○さん。あいさつしても返事もしないんだから。もう、あの人にはあいさつしない。」
 自分の行動に見返りを求める典型的な例です。
 さらに、わたしに咎め立てされと時のために、自分があいさつをしないのは、自分が悪いのではなく、相手があいさつを返してくれない
からだ、と、正当化し、言い訳をするための伏線です。
 わたしはわたしで、本筋である見返りを求める気持ち以前の、家内のあり方そのものに反応します。
 (おまえのはあいさつとは言えないよ。口の中で、ごもごも、もごもご。相手にしたら、独り言かと思っている間に通り過ぎてしまう)
 口から出掛かったことばを飲み込みます。それを言い出せば喧嘩になります。
 「返事は『はい』。俺の顔を見て、明るく、元気に、笑顔で。言ったのか、言わなかったのか、わたしに伝わらないような返事を返事と
は言わない。」
 何度怒鳴り散らしたことか。
 そんな家内を知るわたしは、家内のあいさつとは、自分だけが、(あいさつをしているつもり)程度のものであることを承知していま
す。お返しを求めるよりなによりも、まず、自分のあいさつの仕方そのものを反省しろと思ってしまいます。相手をとやかく言うのはその
後の話しです。
 わざわざ、家内の悪口を並べ立てることもないのですが、たった、その程度のことが諍いの種になります。
 「何か言えばすぐにわたしを責め立てる。」
 家内は、反省するどころか、小言を言われたことそのものに反応し、そこから、一歩も先に出ようとしません。
 わたしは、真意が伝わらないことにいらだち、声を荒げます。その繰り返し。
 諍いをしたくなければ、わたしが、言うべきことを言わずに我慢するしかありません。
 でも、我慢をすればするほど、不満が鬱積し、些細なことで爆発します。
 些細なことで叱られた家内は、わたしに対して、反発を強めます。
 まあ、そんな状態で、よくも、ここまでやって来られたものだと感心します。
 (人は鏡 気になることは自分にある)
 突き詰めて考えれば、根本の問題は、家内にあいさつをしたことも、ありがとうのことばを言ったこともないわたしにあるのであって、
家内の問題ではありませんでした。
 家内に要求する行為そのものが、色々理屈を付けても、わたし自身の問題の裏返しでしかなく、ないものねだりそのものでした。
 ただ、ここでは、それはそれとして、本質である(のに)について取り上げます。
  
 女性の方は、よく、見返りを求めます。(見返り)とは打算です。決して(愛)ではありません。愛とは、尽くして尽くして、尽くしぬ
くこと。見返りを要求しない、無償の行為を愛と呼びます。相手に代償を求める行為は、欲得でしかありません。
 わたしはあいさつした(のに)こうしてくれなかった。
 (のに)には相手を批判することばが含まれます。批判だけであれば、まだ、いいのですが、相手に対する干渉、相手の生き方に関わる
ことばが含まれます。
 頭の良い人がいます。スポーツの得意な人もいます。絵を描くのが上手な人、楽器を奏でるのが得意な人。すぐ打ち解けることのできる
人も、人見知りする人もいます。大きく括れば、男がいます。女がいます。いろいろな人がいて世の中です。完全な人などどこにもいませ
ん。完璧な人は、そも、生まれてきません。それぞれが不完全な人間です。不完全でしかない人間が、それぞれの得手を持ち寄り、不完全
な部分を補い合うのが社会です。
 皆が同じことを言い、同じことをし、同じ思いしか持たないとすれば、これほど、気持ちの悪い世の中はありません。明るくあいさつを
返してくれる人も、そっぽを向いてしまう人がいてもいいはず。
 自分の行動が相手によって変わることはおかしいのです。相手があいさつを返してくれようが、くれまいが、変わりなくあいさつをする
自分がいるだけで事足ります。
 「なぜ、神は、世の中に悪をお造りになられたのですか。」
 その問いかけに、神は、こう、答えました。
 「世の中に善しかなければ、それが、善であることをどのようにして知りますか。悪があって初めて、善を善たらしめることができるの
ですよ。」
 絶対善も絶対悪もありません。善人も悪人もいません。それぞれが、善の部分と、悪の部分を持った不完全なものが人間です。善の部分
を評価すれば、善人です。悪の部分を過大評価すれば悪人です。でも、それは、自分というちっぽけなフィルターを通しただけの、自分の
欲得としての、都合のよい評価です。
 相手を批判することは、相手を否定することです。相手の生き様に関わることです。では、その方の人生に責任を持つことができるでし
ょうか。相手を批判しているのではなく、自分にとっての(都合)を並べ立てているだけです。
 たとえ、夫婦であっても、別人格の人間です。どう生きるか、どう考えるかは、それぞれの人生観です。それぞれが決めればいいので
す。相手の人生感に関わることはないのです。相手の生き様は相手にお任せすればよいのです。それは、たとえ、夫婦であってもです。足
らざるを補い、作り上げていくのが家庭です。相手の足らざるを指摘ばかりすることが家庭ではありません。相手の足らざるを足してあげ
られることが愛です。相手から学び、自分を高めていく努力が、心を開くことであり、相手を身ぐるみ受け入れることです。
 わたしに不足していたのも、実にこの部分でした。変わるべきは自分でした。
 (亭主の好きな赤烏帽子)
 のたとえのように、黙って後からついてくるのが、妻たるものの役目、と、考えていました。
 何をするにも相談ひとつ、意見ひとつ求めたことがありません。反対でもしようものなら、脱兎のごとく叱りつけるだけでした。
 よくもまあそんなわたしについてきてくれたものだと、今にして思います。
 わたしのわがままが、前よりもましになったとは言え、それでも、さほど改まったわけではありません。でも、少しは家内の言い分も聞
けるようになったかなあとは思います。
 
 「おはよう」
 と、声を掛ける行為。誰に求められるものでもなく、爽やかに目覚め、今日の一日に胸躍らせ、希望に溢れた思いのお裾分けです。愛か
ら迸る(おはよう)です。愛の法楽です。愛から発せられるおはようです。
 相手がどうであっても、身の内からの溢れる思いです。
 (おはよう)と言う(愛)を振りまきましょうよ。(おはよう)と言う、(愛)で相手を包んであげましょうよ。
 わたしが一番苦手にしているのが、そもそも、あいさつ、です。
 そんなわたしが、言えた義理ではありません。
 でも、これからの、わたし自身の課題として、(おはよう)で始まり、その日一日にあった、すべてのことに、喜びと感謝を込めて(あ
りがとう)のことばで、一日を締めくくりたいと考えます。
 都合の悪いことは偶然にしてしまう。都合の悪いことが偶然であるなら、都合のいいことも偶然のはず。ところが都合のいいことは、自
分の実力だと過信する。総てを必然と捉え、都合の悪いことに、なぜなんだ、どうしてなんだ、と、身をよじるのではなく、必要として通
る道として、感謝してしまうことのほうが簡単ではありませんか。ない頭を使って導き出せない答えに悶々と日を送るより、一日一日を
(ありがとう)で終わることのほうが素敵だとは思いませんか。
 (そうは言っても)確かにその通り、そうは言ってもです。でも、その結果、答えは見出せましたか。相手の責任にし、攻撃し、気分は
晴れましたか。
 先日、ある方から、いいお話しを聞かせていただきました。
 その方は便所に行って、おしっこの時は、おしっこをする前に
 「おしっこさん、ありがとう。」
 大便の時は、
 「うんこさん、ありがとう。」
と、言うのだそうです。
 お年を召すと、どうしても、おしっこの出が悪くなります。ところが、そう感謝して便器の前に立つと、おしっこの出がよくなるそうで
す。便秘で悩む女性の方はたくさんいらっしゃいます。その方の言を借りるなら、便秘で悩む必要がなくなる、と、言います。どうぞ、お
試しになってみてください。
 これは、わたし自身に向かって言います。おしっこにも、それこそ大便にも感謝できる、ゆとりのあるお年寄りになりたいものです。 
 
 
 
 
 年をとったからといって 嘆くに足らない 嘆くべきは 老いて虚しく生きること
 
 
 
 
 
 キリスト教には、大きく分けると二つの潮流があります。ひとつは、ローマ法王を頂点とする、カソリック教会。カソリックの聖職者を
神父と呼称します。その他、役職によって、司祭とか、枢機卿とかありますが、基本は神父です。
 16世紀初頭、どんな罪を犯しても、免罪符を購入すれば、死んだ後に天国にいけるなどとし、金権にまみれ、腐敗した教会に反旗を翻
し、キリスト教の教典を厳密に守ろうとする、プロテスタントが誕生します。プロテスタントの聖職者を牧師と言います。
 いずれにしても、新約聖書を教典とする人達です。
 カソリックが神父で、プロテスタントが牧師。呼称から区分けができます。
 プロテスタントは、聖書の解釈を巡って、多くの分派を生み、より、先鋭的な、原理主義者を多く輩出します。モルモン教、エホバの証
人などが、その、代表格でしょうか。
 大変大雑把な括りでお許しいただきたいと思うのですが、単純化しないと、わたしには理解することができません。小さな齟齬はお見逃
しいただきます。
 アメリカという国は、その、プロテスタント系の人達が多く住む国で、プロテスタントが人口の3/2を占めます。そのことを抜きにア
メリカを語ることはできません。
 たとえば、(神は、この世を一週間でお造りになられた)聖書に、そう、書かれています。聖書に書かれていることが真実であるとする
立場を取る人達がプロテスタントです。科学者とて例外ではなく、聖書に書かれた記述を証明するための研究に勤しみます。神が、一週間
で天地を創造されたことを教える博物館があり、多くの入場者を記録します。その限りにおいて、自由な発想は存在しません。自由の国、
アメリカではないのです。日本的な感覚でアメリカを捉えると間違います。
 わたしには、少々、疑問なのですが、新約聖書を書いたのはキリストその人ではありません。人と言ってしまうと間違いでしょうか。神
の子が直接書かれたものではありません。正典とされるものも、外典とされているものも、その全ては、後生の人が、自分というバイアス
をかけて書いたもの、さらには、伝聞に基づいたり、啓示を受けて表したものです。教典によっては、数百年後に書かれたものもありま
す。正典に認定されているにしても、書かれた、一字一句が、間違いのない教えとするにはわたしには無理があるような気がします。
 日本の常識は世界の非常識。日本ですと、有識者ほど、無神論を唱えます。しかし、世界に出れば、無神論であることは、無学にも等し
いことの証明にすらなります。
 少し前に(トイレの神様)という歌がヒットし、平成22年の年末の紅白歌合戦では、異例の10分以上のフルバージョンが割愛される
ことなく披露されました。トイレに神様が宿るなどと考える国は日本以外にはなく、実は、神を普遍的に、生活に根ざして受け入れている
国は日本しかありません。つまり、あえて、神を祭ることを表明しなくとも、神と同居して生活があることが自然なのであって、視点を変
えれば、世界一、信心深い国です。ただ、他の国と比較した時、その、信仰の形態が違うだけです。
 わたしは無神論者だからと、神社に詣でることに反対したり、お葬式に寺院に列席することを拒否したりする人はどの程度おられるでし
ょうか。祭りとて、神社の行事に根ざしたものです。そのお祭りに背を向ける人は、一部の新興宗教関係者を除けば、いたとしても、ご
く限られた人であり少数派です。
 優秀な指導者として名前を挙げられる中のお一人に、アメリカの故キング氏がいます。通常、キング牧師と言い習わされています。つま
り、プロテスタントの信徒です。
 キング牧師は、ご承知の通り、黒人差別の解放運動を指導しました。
 現在では、黒人の大統領を誕生させたアメリカですが、残念ですが、人種差別は未だに色濃く残っています。
 そのキング牧師の有名な演説の一説です。
 「絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ。今日は、皆さんに言っておきたいことがある。」
 とし、
 「わたしには夢がある。それはいつの日か、この国が立ち上がり『すべての人間は平等に作られているということは自明の真実』とす
る、この国の信条を真の意味で実現させるという夢である。」
 そして、こう、続けます。
 「わたしには夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼いこどもたちが、肌の色によってではなく、その人格の中身によって評価さ
れる国に住むという夢である。」  (磯貝優氏訳抜粋)
 と、実は、長くなってしまいましたが、ここまでが前振りです。
 キング牧師とは較べようもありませんが、キング牧師の言を借りるまでもなく、(わたしにも夢があります)。
 わたしは、まもなく、61歳を迎えますが、来院者に対する責任として、今後、10年を目安に、わたしがいなくとも、可動するシステ
ムを構築したいと考えています。
 具体的に言うなら、わたしが、いつまでも、直接、施術できるとは限りません。事故、病気、何があるかわかりません。どんな場合で
も、スムーズに移行でき、患者さんにご心配や、ご迷惑をかけることがないように安心できる療場を目指します。
 より、具体的に言うなら、お弟子さんで運営できるようにして、格好をつけるなら、70歳になったら、後進国に当療法を引っさげて、
伝導に出たいと考えています。
 
 昨年、還暦を祝う中学校時代の同級会があり、出席しました。
 折しも、満開の桜に雪景色という、生まれて初めての経験で、心に深く刻み込まれる自然の情景の祝福を受けました。
 それこそ、中学校卒業以来の顔もあり、なつかしく、昔話に花を咲かせ、旧交を温めることができました。
 ただ、既に、鬼籍に入った人。病気で入退院を繰り返している人。脳溢血で、体が不自由な人などもおられ、時代の変遷を感じずにはお
れませんでした。また、まったく、連絡がつかなくなってしまっている人。中学校時代にいやな思い出でもあったのかどうか、当時の同級
生とは、一切、没交渉になっている人。出席したくとも、経済的な理由で出席することのできなかった人などもいらっしゃるようで、
 「おい。俺たちは、決して豊かではないけれど、ここに出席できただけでも幸せとするしかないんだなあ。」
 と、妙に出席者で納得しあっていました。
 一泊して翌日、亡くなった中学校当事の担任の先生のお墓参りもさせていただき、散会したのでした。
 わたしは、還暦を迎えるころには、(酢いも甘いも噛み分けた)分別を弁えた好々爺になれるものと思っていました。ところが、現実は
どうでしょう。いくつになっても、煩悩と縁が切れません。
 分別どころか、中学生のガキのころと何も変わっていません。変わらないどころか、さらに、ガキになっている気さえします。
 手塚治虫さんの漫画に(ブッタ)があります。
 漫画で見る限り、釈迦は苦労を重ねて悟りを開きます。ところが、悟りを開いた後も、思い、悩み、苦しむのです。釈迦が身近に思える
ばかりか、ただの、聖人君子訓にしてしまうのではなく、作者の意図として、人間としてのブッタを描いたのではないかとわたしは解釈し
ています。
 悟りを開いた釈迦ですら、思い、悩み、苦しむのです。わたしなんぞが、煩悩から離れられないのは、にべなるかな、です。
 そんなわたしの、俺が、俺が、の、思い上がりも、達観できない欲得も、あれやら、これやらの煩悩も、全て認めた上で、そのエネルギ
ーの一部でも、人に喜んでもらえることに使いたいと思うのです。それも、喜んでもらっていると思い込むのではなく、ゆっくり、ゆった
り、何となく、に、です。
 同級会で、ここ10年ぐらいで、療場をお弟子さん達で運営していけるようにしたいこと。70歳を過ぎたら、どこでもいいから後進国
に渡り、希望があれば、生体の技術を指導し、ネズミ講よろしく、体ひとつの技術で食べていける人を増やしていきたいこと。できれば、
現在のお弟子さん達にしているように、技術以前の(思い)を伝えたいことなどを何人かに話しました。
 「んーん。おまえは、いくつになっても夢があっていいな。」
 本当にうらやましがってくれた人もいたかもしれません。でも、大方は、(おまえ、いくつになったんだ。いつまで、そんな夢のような
話しばかりしているんだ)と、暗に批判を含んでいたと思います。
 (お酒のうんちく)で触れました。
 どれだけの量のお酒を飲めばアルコール中毒になるか。
 そこでのアンサーは、こんなにお酒を飲んで自分は大丈夫だろうかと心配し出したら、アルコール中毒の初期だと言うものです。
 では、お年寄りとは何歳からお年寄りなのでしょうか。
 答えは簡単です。自分が(歳だなあ)と感じた時から、お年寄りです。逆に言えば、歳だと感じなければ、お年寄りではありません。
 同級会では、もうすでに、リタイアした人、年度末で定年を迎える人。誕生日までという人。幸いに嘱託として残れる人。別会社に再就
職が決まっている人。幹部に昇進して残れる人。わたしと同じように、鼻っから定年とは関係がない人。千差万別です。
 それにしても60歳。自分のため、家族のための人生ばかりでなく、それぞれの分に応じ、少しは世の中のお役に立ちたいものです。
 ただ、わたしには、もうひとつ、別な思いもあります。
 (わたしは、世の中に何の役にも立てなかった。役に立てなかったどころか、迷惑ばかり掛けてきた。でも、天につばだけは吐かなかっ
た。自慢できるのはたったそれだけ)
 そう、言い切れるだけの自信を持っていたいとも考えるのです。
 40歳までは親からいただいた顔。40歳を越えたら自分が造った顔だと言います。
 2〜30代のころ、上京すると、上野で、警察官に、その筋の人、稼業の人と間違われて、よく、足止めを食いました。ご丁寧に派出所
まで連れて行かれたことも一度や二度ではありません。
 現在のわたしの顔は、他の人からは、どう、見られているのでしょう。
 残念ですが、わたしは、まだまだ、達観できそうもありません。本音を言えば、達観などしてたまるか、という思いもあります。
 いづれにいたしましても、わたしの人生からは、
 (もう歳だなあ)
 という思いも、ことばさえ発しない、豊かな人生を歩みたいと思います。
 
 
 
 
 
  喜べば 喜びが 喜び連れて 喜ばせに来る
 
 
 
 
 わたしが借金で苦しんでいた頃、わたしの師の一人であり、恩人でもある方に言われたことがあります。
 「天から小判は、雨霰のように降っているんだよ。ところが、あなたは、腕を後ろ手に組んで、『どうしたらいいだろう。どうしていい
のか分からない。』なんて、つまらない人間思案を繰り返してばかりいる。かたくなな態度をやめにして、肩の力を抜いたらどうだろう。
握った拳を開いてバンザイをしてみたらどうだろう。バンザイして、すべてを天にお任せしなさい。あなたは、何もしていないのではな
い。できる努力はちゃんとしている。それでうまくいかないはずがないじゃないか。うまくいかないのは、あなたのつまらない常識やこだ
わりが邪魔なんだと思う。いらぬ取り越し苦労も、余分なこだわりも、どうでもいい算盤勘定も、すべて捨てちまいな。バンザイをした手
のひらに、必ず、小判が積もってくるはず。」
 わたしを思ってしてくれたアドバイスに、わたしは、
 「先生。それは、十分、承知しています。でも、明日なんです。明日、50万円、支払いが足らないんです。せっぱ詰まっているんで
す。そんな悠長なことを言ってはいられない。50万円なければ、明日、店を閉めるしかないんです。」
 「それが、つまらないこだわりなんだよ。50万円があなたに本当に必要なら、必ず、まわってくる。それを信じてごらん。まわってこ
ないんだとすれば、50万円は、あなたに必要じゃないということ。」
 知ってるつもり、分かったつもりになっているわたしに、飽きもせず、諦めもせず、うまずたゆまず、指導してくださり、おつき合いく
ださいました。
 現在では、施術させていただきながら、来院者に、色々なお話しを聞かせていただく機会も多いのですが、アドバイスを求められること
も、決して、少なくはありません。気が付くと、先生にお教えいただいたままをお話しさせていただいています。
 患者さんの多くは、
 「そうは言っても…。」
 と、おっしゃいます。
 問題の中身に違いはあっても、そのまま、わたしの昔を見ているようです。
 幸いにして、わたしは、自分の頭で考えることのできないところまで追い詰められました。考えようがないのですから、考えることがで
きません。どうにもこうにも、なかば、すてばちになって、つまらない見栄も体裁も、女々しいだけのわだかまりも捨てました。捨てると
いうよりは、捨てるしかありませんでした。ふてくされ気味ではあっても、考えることも諦めました。考えようもありません。
 そこまで追い詰められると、人間って不思議なものです。笑みがこぼれてきます。やれるだけのことはすべてやりきった満足感で満たさ
れます。そして、思いもしなかった光明が差し出したのです。わたしにとっては奇想天外な展開です。
 チャンスが向こうから転がってくる、必要なお金が天から湧いて出てくる、などという都合のいいことではありません。いつの間にか、
そう、いつの間にか、という表現が一番ぴったりです。いつの間にか、知らず知らずに転業し、実に見事にソフトランディんグしていたの
です。それこそ、いつの間にか、です。当初はそれが、光明であることさえ知りませんでした。むしろ、奈落の底に一直線とさえ思えてい
ました。
 わたしは、そこまで追い詰められないと(下手な考え休みに似たり)という訳にいきませんでした。浮き輪だと信じて、ただのわら束に
必死になってしがみついていました。
 患者さんに接しさせていただいていると、まったく、昔のわたしそのままの方がたくさんいらっしゃいます。でも、その患者さんのお気
持ちを理解し、察して差し上げるげることができるのは、わたしを置いて他にないと自惚れています。
 そして、患者さんのお話しを聞かせていただくこと、求められれば、わたしの経験、特に、失敗談をお話しさせていただくことが、わた
しができるお手伝いの大きな柱だと考えています。
 先生のアドバイスには続きがあります。
 「良いも悪いもすべてを必然として受け入れてみなさい。受け入れた上で、喜びなさい。」
 わたしは、やけくそで喜びました。喜んでしまうしかありませんでした。
 当時は、要件があって出かける時にさえ気になるのは、ガソリン代でした。嘘や大袈裟ではなく、千円のお金にも困っていました。現在
は、ガソリン代を気にせず、家内と連れ立って、さほどガソリン代に気を病むこともなく、ウインドウショッピングを楽しむことぐらいは
できるようになりました。たったそれだけの違いでしかありませんが、わたし達夫婦にとっては、天と地の違いです。
 
 当時、つまり、わたしが酒店を経営していた頃、酒店の組合の集まりがある度に話題になることはいつも同じでした。
 「いやあ、暇だねえ。お宅はどう。」
 「忙しいはずがないよ。暇で、暇で。」
 「お宅もかい。いったい、どうしたらいいんだろう。」
 集まっては、愚痴を言い合い、暇なのが自分だけではないことを確認し、それを聞いて安堵し、傷をなめ合うのです。安堵したところ
で、現実が変わるわけもなく、その繰り返し。同業者が廃業し、一軒、また、一軒と、減っていく度に、次は、自分の番と、憂鬱になった
ものです。
 (類は友を呼ぶ)とか。
 現状の打破、脱却を目的に、改善策として組合独自で、ワインを作ったり、酒を造ったり、でも、お客さんを見ているのではなく、自分
の都合の押しつけでしかありませんでした。現状の酒店が、なぜ、消費者に受け入れられないかを整理し、総括し、反省をきちんとした上
で、では、個店で対応できないことを、力を合わせ、酒組合として、何を、どうするか、どこを目指すのか、それよりなにより、お客様が
何を求めているのかのニーズを正しく認識し、もう一度、お客さんに喜んでもらうにはどうすればいいのかを議論しなければなりません。
ところが、現状から逃れたいという焦りと、少し売れているメーカーにおんぶに抱っこして、自分の手は汚したくない発想からは、改革な
ど望むべくもありません。
 わたしはわたしなりに努力はしたつもりでも、それを説得し、導くだけの指導力も、聞く耳を持ってもらい、理解してもらえるだけの人
望も、無念ですが、ありませんでした。
 それぞれが問題意識を持ち、共通の認識に立って初めて物事は動きます。ところが、わたしは、当然、共通認識に立っているものと、独
り合点し、独り相撲を繰り返し、浮いた存在になっていたのでしょう。それぞれの状況に違いがあり、温度差があることには、最後まで気
づきませんでした。
 それでも、そんな、組合と距離を措きだしたころから、改善の兆しが見え始めます。それは、酒屋へのこだわりをさえフラットにし、リ
セットしてからのことです。
 後になって教えられことですが、当時でも、事業規模を拡大していたような方は、慰め合いと、腹のさぐり合いの組合などには、見向き
もしていませんでした。訳を尋ねると、出席しても、経営が思わしくない言い訳ばかりで、憂鬱になった、と、言います。楽しくなかっ
た、と、言います。そればかりか、得るものも、為になることなど何もなかった、と、言います。
 わたしが、負のスパイラルから抜け出せたのは、そんな組合から距離を取れるようになったこと、そして、何よりも、喜び、を、知った
からだと信じています。
 その違いを、科学的な分析を加え、合理的な視点で捉えるなら、それは、たまたま、運が良かっただけ、偶然で片付ける範疇の事例なの
でしょう。
 でも、それと同じように、体の改善と一緒に、運気が上昇する人を、わたしは、何人も見ています。
 悪い想念に苛まれていた人が、明るくなります。消極的だった人が積極的になります。運勢が好転するのは、当然の帰結です。
 それすら否定することも可能でしょう。
 希望さえもてば何でも叶う。喜んでさえいれば、運気が好転する。そんなことはありえない。夜迷い言、信仰、宗教の類とおっしゃられ
るかもしれない。それが、正論と仮定します。では、それを正論とした上で、逆にお聞きします。
 心配をし、取り越し苦労を積み重ね、先を不安視し、何が生まれますか。
 運が良ければ、偶然に明るい明日は来るのかもしれません。だとするなら、なおさら、心配を抱え、不安を抱きながら生きる今日は楽し
いですか。
 前世などはないのかもしれません。来世などはないのかもしれません。生まれるも、生まれないもただの偶然。お金持ちの家に生まれる
も、貧乏人の家庭に育つも、ただの偶然。争いの絶えない家庭に身を置くも、おだやかな家庭で育まれるのもただの偶然かもしれません。
 だとするなら、
 だとするなら、尚更、
 暗く、沈んだ気持ちで日を送り、何が楽しいですか。
 明るい希望を持って生きても、明るい未来は来ないかもしれない。逆に、将来を悲観しても、明るい将来は来るかもしれない。だった
ら、なおのこと、将来を悲観的に捉え、憂鬱な日を送る必然も存在しません。
 たった一度(と、仮定して)の人生、感謝し、楽しく、喜んで生きても一生。疑って、悲観して、眉間にシワを寄せて生きても一生。ど
ちらが真実なのかではなく、どちらを選ぶのかというだけのことです。
 (100の説法、屁ひとつ)なんてことばはありませんでしたっけ。
 わたしには、まだまだ、(喜び)が足りません。感謝して、感動して、喜びに喜んで、喜び教の教祖を目指します。
 ここに宣言します。残された人生、理屈ではない、喜びに溢れたこれからを、わたしは、創造し、選択します。
 
 
 
 
 エピローグ
 
 
 
  
 わたしはここまでに、言いたかったことは、ただ一点、原理原則、理念哲学、です。
 第二次世界大戦後、焦土と化した日本は、世界が驚く、復旧、復興を遂げます。ために、エコノミックアニマルとも揶揄されました。
 世界に追いつけ、追い越せ。結果を求める必要から、たくさんの、原理、原則を蔑ろにし、理念、哲学を置き去りにしてきました。それ
は、ある意味、仕方がなかったことなのかもしれません。
 でも、現在に至り、その結果として、大きなツケが廻ってきています。
 国に指針なく、永田町は、その場凌ぎの詭弁を弄するばかりで政治を忘れました。国家観も大局観も示せない政府は、事ある度に右往左
往を繰り返すばかり。政府を支えるべき霞ヶ関に公僕はなく、教育界に聖職者は存在しません。
 農民のための農協は、自己増殖を積み重ね、ゆりかごから墓場まで、金融から物販まで、なんでもありの、日本最大の総合商社となり、
日本の農業の足かせにしかなってはいません。
 アメリカ的手法の負の部分だけを学んだ経済界はモラルをさえ消失させました。
 右と言えば左、左と言えば右。わが国のマスコミに正義を語る資格はなく、犯人を捕まえるべき警察は、その本分を見失い、いつの間に
か、交通専門警察、と、化すばかり。被害者でしかないお年寄りに注意喚起するばかりで、おれおれ詐欺さえ、野放し状態。その一方で、
検察が事件そのものをねつ造するに及んでは言及する価値さえありません。
 三権分立の一つである司法に裏金あり。告発しようとした裁判官を、見栄も外見もかなぐり捨てて、告発直前に、どうとでもなる事犯
で、逮捕する体たらく。
 地方に文化なく、経済とてさらになく、火事場に消火すべき消防団員さえ見あたらない。若者が戻るべく家業もなく、耕しても、耕して
も、石川啄木ではないけれど、(働けど働けど 猶我が生活楽にならざり ぢっと手を見る)まったくもって、どこもかしこも、限界集落
まっしぐら。
 首長候補の選挙公約は、金太郎飴のごとく、北から南まで、工場誘致、企業誘致の空公約。
 どこかの首長さんが言っていたっけ、
 「工場を誘致するとは言っていない。誘致したいという願望、努力目標を掲げたのであって、誘致できなくとも、約束を破ったことには
ならない。」
 すぐにでも進出企業があるようなことを臭わせておいて、今さらそれはないでしょうよ。
 どこかの首長さんが言っていたっけ。
 「お腹が空いたところにごはんを食べるような訳にはいかない。二期目、三期目、長期的スパンに立って、優良企業を峻別したい。」
 与えられた一期目で、何のアクションも起こせず、何ひとつ実現できない人に、当選できるかどうかさえ不確かな、二期目、三期目に、
何が動かせるものですか。
 日本人は、いつから(恥)の文化、男の美学を忘れてしまったのでしょう。
 工場誘致、企業誘致が、本当に地方発展の錦の御旗ですか。わたしには、地方消失の金字塔にしか思えません。
 その場凌ぎにその場凌ぎを積み重ね、継ぎ接ぎの上に継ぎ接ぎを重ね合わせ、誤魔化しに誤魔化しの重ね塗りも、すでに、限界。その、
制度疲労が表出したのが現在とは言えないでしょうか。
 すでに、地方と呼べるものはそこにはなく、終戦後、アメリカが日本に仕掛けた(愚民化政策)は、見事に成功したようです。
 誰が言ったのか、(らしい国民にはらしい政治家が育つ)とは言い得て妙ではありませんか。
 (もう、戦後ではない。)と、言うことばが一時期、もて囃されました。もう、戦後ではないとするなら、その時点で、キチンとした総
括がされなければなりませんでした。もう一度、国柄を論じ、国是を洗い直さなければなりませんでした。その手間、手続きを経なかった
ツケが現在の現状、すべてにおいての思考停止状態、思考停止どころか、結果としての見るも無惨な惨状です。
 すでに、小手先の改革では立ち行きません。どうにもなりません。どうにかなる段階は、遠の昔に過ぎ去りました。遅きに失したとは言
え、全てにおいての、根こそぎからの、抜本的見直しが必要です。
 日本人とは、何か。日本とは、何か。世界の中で日本が果たさなければならない使命とは、何か。そこからのリスタートです。
 平成23年3月11日。日本にとって、未曾有の大震災が起きました。
 まさに、戦後ではなく、好むと、好まざるとに関わらず、震災後が始まります。   
 震災を奇禍とするだけではなく、大きな時代の括り、転換点として、新たな一歩を、原理、原則に基づき、理念、哲学を持って、世界に
胸を張り、正論を表し、誇れる国造りが急がれます。
 ただし、わたしは、この日本の将来について、実は、そんなに悲観的にはなっていません。
 共産主義が終演を迎えたように、自由主義の崩壊が始まった今、より、デフォルメされた状態が現在であり、現在のどうにもならないカ
タルシス、つまり、渾沌も、新しい夜明けの台頭が始まった証しと解釈しています。
 
 わたしは、改めておことわりするまでもなく、市居の小市民であり、思想家でも、哲学者でも、評論家でもありません。誇れるような人
生経験があるわけでもなく、深く学問を究めたわけでもなく、時に流され、齢を重ね、いくつになっても欲得から離れられず、煩悩の塊の
ような人間です。
 まして、医療関係者でも、医療従事者でもなく、制度の歪みにひっそりと咲くあだ花である自覚は持っているつもりです。
 わたしに、あえて、名称を求めるなら、非医療、前段階回遊者とでも呼称すればよろしいでしょうか。とまれ、何と名乗ろうが、施術を
させていただいて、いつも思うことがあります。
 肉体的な疲労からくる痛みは、どんな、仰々しい病名を冠されても、実は大きな問題ではありません。たとえ、3年、5年、10年、
20年と苦しんでおられたとしても、適切な治療がなされなかっただけのことです。
 では、適切な治療とはなんでしょう。
 原因に働きかける療法、もしくは、原因が動かせない、触ることができない場合では、原因に近い箇所に対する療法です。
 東洋医療関係者は、西洋医療関係者を、対処療法と批判します。ところが、その、東洋医療関係者の多くの人が陥っているのも、実は、
対処療法です。つまり、痛みが出ている部位を問題にし、痛みの出ている箇所に施術します。 
 事、医療関係においても、わたしは、たくさんのことを訴えたつもりはありません。それどころか、すべてが同一であり同根です。
 前にも書きましたが、同じことを、さらに、重複して書かせていただきます。
 痛みがある、とは、痛みを出す原因があるということです。問題は痛みではなく、原因にあります。原因に対して適切な処理が施された
なら痛みは消失します。そして、それこそが、医療、の、はずです。
 血圧が上がる、とは、上げる原因があります。血圧を上げる原因に対して適切な処置を施すことが医療です。
 その根本が蔑ろになってはいないでしょうか、と、申し上げています。
 その原点を外してしまったからこそ、迷走しているのではないでしょうか、と、申し上げています。
 ここでも大事なことは、何ら変わることなく、原理原則、理念哲学、です。
 痛みに対し、何十本、何百本の痛み止めを打っても、あえて言わしていただくなら、それは、誤魔化しでしかありません。原理、原則か
らはずれます。
 医療においても、洗いざらいを、もう一度、原点に立ち返り、根本、から、見直すべき時が、今、です。
 (何年も薬を飲んでも、一向に改善しない。もし、薬を飲まなければ、どうなってしまうのだろう。)
 不具合を持つ方が陥る罠です。
 まず、薬の多くは、根本治療薬ではなく、対処療法薬であることを知るべきです。何年も改善がみられないなら、何かが間違っているの
ではないか、と、疑ってみることです。
 現在の医療技術ではどうにもならないことは当然にあります。それとは真逆で、適切な治療を受ければ改善されることも、実は、多いの
です。わたしが問題にしているのは、実に、その部分です。
 安易に人を頼るばかりではなく、治らない言い訳としての説明を鵜呑みにするのでもなく、原理、原則に照らして、自らが判断しなけれ
ばなりません。自分で改善すべきは、自分が改善しなければなりません。自分で改善できない場合でも、何が正しく、何が間違っているの
かの認識を持ち、通院すべき場所を選択すべきです。
 ある方が言われました。
 「お医者さんには、3軒、行きなさい。3軒行って、見立ての一番軽かった所に通院しなさい。」
 言い得て妙ではありませんか。
 アトピーやぜんそく、人工透析などの増加。わたしは、難病と呼ばれる何割かは、お医者さんが作った病気ではないかとさえ疑っていま
す。さらに、難病に指定され、治療法がない、と、言われた病気こそ、自分が治せるチャンスだと捉えるべきと考えています。
 わたしは何も、医者には行くな、とか、手術をするな、とか、言っているのではありません。医者に行ったほうが良い場合も、手術を受
けたほうが良い場合もたくさんあります。しかし、それも、原理、原則に照らして、正しい判断の元で、と、注釈を加えなければなりませ
ん。
 わたしは、ここまで、そんな、原理、原則、理念、哲学、にだけ、基づいて、書き進めてきたつもりです。
 これまでの駄文が、病に苦しむ、多くの人の、常識という非常識に対しての、アンチテーゼとして、一助になれば幸いです。
 
         
 

 

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